3.
訓練場には木剣のぶつかり合う音が響いていた。
騎士科の生徒たちが汗を流す中、その中心には二人の姿がある。リチャードとエリックだった。
互いに木剣を構える。
「行くぞ」
「はい」
次の瞬間、リチャードが踏み込んだ。
鋭い一撃。
エリックは受け流し、そのまま反撃する。
木剣が何度も打ち合わされた。
周囲から感嘆の声が上がる。
「すごい……」
「やっぱり殿下は強いな」
「エリックも負けてないぞ」
二人はしばらく手合わせを続けた後、同時に距離を取った。
「そこまで!」
教官の声が響く。
訓練場に安堵の空気が流れた。
エリックは軽く息を吐く。
(強くなっている)
以前からリチャードは優秀だった。
だが今は違う。
動きに無駄がない。
経験を積んだ騎士のような剣だった。
もちろん、それだけなら説明はつく。
努力したのかもしれない。
だが胸の奥の違和感は消えなかった。
休憩時間。
二人は訓練場の端で水を飲んでいた。
「そういえば」
不意にリチャードが口を開く。
「今度の遠征は中止になるだろうな」
エリックは目を瞬いた。
「遠征、ですか?」
「ああ」
リチャードは何気ない様子で続ける。
「天候が悪化する」
その言葉に、エリックは首を傾げた。
「そのような話は聞いておりませんが」
遠征計画はまだ正式発表もされていない。
当然、天候の話など出るはずもなかった。
リチャードは一瞬だけ言葉に詰まる。
そしてすぐに視線を逸らした。
「……そうなる気がしただけだ」
「そうですか」
エリックは静かに答える。
だが内心は穏やかではない。
前の人生。
確かにその遠征は中止になった。
大規模な嵐が発生したからだ。
それを知っている者は、この時点ではいない。
いるはずがない。
リチャードは話題を変えるように言った。
「それより、まだ早いが卒業後の進路は決めているのか」
「王宮騎士を目指しております」
「そうか」
リチャードは満足そうに頷く。
「お前なら問題ないだろう」
それ以上、その話には触れなかった。
帰り道。
エリックは一人で歩いていた。
春の風が木々を揺らしている。
だが、その音も耳には入らなかった。
頭の中では先ほどの会話が何度も繰り返されている。
『今度の遠征は中止になるだろう』
偶然では説明できない。
前の人生を知らなければ出てこない言葉だ。
エリックはゆっくりと目を閉じた。
(やはり……)
胸の奥で確信する。
(殿下も覚えておられる)
前の人生。
あの日々を。
そしてオリビアのことも。
エリックは空を見上げた。
ならば、殿下は何を考えているのだろう。
なぜ前とは違う行動を取るのか。
何をやり直そうとしているのか。
答えはまだ分からない。
ただ一つだけ分かっていることがあった。
オリビアは生きている。
今はまだ笑っている。
それだけで十分だった。
エリックは静かに歩き出す。
その足取りは、前よりも少しだけ軽かった。
◇◇◇
図書室の窓の外は、すっかり暗くなっていた。
オリビアは最後の一冊を閉じると、小さく息を吐く。
課題は終わった。
けれど気になる部分があり、つい参考書まで読み始めてしまった。
時計を見る。
「もうこんな時間……」
思っていたより遅くなっていたらしい。
周囲を見回すと、残っている生徒はほとんどいなかった。
オリビアは慌てて本を片付け、図書室を後にする。
静かな廊下を歩いていると、前方から誰かがやって来た。
アシュフォード伯爵家のエリック様。
騎士科での成績は優秀で、殿下とも親しくされている方だ。
オリビアは反射的に足を止める。
「こんばんは」
「こんばんは」
短い挨拶。
それだけで終わると思った。
だが、すれ違う直前。
エリックがふと足を止めた。
「お疲れ様です」
「……え?」
思わず聞き返してしまう。
エリックは少しだけ目を瞬かせた。
「遅くまで残っておられたようでしたので」
「あ……」
オリビアは言葉に詰まった。
何と返せばいいのか分からない。
試験で良い成績を取れば、『優秀ですね』と言われる。
課題をこなせば、『さすがですね』と言われる。
けれど……『お疲れ様です』
そんな言葉をかけられたことは、一度もなかった。
「ありがとうございます」
ようやくそれだけを答える。
エリックは小さく頷いた。
「お気を付けてお帰りください」
そしてそのまま歩き去っていく。
オリビアはしばらくその背中を見送っていた。
その日の夜。
本を閉じたオリビアは、ふと窓の外へ視線を向けた。
頭に浮かぶのは先ほどの出来事。
『お疲れ様です』
ただそれだけの言葉。
特別なことではない。
それなのに、不思議と忘れられなかった。
(変ですね)
自分でもそう思う。
褒め言葉をもらうことは今までにもあった。
けれど今日の一言の方が、ずっと心に残っている。
まるで……結果ではなく、自分のしてきたことを見てもらえたような気がして。
オリビアは小さく首を振る。
考えすぎかもしれない。
そう思いながらも、胸の奥はほんの少しだけ温かかった。
◇◇◇
それから数日後。
廊下を歩いていたオリビアは、向こうから歩いてくる人物に気付く。
エリックだった。
以前なら、そのまますれ違っていただろう。
だが、オリビアは足を止め、軽く頭を下げた。
「こんにちは」
エリックは一瞬驚いたような顔をしたが、穏やかに返す。
「こんにちは」
会話はそれだけ。
すぐに互いの道を進んだ。
けれどオリビアは少しだけ頬を緩める。
次に見かけた時も、自然と会釈をした。
エリックも同じように返してくれる。
ただそれだけのこと。
それでも以前とは違った。
名前と顔を知っているだけの王子の友人。
そのはずだったのに、今は見かけると少しだけ気になる存在になっていた。




