それでもボクは、人間を愛している⑨
同時刻、廃棄されたコンビナート入口にて。一人の女がその廃棄されたコンビナートの敷地内へ入ろうとしていた。
女は、廃棄されたコンビナートの入口で一度立ち止まった後、その足を敷地内へと進めた。それから女は、ゆっくりとした速度で廃棄されたコンビナートを奥へと進んでいく。目的地は、廃棄されたコンビナートの中心にある廃工場。そう、皇祭の隠れ家兼研究所であった。
そして女は、まるで優雅な散歩のような足取りを進めた後、廃工場の入口部分に辿り着いた。その女とは、アルス姫だった。
〈ReGion〉と〈エレジウム〉の戦争が終わった事を知ったアルスは、とある目的でここに来る必要があった。
アルスは、廃工場の中を少し遠慮気味な姿勢で覗く。そして、自分が見える範囲に人がいないことを確認すると、ゆったりとした足取りで廃工場の中へと足を踏み入れていく。だがアルスが廃工場の中を少し進んだとき、アルスは一人の男に遭遇した。
それは海馬だった。
海馬はアルスの姿を見た途端、まるで幽霊でも見たのかと思うほどに驚きと恐怖が混じったような表情をした。海馬は少し後ずさりをしたのち、はっと我を取り戻したように言葉を出す。
「何をしにここへ来たんだ」
するとアルスは、遭遇したその瞬間もそうだったが、一切変わらぬ平穏な表情で言った。
「短くない間、レオがお世話になりました――そのことをお伝えしに」
「そうか、それは律儀なことだな。なぁ、俺は貴女に訊きたいことが山ほどあるんだが、この際だから訊いてもいいか?」
「勿論。レオを預かってくださったお礼に、いくらでもお答えして差し上げましょう」
そうして海馬は、アルスを皇祭の隠れ家兼研究所に連れて行った。
皇祭の隠れ家兼研究所に着き、その場に居る全員の視線が入ってきた二人に向けられると、ソファに座って須暮利に甘えられていたレオは、思わず自分の目を疑った。
レオは、あまりにも現実とは思えない光景に、思わず須暮利を投げ飛ばしながらソファから立ち上がると、すぐさまその目の前のあり得ない光景に向かって進み始めた。だが近づくと、それが自分の目の錯覚などではなく現実であると気づいたレオは、無意識的に頭を深々と下げていた。
海馬はその素早いレオの所作に――あぁ、やっぱりコイツはこれが本業なんだな、と思った。レオは頭を上げると、アルスの手を取り、ソファへと誘う。その姿を見ていた穂乃果は、ユキに「本物?」とこっそり訊くと、ユキは「そりゃそうやろ」と答えた。そんな二人に、海馬は言った。「勿論本物のアルス姫だ。何でここに来たのかは、今から訊く」
ソファに座ったアルスの隣に海馬も座ると、早速本題に入った。レオは、座っているアルスの側に立っていた。それが、アルス姫お付きの近衛騎士の日常だった。
色々とアルスに訊きたいことがある海馬だったが、その中でも三つの質問に絞って重点的に訊くことにした。
海馬は口を開いた。
「色々と訊きたいことはあるんだが、とりあえず三つの質問に絞って重点的に訊いていきたい思う。じゃあまず、一つ目の質問だが――。レオがこの国に来た目的である『アルス姫の失踪』は嘘なのか? 俺達は、日本に失踪したとされるモルドヴィス王国の姫君である貴女を捜すという目的で、レオを受け入れた。だが、貴女は今、こうして平然とレオに会いに来た。今だけじゃなく、グラン・タワービルの時もそうだ。俺のことを、救ってくれたよな」
すると、アルスは「うーん……」と、顎に手をあてながら考える素振りを見せた。それから、アルスは自分の側に立っているレオの方をチラッと見上げると、レオはそのアルスの意図を見抜いたかのようにウンと一回頷いた。
「そうですねぇ……レオからも許可が出たことですし、お話しさせてもらいましょうか。結論から言うと、私が日本に失踪して、それをレオが助けに来た――というストーリーは、全て嘘です」
その場に居る〈エレジウム〉の全員が言葉にならない声を漏らした。
「私は、この鎖国国家の日本にレオと共に入る為に、そのようなストーリーを作り上げ、実行に移しました」
「それは何故だ? ただ日本にレオと共に来るだけなら、公務として来ればいい。まぁ、日本とモルドヴィス王国は互いに同盟国でありながらも敵対しているようなところがあるのも確かだが、そんなストーリーを作り上げて実行に移す方が遙かにリスキーだろう」
「ええ、そうですね。仰る通りです。ですが、ただレオと共に日本に来られればよいという訳でもないんです。私はこの日本に、味方を作る為に来ました。その為には、公務という常時監視される立場ではなく、失踪人という自由な立場でなければならなかった」
「味方を作りに日本にって、どういうことだ?」
「そのままの意味です。私は……いえ、私達は、とある目的の為に大勢の味方を作らなければならないのです。しかも、ただ味方が増えればよいというわけでもなく、戦争が起こっても戦力になるような人材が、必要なのです」
海馬は、そのアルスの〝とある作戦〟とやらに心当たりがあった。それは、Fの取り調べの時に聞いたFの言葉だ。Fは未来から来た。しかもその目的は、レオを殺す為、だ。レオを殺せれば、その後に起きる大きな戦争の結果を変えることができ、自分の貧しい境遇が大きく変わる。その為にレオを殺しに未来から来たのだと、Fは語っていた。
海馬はそのアルスの言葉を聞いた時点で、もうあと二つも質問などしなくていいと思った。もうこの時点で海馬の頭の中にある様々な事柄は互いに強く結びついており、その全体像も見渡せるほどになっていた。
だから海馬は、単刀直入にそのワードを口に出してみた。
「モルドヴィス王国解放戦争、だろ?」
「……っ!」
海馬の言葉に、アルスの表情が目に見えて変わった。アルスは口元を手で押え、突然揺さぶられた心をどうにか平常に戻そうと頑張っているような素振りを見せた。
「な、何故……そんなワードを……」
一瞬、この先の世界のネタバレになるかどうかを考えて、海馬はその理由を言うことを躊躇った。だが、Fが自分に教えてくれた時点で、別にそれに関しては言っても構わないことは証明されたようなものだと思った海馬は、そのワードを口にした理由を話した。
「フェデリック・ルミナス・モルドヴィスという男を、今さっき尋問した」
「……えっ!」「本当ですか!?」
アルスと共に、レオまでもが驚きの声を挙げた。
「あぁ。今さっきの事だからレオお前には言う時間がなかったが、Fは、モルドヴィス王家の末裔だった。つまり、アルス姫、貴女の子孫ということになる。何か心当たりはあるか?」
「……ええ、ありすぎます。これはモルドヴィス王家の重大な秘密の一つなのですが、モルドヴィス王家は、これから生まれてくる子供たちの名前を、数百年も前から用意しています。私の名前だって、その膨大に記された名前を一つずつ上から使っていった結果の名前です。そして、これから生まれてくる子供たちに使われる予定の名前の中に、その『フェデリック』という名前もあるのです……。それで、そのフェデリックを、何故あなたが尋問したというのですか?」
「えっと、全部話すと話が長くなりすぎるから全部は話せないが、簡潔に言うと、そのフェデリックは未来人だった。時の覚醒者の提案で、この現代に未来から飛んできた。その目的というのも自分で話していて、それは『ただ幸せに生きるため』だそうだ。モルドヴィス王国解放戦争と彼が呼んでいる戦争で、フェデリックは負けた側の陣営の子孫らしい。その戦争で自分の先祖が負けたせいで、今の自分は酷く困窮した生活を送ることになった、とか話していた。そして、そのモルドヴィス王国解放戦争の結果を変えるために、レオを殺しにこの現代へ来たそうだ。レオさえ殺せれば、モルドヴィス王国解放戦争の結果が変わるらしい」
すると、海馬がそう言った次の瞬間、その場にいる全員の視線がレオに向けられた。
「貴女が日本に味方を作りに来た理由は、そのモルドヴィス王国解放戦争とやらに参加してくれる創造者やらを捜す為、だな?」
アルスは、自分の両手をぎゅっと握りしめながら、俯き加減でそっと呟いた。
「はい……」
「よし、これで全て結論がついたな。……で、実際に見つけられたのか? その味方とやらは」
「……まぁ、いくつもの創造者にコンタクトを取り、実際に何人かの創造者には会うことができました。あなた達は知らないでしょうけど、レオは私がコンタクトした創造者に実際に会う際、護衛として私に付いてきてくれたんですよ」
「本当か?」
海馬はレオの顔を覗き込みながらそう訊くと、レオは少し申し訳なさそうな表情をしながら「はい……」と呟いた。
「確かに全く知らなかった……。つまり、言い方は悪いかもしれないが、レオは俺達を騙していたってことだな」
するとその言葉に、レオは慌ててアルスの側から海馬の目の前へと躍り出た。
そして次の瞬間、レオは海馬に向かって土下座をした。
「誠に申し訳ありませんでした」
「おいおい、そういうのは止めろって」
海馬は慌ててソファから立ち上がると、地面に頭をこすりつけているレオの額を地面から引き上げる。だが、レオはそんな海馬に反発して、土下座を続けようと試みる。
海馬は、こんな押し問答無駄だし意味がないと思い、次の瞬間、レオを向こう側の壁まで蹴っ飛ばした。蹴っ飛ばされたレオは身体が宙に浮き上がりながら向こう側の壁へと激突すると、すぐさまその場に立ち上がりはじめた。その場に立ち上がったレオの額からは、血が流れていた。
「なに、すんすか……」
「俺が止めろって言っても止めなかったからだ。俺は別に、お前に騙されたとか思ってねぇ。お前がいなきゃ、〈ReGion〉を壊滅させることはできなかった。だから逆に感謝してるくらいだ。だがまぁ、その〈ReGion〉ができた理由というのが、お前の存在のせいというのはまぁなんというか……皮肉なもんだな」
「本当に、申し訳ありません」
レオは深々とその場で頭を下げた。
「だがもうこうなったら、全部運命だろ。運命にどうたらこうたら言うだけ無駄だ。で、実際に味方は作れたのか?」
頭を深々と下げているレオから視線を移して、アルスの方を見ながら海馬は途中だった話を再度訊いた。
「いや、それが……誰一人、私になんて力を貸してはくださりませんでした」
「まぁ、正直だろうなって思う。申し訳ないが、それが正直な意見だ。どこの国でもそうかもしれないが、この国の創造者は特に捻くれ者が多い。モルドヴィス王国の創造者と比べると、明らかにこの国の創造者は皆自分勝手なんだ。だから……まぁそうだろうな」
そう言うと、アルスは目に見えて落ち込みはじめた。その姿を見て、いつの間にかアルスの側の自分の定位置に戻ってきていたレオが、アルスの肩に手を置いた。海馬はそんな二人の姿を見て――まだ二人とも若者らしい若者って感じだな、と思った。
三十八歳の海馬と比べて、レオは二十二歳と若く、アルスの年齢は分からないが多分レオと近いだろう。そう考えると、そんな若者二人が、自分達の目的の為に大きなリスクを負ってでも行動をしている姿に、海馬は胸が揺さぶられた。
だから海馬は、そんなアルスを励ます為ではないが、こんな言葉が自然と口から溢れた。
「俺らが、その戦争に参加することはできるか?」
「……っ!」
アルスは、目に見えて落ち込んでいたその顔を上げ多少明るくした。
「でもその前に、貴女の口から直接その戦争について聞きたい。どんな目的で、どんなことをするのか、教えてくれないか?」
「……えぇ、勿論」
アルスは、思わず涙を少し溢した。頬を伝う涙を、その美しい純白の手で拭うと、アルスは言葉を紡ぎ始める。
「私の母国であるモルドヴィス王国には、沢山の腐敗が存在しています。その一番の代表例が〝奴隷〟の存在です。私は、この2050年という現代において、まだ奴隷など抱えている我が国が大嫌いなのです。それ以外にも沢山の見過ごせない部分があり、私はモルドヴィス王国を滅ぼしたいと思いました。そして実際にモルドヴィス王国を滅ぼす為に、私はモルドヴィス王国を統治するモルドヴィス王家の人間を〝鎮圧〟したいと思っています。……ですが、フェデリックの言葉通りならば、その鎮圧は失敗し、戦争になるのでしょうね。それでも、私はモルドヴィス王家の人間を殺したい。特に、お母様を」
「自分の母親を殺すのか?」
「はい、そうなりますね。モルドヴィス王国はトップを女が――つまり〝女王〟が務めます。なので順当にいけば私が次のモルドヴィス王国のトップになるでしょう。ですが、私はモルドヴィス王国という国自体が嫌いなのです。そんな嫌いな国のトップになったって、しょうがない。だから昔はそんな自分の立場が嫌だった。ですが、今は感謝しているところもあるんですよ。私は、次期モルドヴィス王国女王です。そのため、お母様ではなく私に忠誠を尽くしてくれている兵士も数多くいます。だから――」
「よく分かった」
海馬がアルスの言葉を遮った。
「フェデリックが教えてくれた未来が、この世界の未来なのかはまだ確定していない。未来は常に不確定で、この世界において確定された未来があるとするならばそれは、人間はいつか必ず死ぬ、ということくらいだ。確定された未来なんてない――だから、戦力は多い方が絶対いいだろ? 俺達も参加するよ、その貴女の作戦に」
その言葉に、アルスは思わず大粒の涙が溢れ出て止まらなかった。両手で流れ出る涙を必死に押え続けるが、大粒の涙は両手をすり抜けて太ももにボタボタと溢れ落ちる。
アルスは、喉を鳴らしながら、涙声になりながら言った。
「……ありがとうございますっ!」
海馬はそんなアルスに、強く頷いた。
「お前達もいいよな? 〈エレジウム〉として参加するの」
海馬は、メンバー全員の顔を見渡しながらそう訊くと、その場に居るメンバー全員が微笑を浮かべながら首を縦に振っていた。
「あの、泣いているところ申し訳ないんだが、あともう一つだけ、訊いていいか?」
大粒の涙を流しているアルスに海馬はそう言うと、アルスは「ごめんなさい……ちょっと待ってください……」と言いながら頬を濡らしている大粒の涙を頑張って拭った。だが、拭えど拭えどアルスの頬に乾きは戻らず、少し間、ずっとアルスは泣いていた。
そして三十分後、廃工場の真隣にある砂浜で一人ぼーっとしていた海馬の元へ、アルスがたった一人でやってきた。海馬はたった一人でやってきたアルスに「レオは連れてこなかったのか?」と言うと、アルスは微笑を浮かべながら答えた。
「レオは可愛い男の子に凄く好かれて、身動きが取れないようですよ」
すると海馬は、冗談混じりに独り言のように呟いた。
「お付きの騎士がそれでいいのかよ」
アルスは海馬の隣に着くと、海馬の横顔を眺めた。その視線を感じて、海馬は本題に入った。
「さっき訊けなかった質問、していいか?」
「いいですよ。どうぞ」
「〈ReGion〉との戦いの時、レオはいつもの雰囲気とは全然違う雰囲気を纏っていたんだ。アレは、一体なんなんだ? レオの飼い主である貴女なら分かるかな、と」
するとアルスは、やや自信なさげな口調で言った。
「直接見てないので正確には分かりませんが、恐らくそれはですね……私が〝臨界モード〟と呼んでいるレオの状態だと思います」
「臨界モード?」
「はい。つまり〝ゾーン〟に入っている状態のことです。レオは戦闘の最中、たまにゾーンに入ることがあります。あなただって、戦闘中にゾーンに入った体験くらいはあるでしょう。でも、ゾーンというのはそう何回も易々と入れるものではない。でもレオの場合、ゾーンに入る回数が異常に多いのです。それが何故だかは分かりませんが、実際にレオがそうやってゾーンに入る光景を私は何度も見たことがあります。何故だかは分からないけど何故か容易にゾーンに入ることができる――それがレオの強みなのだと思います」
その言葉に海馬は、そんなことあるのかとあまり納得できないながらも、でもレオだったらあり得なくもないかと思い、コクコクと頷いて応えた。




