命を灯したサンドバッグ⑤
二十時三十分頃、レオが大慌てでグラン・タワービル内の海馬の部屋に行ったとき、もう既に自分以外のメンバーは揃っていた。
勢いよく海馬の部屋の扉を開けたレオに、全員の視線が集まった。
「遅かったなレオ、どうした。三十分遅刻だぞ」
「すみません、ちょっと色々とあって……」
海馬の質問に、レオが視線を逸らしていると、その他の五人――霧島加奈、久慈春次、焔穂乃果、白羽取ユキ、加賀美廉斗が笑った。
この部屋は他の部屋とは大きさが違う。レオの部屋が六畳なのに対し、この部屋は外部組織のリーダーの部屋ということもあって五十畳ほどの広さがある。そして部屋には沢山のものが置かれていたが、生活感というのは一切なかった。最初から備え付けられていた家具以外に、海馬は何にも置いてはいなかった。
というか、海馬はここに住んではいないのだ。理由は単純、居心地が悪いから。
それでも、この部屋に入ったレオが一番に抱いた感想は居心地の良さだった。壁は全面ガラス張り故に夜景も最高で、内装も照明の温かさや雰囲気も相まって、高級感が漂う空間だ。
こんなに素敵な景色と雰囲気であれば、恋人とでも来たらさぞかし充足感で満たされるだろう。
レオは部屋に入って正面の、コの字型のソファーに腰掛けている海馬に目配せしながらソファーに近づくと、海馬の目配せを受けて唯一空いていた海馬の隣りに座った。
コの字型のソファーに囲まれたテーブルの上には、様々なアルコールやおつまみがあった。もう他の皆はアルコールを楽しんでいるようだった。レオは背中に背負っているニトロスマイルの鞘を外し、ソファーの縁に立てかけると、背もたれに背をもたれて大きく息を吐いた。
「よし、全員揃ったことだし加奈、カーテン閉めて」
海馬が加奈にそう言うと、加奈は席を立ち上がって夜景を覆い隠すようにカーテンを閉めた。
カーテンが閉まり暖色の室内灯がより一層濃さを増すと、加奈が左手の薬指にはめている指輪がキランと輝いた。
「ありがと加奈。よし……もう一回乾杯するぞ」
戻ってきた加奈にそう言ったあと、海馬はレオの方を向いた。
レオはテーブルの上にあるまだ空いてない缶のアルコール飲料を見つめる。レオは三つあるうのひとつ、日本では一般的な缶ビールを手に取ると、メンバーの視線は全て海馬に向いた。
「よしっ、レオ、お前にはこの一週間色々とあったけど取りあえずお疲れ様。今日の遊撃との戦闘も俺は見てないけど凄かったらしいな。んじゃあ、レオの〈エレジウム〉加入を祝して……乾杯!」
「「「「「「乾杯!」」」」」
缶同士が軽やかにぶつかる音が、部屋中に響き渡った。
「ぷはぁーっ! 美味いなぁアルコールちゅうもんは!」
身体を前後に揺らしながら缶ビールをグビッと、浴びるが如く一気飲みしたユキのまるで鳴き声のような言葉が部屋中に響き渡った。
ユキの関西弁の語り口は食べるもの飲むもの全てをより美味しく感じさせてくれる。その飲み方も豪快で、レオもそれにつられるように缶ビールを喉に大きく流し込んだ。
――日本のビールなんて初めて飲んだけど、案外美味いな……!
「なぁレオ君ここ一週間どうやった? オモロかった? それともつまらんかった? 素直な感想このユキちゃんに聞かせてくれへん?」
もう酔っているのかと思うほど饒舌に言ったユキの言葉に、海馬はふっと笑った。レオは内心――率直にかあぁ、と思いながら、ビールが喉を通り過ぎると同時に言った。
「触れるもの全てが新鮮で凄く面白かったよ、特に今日は遊撃との戦いが面白かった」
「そかそか、でも実際凄かったらしいやん。ユキちゃんも直接見ればよかったってちょっと後悔してるねん。レオ君的には遊撃は強かったん? それとも弱かったん?」
「うーん……弱くはないけど、特別強いって感じでもなかったかな」
「そうかー。知ってるかもしれんけど、遊撃ってな、結構有名な心の境界線を越えたアンドロイドやねん」
「ああそれ知ってる」
「いや海馬はんあんたは今日知ったみたいな感じやん」
遊撃を倒した後、管制室にて藍沢那奈に報告をしに行った際、あまり遊撃のことを知らなそうな素振りを見せていた海馬にユキがツッコむと、海馬は虚空を見上げながら笑った。
「でな、遊撃ぐらい有名な心の境界線を越えたアンドロイドを倒すなんて凄いってことで、レオ君が知らないところで今日ちょっとグラン・タワービル盛り上がってたんよ」
「それは知らなかったな」
「ちょうどレオ君その時海馬はんと姉弟を養護施設に連れて行ってたから、知らんと思ったわ」
「レオ君……俺からもちょと訊いていいですか?」
ユキとレオの会話のキャッチボールを、廉斗が遮った。
廉斗はこの〈エレジウム〉の中で最年少の二十一歳ということもあり、周りの大人達を見て、前々からあまり〈エレジウム〉に貢献できていないという感覚を抱いていた。その事を海馬に相談すると、海馬は毎回こう言ってくる。『――別に貢献できてるかどうかでお前のこと見てねぇよ。俺達は家族なんだから、そもそも家族に物差しを向けることなんてありえねぇだろ。心配すんな、気づけば勝手に立派になってるから』
それでも、どうしても廉斗は活躍したかった。人の役に立ちたかった。だから、今日遊撃というビッグネームを倒したレオには訊きたいことが山ほどあった。
「いいよ、なんでも訊いて」
レオがおつまみを選びながら返答すると、廉斗は身体をむずむずさせて好奇心旺盛に訊いた。
「あの……レオ君みたいに強くなるにはどうすればいいっすか?」
「強くなるって、具体的には?」
「えっと……どうすればそんなに躊躇せず命のやり取りができるのかなっていうことっす。オブラートに包まずに言うと、どうすればそんなに殺すのが上手いのか、っていうことっすね」
レオはその言葉になんて返せばいいのか迷った。別に答えが用意できていないから迷っている、ということではなく、どうオブラートに包んで話せばいいのか分からなくて、考えていた。
――俺が誰かを殺すのに躊躇があったのはいつまでだろう。もうそれすら憶えてないな。
レオは少しの思案の末に言った。
「命のやり取りに躊躇がないのは、覚悟が決まってるからじゃないかな。相手を殺そうとしているんだから、最悪の場合殺されるのは必然だし、別にそれを恨んだりはしない。殺すのが上手いのも、別に殺されたっていいってある種どこかで思ってるから、そうなんだと思う。まぁ別に、殺しが上手いだなんて自分に思ったことなんて正直ないけど」
「そう、っすか……凄いっすね。今日レオ君は遊撃を殺しましたけど、やっぱり遊撃って有名なんですよ。何人も遊撃に挑んで、死んでいったんすよ。まぁでも、コイツが挑めば遊撃でも流石に負けるだろうなっていう奴はほとんど挑んでないんで、絶対的な強さが遊撃にあったわけじゃないっすけど」
レオは内心驚いた。それは、遊撃よりも強い奴がいるということにではなく、そのくらい強い奴が挑んでいないということに。
「なんでそういう強い人達って遊撃に挑まなかったの?」
「そうっすね……まぁ色々理由はありますけど、端的に言えばメリットがないからじゃないですかね?」
「メリットがない?」
「そうっす。遊撃より強い奴って、大抵創造者なんですよ。でも、レオ君の国もそうだと思うんすけど、創造者って大抵はみ出し者じゃないですか。ってか、そもそも創造者ってカテゴリーとしては人じゃないですし」
「いや、モルドヴィス王国じゃ創造者だからといってはみ出し者とは限らないな」
「いいっすね~それ。でも、この日本じゃ創造者っていうと大抵がはみ出し者なんですよね」
「俺だってそうだな」
海馬が自虐的に言った。
「そんなはみ出し者の創造者って、やっぱりはみ出し者なんで社会をあまり好意的に思っていないんすよ。だから、遊撃みたいな心の境界線を越えたアンドロイドが人間社会に被害を与え回っても、別に知らんぷり、ってことっすね。だから創造者にはメリットがないと言えるんです。逆に、自分達が社会を壊す手間が省けたと思っている創造者もいますよ」
レオの頭にひとつ疑問が浮かんだ。レオはすかさずその疑問を口に出した。
「じゃあ、海馬さんみたいな社会に貢献をする創造者って珍しいってことか?」
「そうっすよ。日本政府外部組織という枠組みがあろうと無かろうと、この現代日本においては創造者という生き物は基本社会に仇を為すものとされてます」
「まぁ俺も別に社会に貢献したいとか思った試しねぇけどな」
海馬が煙草に火をつけ一吸いしながら言った。
紫煙がモクモクと天井の暖色の室内灯目がけて立ち込めると、そうして部屋中に一瞬の静寂が走った。先ほどまでの会話の波が考えられないほど、この場に居る全員はしばしの静寂に身を委ねた。
いつの間にか席を立って部屋の奥のキッチンの方へ行っていた加奈が、カップに入ったホットコーヒーを持ってきた。
あなたは煙草吸うときこれが好きだもんね――そうとでも言うかのような表情で加奈はホットコーヒーを海馬の目の前のテーブルの上に置いた。
ひとときの静寂を破るのは、加奈だった。
「レンレンさぁ、確かにレオ君は凄い強いと思う。それは戦い素人の私でも分かること。でも……私としてはそんな戦うことよりも自分の命を大切にしてほしいの。それは別にレンレンだけじゃなくて、ここに居る皆に対して私は言ってるの。……目逸らしたけど、勿論レオ君もだからね」
「はい、ありがとうございます」
加奈の菩薩かと思ってしまうほど優しさに満ちた口調が、なんだかレオはムズ痒かった。でも、その優しさそのものみたいな加奈の口調が、言葉が、仕草が、嬉しかった。
やっぱり加奈は、この〈エレジウム〉、そしてみんなの、かけがえのない聖母だ。
そのときだった――
部屋中に突然、何か機械の通知音が一斉に響き渡りはじめた。
それは紛れもなく戦闘時などの現場で、日本政府外部組織の人間が管制室から指示を受ける為の通信デバイス、の通知音。
レオと海馬は部屋に忘れてきたためその分はなかったが、その他の五人の分は一斉に部屋中に響き渡っていた。片耳にだけ装着するヘッドフォン型の通信デバイスをこの酒盛りの最中も装着していたのは春次ただ一人だけだった。
全員の通信デバイスに連絡がくるというのは異例なことだった。
海馬は加奈、春次、穂乃果、ユキ、廉斗の通信デバイスを持っている人達を横目で見ながら、ぼーっとソファーにもたれかけながら考えていた。
――これまでに全員分の通信デバイスが鳴ったことはたった一回だけ。そしてその一回は確か……ああ、虚心事件の時か……。今日レオがぶっ倒した遊撃は、その虚心事件をきっかけに有名になった……。まぁ、虚心事件の時に有名になった心の境界線を越えたアンドロイドは遊撃だけじゃないから関連性がどれだけあるかは分からないが、なんか、嫌な予感がするな……。
海馬はソファーに姿勢の悪い状態で座っていたところから飛び起きた。
虚心事件――それは、現在進行形で行われている、心の境界線を越えたアンドロイドと人間との戦争の引き金となった事件。虚心事件がきっかけで、レオが今日遊撃と戦った埼玉県のA地区のような、所謂フェーズワンと呼ばれている場所はあのように荒廃してしまった。虚心事件が無ければ、レオが今日遊撃と戦うことも、姉弟を救うことも、今こうして鎖国国家の日本に来れることも、なかったであろう。
ユキが通信デバイスを右耳に装着すると、機械音声のメッセージが繰り返し流されていた。
「おいこの通信デバイス、『緊急事態発生、テレビを観てください』しか言わへん! なんやねんテレビを観ろって、教えてくれてもええやん」
加奈が慌ててソファーから見やすい位置にあるテレビの電源を入れた。
「嘘やろ……ヤバいやん」
「海君どうしよう……」
ユキと加奈の言葉がこの場に急速に緊張感をもたらす。
この場に居る全員がテレビに釘付けになる。テレビのニュースが伝えていたのは、ネオンコアと呼ばれる場所のショッピングセンターで、大規模な破壊行為があったという内容だ。
「ネオンコア……今回はちょっとヤバいかもな。結果次第じゃ俺達の首が飛んでもおかしくねぇな」
海馬は淡々と、だが着実に喉元までせり上がってきている焦りを押し殺しながら言った。
ネオンコア――この場所は、現代日本の中心である。現代日本には、大きく分けて三つの場所がある。ひとつは、フェーズワンと呼ばれる、心の境界線を越えたアンドロイドとの戦争で傷つき荒れ果てた場所。まさに戦争の渦中の地。
ふたつ目は、フェーズツーと呼ばれる、日常生活の中で、心の境界線を越えたアンドロイドに遭遇する可能性がありながらも、日常的な生活がギリギリできる場所。一般人の大多数はここにいる。
そしてみっつ目が、ネオンコアと呼ばれる現代日本の中心地。通称、権力者の棲まう〝人外特区〟。
ネオンコアを心の境界線を越えたアンドロイドによって襲われ、もしそれで権力者が死ぬようなことがあれば――それは確実に、海馬の首が飛ぶ。
だって、今の日本で心の境界線を越えたアンドロイドに対する対処部門に属している組織は〈エレジウム〉たったひとつしかないのだから。
「酒なんて飲んでる場合じゃねぇ! 今すぐ管制室行くぞ!」
海馬の言葉に他の全員はすぐさま準備を整えはじめた。そして海馬が先頭で管制室へと向かう為に部屋を出ると、準備のできた者から部屋を後にしていった。
部屋に最後まで残っていたのは、レオだった。
「どうなるんだ……これ……」
テレビ画面に映る大規模な破壊行為、そして燃え盛る建物。それがとてもセンセーショナルで、象徴的で、沢山の人の死に際を見てきたレオにとっても恐怖感を抱かせた。
これが、全ての始まりだった――




