命を灯したサンドバッグ④
時刻は十八時を回り、外も暗くなってきた頃。レオは妙な興奮を覚えながらもなんとかグラン・タワービルへと帰ってきて、外の風景を見ながらなんとか気持ちを落ち着かせていた。
――結局、なんだったんだあの女は……。
追跡者よりも、あの女の方が頭の中を埋め尽くす。
目線が、さっき自販機で買ったペットボトルの緑茶と外の風景とを行ったり来たりする中、レオはずっとそんな事を考えていた。
「さ、もういいかな」
ベンチを立ち上がると、レオは自室に戻ろうと長い長いグラン・タワービルの廊下を奥へと歩き始めた。
それは自室まであと二十メートルほどかという距離まで来たとき――
ぼーっと自室へ向かって廊下を歩いていたレオは、突然廊下の奥で女が何か叫んで助けを求めているところを見つけた。女は床に押し倒され、三人の男に取り囲まれていた。
「こ、こいつ……やっぱバケモノだ……っ!」
「ヤメロっ! 離セヨっ! 私を襲うだなんて良イ度胸シテやがるぜ! ……いやっ、マジで殴らないデ……誰か助けてぇっ!」
――今日は色々あるな……。
レオは面倒臭さを覚えながらも、どうしても放っておけなくて、その女を助けに向かった。
「何してんだよ、止めろよ」
レオが三人組の男に向かってそう言うと、男達はムッとした表情でレオの方へ視線を向けた。
男のうち二人は見ているだけで、実際に女を襲っている一人の男がボスのようだった。
レオの声に呼応するように、実際に女を襲っていたボスらしき男が女から離れレオの方へ近づくと、そうして初めてレオは女の容姿というのを確認できた。
女は、小柄な体格をしていて、髪は淡い白色で、肌も白く、髪型はショートヘアだったが何故か両目が前髪で隠れていた。
――それで本当に前見えてんのか?
そのときだった。
何故か男達は一斉にその場から逃げ始めた。
「おいっ、待てよ!」
レオの声が男達の背中に当たるが、視線は再度振り返ることはなく、男達は足早にその場からそのまま逃げ去ってしまった。
「なんだよ……」
レオは逃げ去った三人組の男達の残像を軽く脳裏に浮かべながら、振り返って女の方に視線を移した。
「大丈夫か? 怪我は? 痛いところは?」
「だ、大丈夫……」
レオは未だ床に倒れ起き上がらない女に手を差し伸べた。
「あ、ありがとう……」
レオの手を引っ張って女が起き上がると、女は服に付着した汚れを手で払い、レオの方に向き直った。
「助けてクレテありがとう。私は華征、サポート型のアンドロイドです」
レオは突如、心臓が握り締められたかのような感覚に陥った。
――ア、アンドロイド……? この子が? 全く予想もしてなかった……。
こんな見た目で、立ち振る舞いで、喋り方で……人間ではなく人間を模倣したアンドロイドであると。レオは全く予想だにもしていなかった展開に、表情を崩さないながらも心底驚きが絶えなかった。
「レオ・アルバトロスさん、あなたにお願いがアリマス」
――なんで俺の名前を知ってる?
そんなレオの内情はよそに、華征は言った。
「行く場所が無いんデス。だから……あなたについて行ってイイですか!」
「…………はぁ!?」
グラン・タワービルの廊下に、レオの心の底からの叫びが響き渡った。
――な、な、なななな何でだ!? サポート型のアンドロイドがどうとかはあんまり分からないけど、誰か持ち主がいるはずだろ普通……しかも、勝手について行っていいか訊いてるし……。どうなんだ? 日本じゃこれが普通なのか? ……いやっでも、日本に来る前読まされたアンドロイドの基本情報から考えると、普通であれば今みたいな状況が起きる可能性はゼロなはず……。いや、でも……それでも……可能性はゼロじゃない、か。
頭に残っているアンドロイド関連の情報をフルスロットで反芻し、思案した結果、レオはとあるひとつの可能性があると考えた。それは、
――こいつが心の境界線を越えたアンドロイドであれば、話は別か。
心の境界線を越えたアンドロイドであれば、プログラミングされた範疇を越えて、自立的な思考ができるはずだとレオは考えた。そして、自立的な思考ができるということは自立的な行動もできるだろう、と。
レオは、身長的な事情から自分のことを見上げている華征に向かって訊いた。
「なぁ君」
「華征デス、華征とお呼びクダサイ」
「か、華征……君は心の境界線を越えたアンドロイドなのか?」
「いえ、違いますヨー」
軽ーく答えた華征の顔は、ニンマリしていた。
そのニンマリ顔が何を意味しているのかは分からない。だが、レオが華征に対して出す最終決断はもう決まっていた。
「いや、ついて来るなよ。んじゃ――」
そう告げてレオはその場から立ち去ろうとしたが、華征がそんなレオを抱きついて止めた。
「待ってください待ってください! もしかしてレオさんは私の主になりたくないとでも言うんデスカ!」
「別になりたくないとは言ってない。ただ、不安要素がある。っていうか、なんで俺の名前知ってんだ」
「そ、それは企業秘密です……。で、ですが、レオさんあなたが抱えているその不安要素、内容によっては私クリアできるかもシレマセン」
「本当に言ってるのか?」
「はいっ! 本当デス!」
レオは少しばかり虚空を見つめたあと、自分に抱きついている華征を引き剥がした。そしてニンマリ顔の華征に顔を近づけて言った。
「アンドロイドが心の境界線を越えていないかの検査があるよな? その検査をちゃんと受けてくれたら考えてやる」
華征の表情は渋いものだった。
「え~……検査デスかぁ? 私検査が苦手でぇ」
「だったら主になってやらないよ」
華征はムッと怒ったような表情になった。
「わ、分かりましたよ! 検査受けます! だから私の主になってぇ!」
レオは軽く意識を吐きながら肩をすぼめ、自室の方へ歩き始めた。
それを見た華征の顔がパッと明るくなった。それはまるで、小さい子供が好きなおもちゃを買ってもらえて嬉しいという表情に似ていた。
華征はレオの斜め後ろをルンルンと楽しげについて行きながら、訊いた。
「でもマスター、私が検査受ける前でも部屋に連れて行ってくれるんですね。てっきり検査受けるまで部屋に入れてもらえないかと思いましたヨ~」
レオはその言葉に、華征の方を振り返らないながらも微笑を浮かべながら呟いた。
「お願いがあるんだ、華征に。そしてそのお願いを話すのは自分の部屋の方が何かと都合がいいんだ」
――サポート型のアンドロイドであれば殺される心配はまずないだろう。仮に心の境界線を越えていようとも、別に部屋に連れ込んでも大丈夫なはずだ。それに、これからするお願いのリターンに比べれば、命のひとつやふたつ安いものだ。こんな話、完全防音の自室でしかできない。最悪の場合は……いいや、最悪の場合なんて訪れない。華征には、俺が仮に意識を完全に失っていたとしても殺せはしない。
――俺には、このニトロスマイルがあるのだから。




