全部滅茶苦茶⑦
海馬は、自分が死の危険に瀕しているからか、見上げたアルス姫の姿がまるで〝女神〟のように思えた。いや……仮に正常な状態で出会ったとしても、目の前のその神々しい姿は、本当の女神のように思うだろうとも同時に海馬は思った。
戦闘員の首を切り落とし、自分のことを助けてくれた人物は、目の前のアルス姫以外におらず、海馬はどこからともなくやって来た〝女神様〟に助けられたことに、緊張が一気にほどけた。
海馬からしたら、アルス姫はレオと同じくらいの年齢に見えた。透き通るような色白の肌に、腰まであるロングヘアは金髪で、その出で立ちはまさに一国の姫にふさわしい。だが、そんな第一印象とは裏腹に、アルス姫は紅く黒い〝鎌〟を持っていた。それで戦闘員の首を切り落としたのだろう。
海馬は、掠れゆく意識の中でアルス姫を見上げながら言った。
「貴女が何故ここにいる……。レオは貴女のことを捜しにこの国に来たんだぞ……。こんなこと訊くのも失礼かも、しれないが……貴女は本当に、アルス姫なのか……」
その言葉に、視線を落として海馬を見ていたアルスは一度咳払いをし、管制室の方へ視線を移しながら呟いた。
「今はそんなことを話している時間はありません。セレニアに出くわす前に早くここから逃げましょう」
アルスはそう言うと、廊下に倒れ込んでいた海馬を持ち上げて支えた。そして海馬に肩を貸し、ゆっくりと管制室へと海馬を連れて行った。
――なんなんだこの状況……俺は夢でも見てるのか?
全く想像もしていなかった展開に、海馬は目の前の現実が夢ではないかと思った。意識が混濁していて、脳が創り出した幻想であった方が海馬にとっては納得しやすかったが、どれだけ意識が薄れていっていると言っても、アルス姫が自分を支えて管制室へと向かっていることは明らかに現実だった。
アルスは顔色ひとつ変えずに海馬を支え、海馬を管制室へと連れて行った。
管制室に辿り着き、中へ入ると、埃っぽく具合が悪くなりそうな環境にアルスは咳き込んだ。管制室に入ってきた人物が海馬だということに気がついた廉斗が、二人の元まで近づいた。
「海馬さん……どうしたんすか、全身傷だらけっすよ……。それにお姉さん、貴女は?」
「私はアルス・ルミナス・モルドヴィス。レオ・アルバトロスの飼い主です」
「えぇ!?」
時間の経過と共に身体に力が入れづらくなり、アルスへ預ける身体の比重がどんどん強まっていっている海馬は、今にも倒れそうな声で言った。
「多分……本物のアルス姫だ。死ぬ寸前だった俺を助けてくれた……」
すると、海馬はアルスの肩を滑り落ちるように床へと倒れ込んだ。
「か、海馬さん。ど、どうしよう……これからどうしたらいいんだろう……」
頼みの綱だった海馬が大きく傷つき、正常に動ける人間が自分だけとなった状況に、廉斗は混乱しそうになった。そして目の前に、本当に信じていいのか分からないアルス姫を名乗る女もいて、廉斗はもうどうしていいのか分からなくなった。すると、
「この男が霧島海馬でいいんですか」
アルスは廉斗に訊いた。
「あ、はい……そうっす。海馬さんが戦えないとなるとここから安全に抜け出すのは難しいかもしれない。だから……その、アルス姫さん、なんとかなりませんか?」
「なんとか? あなたは戦えないのですか?」
「いや、まぁ……そんなこともないですけど……。レオ君から色々と教えてもらったことはもらったんすけど……でも、実戦なんて何回やっても怖いし慣れない……」
「ほお、あなたはレオに色々と教えてもらったんですね。……なら、大丈夫でしょう。知っているかもしれませんが、彼は私の専属の護衛なんです。私はレオに心の底から最大限信頼をおいてますし、勿論彼の性格も熟知しています。レオは、教えるのも上手い。だから、私はあなたを信頼することにします。霧島海馬が戦えない今、あなたが先頭に立ちなさい」
「……えぇ!?」
海馬の代わりになれと言われたことに、廉斗は驚き吐きそうになった。だがそう言ってきたアルスの表情は真剣だった。本当に、心の底から信じてくれているような目つきに、廉斗は覚悟を決めた。
「わ、分かりました……。そこまで言うのであれば、先頭に立ちます。皆さんを安全にこのビルから脱出させます」
「それでいい。……私達には時間がない。さっそくこのビルを抜け出しましょう」
そう言ったアルスは、海馬と那奈に、それぞれ二個づつ小さな物を渡した。
それは携帯用の吸入器タイプの興奮剤だった。
「このビルの備品のようですが、緊急時なので盗んだこと許してくださいね」
アルスはそう言うと、吸入器に手を伸ばし、興奮剤を吸入しはじめた海馬と那奈を横目に、管制室の扉を開けて外へと出た。
少なくともこの階に自分達以外の生体反応は感じられない。これなら安全に下へと降りられるかも――とアルスは思った。
興奮剤の吸入により、一時的にだが復活を遂げた海馬と那奈が立ち上がると、だがまだ二人の足取りは不安定なものだった。この調子じゃ、海馬が戦うことなどやはり無理だ。そのとき、那奈が足を滑らせ倒れそうになった。廉斗はそんな那奈を床に落ちる前に捕まえた。
「元気の前借りなんすから、ゆっくりいかないと」
体調が悪いのか顔色の悪い那奈に廉斗は言葉をかけた。
「安全に降りるにはどうするのが一番ですか?」
アルスが三人に向かって訊くと、海馬が答えた。
「フロアの端に非常階段がある。俺と廉斗はそれを使ってここまで来た。フロアの端だ」
そう言うと、海馬フラついて倒れそうになった。それをアルスが捕まえた。またさっきみたいに海馬のことをアルスが支えた。
「姫様なのに……すみませんね。支えてもらって、申し訳ない」
「気にしないでください」
四人はゆっくりと螺旋階段へと向かって行った。最初来た時には死体の山が築かれていた管制室前の廊下も、水の魔神となった海馬の攻撃によって今は綺麗さっぱり片付いていた。その代わりに、同じく水の魔神となった海馬の攻撃によって、グラン・タワービルには大きな破損が見受けられた。もうこの様じゃ、グラン・タワービルは長らく機能停止だろうなと海馬は朧気に思った。
螺旋階段に着き、廉斗が重い鉄の扉を開け螺旋階段の中を見ると、自分達が来た時と同じように敵の気配が全く無いことを確認してから、四人は螺旋階段へと入った。四人はゆっくりと螺旋階段を降り始めた。
重症人二人を介抱しながらな為、来た時と比べたら驚くほど遅々とした歩みであった。そんな遅々とした歩みの最中、アルスに支えられていた海馬が廉斗に言った。
「なぁ廉斗、俺は姫様が助けに来てくれなきゃ死んでたぞ」
海馬は、冗談半分、本心半分で言った。
「す、すいません……。まさかそんなことになっているとは思ってなかったんですよ」
「物音で気づいてほしいなぁ。それと、感覚」
「感覚? ……あの、ここで訊く話じゃないかもしれないっすけど、〝感覚〟ってなんなんですか? 最近よく聞くんですよね、その言葉。レオ君からもよく聴くし」
すると海馬は、意識が朦朧とし息を苦しそうにしながらも言った。
「優れた戦士は、周囲の生体反応が詳しく分かる。それは数多く経験を重ねていかなきゃ身につかないものだが、逆に言えば経験を沢山積んでいけば、ある程度誰でもそういう感覚を身につけていくんだよ。中にはただの感覚で説明できないような奴らもいるけどな」
「どんな奴です?」
「たとえば、さっき俺が言った〝周囲の生体反応が詳しく分かる〟というのはオーソドックスなものとして、そこから発展して、広範囲な戦場の状況が手に取るように分かるとか、相手の思考やこれまでの経験を匂いで分かるようになるとか……まぁ色々と、理屈で片付けられないような奴らはいるよ」
「確かに、なんとなくっすけど心当たりあります。レオ君だったら、殺意の匂いが分かる、とか。一回、そんなことがありました」
「ほお、そうか。確かにレオだったらそのくらい分かっても不思議じゃないな」
その会話を最後に、長らく言葉は四人の間に交わされなかった。
降り始めてから二十五分ほど経った頃、那奈が口を開いた。
「ねぇ海馬……甘臨の姿を見なかった?」
螺旋階段を降りる音以外何もなかった空間に那奈の言葉が響くと、海馬は自分の頭の中を探りながら答えた。
「見てねぇな」
「そう……。これは私の妄想かもしれないけど、もしかしたら甘臨は誘拐されてるかも」
「なに?」「マジッすか?」
思ってもみなかった言葉に、海馬と廉斗は思わずその場に足を止めた。一旦その言葉を咀嚼し飲み込む為の時間が流れると、四人は再度降り始めた。海馬は気持ちに揺らぎを感じながらも、自分の考えを言った。
「甘臨に限ってそういうことはないんじゃないか? だってほら、甘臨の逃げ足の速さ知ってるだろ? 甘臨が見当たらないことは事実だが、誘拐されたなんて……」
「分かってる。だから、これは私の妄想かもしれない。だけど……可能性はあるんじゃない? 五神人のセレニアがここに来てた。私は彼に襲われた。嵐山と鎌田はセレニアに殺されたのよ」
「マジか……」
「勿論、妄想だったらそれが一番。だけど、甘臨は私達にとって大きな戦力だから、敵がそこを狙ってくるのは別になんらおかしい話じゃない」
「まぁ、そうだな」
そんな可能性の話をしている間に、四人はやっと一番下まで辿り着いた。そうして、四人はグラン・タワービルの外まで出た。肺が喜ぶような新鮮な空気を、四人は吸い込んだ。
海馬は、螺旋階段を上った時のことが遠い昔の話のように思え、傷だらけではあるものの、一応無事に降りてこれたことにどっと疲れが舞い込んできた。海馬は思わず、その場に座り込んだ。そして、海馬はアルスの姿を見上げながら言った。
「助かりましたアルス姫。ここまでのこと、本当に感謝します。最後に、訊いていいですか」
「ええ、どうぞ」
「レオは、モルドヴィス王国から突如失踪した貴女を捜しにこの国に来た。でも、貴女は面識もないような俺なんかを間一髪のところで助けてくれた。……貴女、一体何者なんです? 一体何をしにこの国に来たんですか? レオの存在、そして貴女の存在、俺はなにを信じればいい? 何を本当だと思えばいい?」
アルスは、黙った。短くない時間、沈黙が続いた。それが無限に続き何も話す気がないのであれば、そのままその場を立ち去ろうと思った海馬であったが、もう少しだけ時間が流れると、アルスは口を開いた。
「貴方が信じたいように信じればいいと思いますよ」
それだけを言うと、アルスはその場から立ち去った。海馬にはそれを追いかけるだけの体力も気力も無かった。今はただ、当初の目的であった那奈を助ける事を果たせただけで充分だった。




