全部滅茶苦茶⑤
グラン・タワービルに辿り着いた海馬と春次と廉斗の三人は、その目の前の惨状に現実感を失った。
グラン・タワービルの周りには、まるでテロでも起きたのかと思うほど、死体や瓦礫が転がっていた。大量の血痕もあちらこちらに見つけることができ、何と何と何が混ざったのかも分からないような気持ちの悪い匂いがそこら中に漂っていた。そんな悪臭と形容するのも違うような気持ちの悪い匂いに、廉斗は思わず自分の鼻をつまんだ。
海馬はグラン・タワービルを見上げた。ラジオで聴いていた通り、グラン・タワービルは火災にも見舞われていた。約半世紀ほど前に、その当時覇権国だった某国で起こった最悪のテロのパロディみたいな様相だと海馬はふと内心思った。
グラン・タワービルの足下やその周囲は大きな公園になっているため、多少離れた場所にではあるが数多く野次馬が存在していた。海馬は野次馬が入らないように警備にあたっていた警察官の一人に話しかけた。
「霧島海馬だ、状況を教えてくれ」
海馬は自分が日本政府外部組織の人間であることを示す手帳を見せながら言った。
「はい。只今起こっている騒動は、約一時間前に始まり、グラン・タワービル内部にはまだ襲撃者が居ると思われているものの、現在は膠着状態となっています――」
警察官は、その一時間前の騒動の始まりから、現在に至るまでの話を事細かに伝えた。
その話は、要約するとこのようなものだった――まず、約一時間前の二十二時に突如としてグラン・タワービルの一階にて爆発が起きた。その爆発を皮切りに、どこからともなく武装した人間(恐らく心の境界線を越えたアンドロイドだろうとその警察官は言っていた)が入ってきて、ビル内の人間を皆殺し始めた。そして、ビル内では大規模な戦闘が行われ、現在はその戦闘の音もほとんど静まり膠着状態に陥っている、と。
海馬はその説明を聞いて、今回のグラン・タワービル襲撃は、同ケースにおける考えうる限り最悪のケースだと思った。何故そう言えるのか――それは、グラン・タワービル内部に最初の爆発の前から既に心の境界線を越えたアンドロイドが大量に潜伏していたからだ。
グラン・タワービルは、外からの侵入を大きく拒む。五十階建ての構造をしていながら、その実機能は三十階から上に集約されている。下の二十階は、ほとんど無関係のハリボテと言っても過言ではないため、実機能を持つ上階への到着を許す前に普通であれば対処できるはずなのだが……。
今回ばかりは、もう既に大量の敵がグラン・タワービル内部に居たのだ。海馬は皇祭から心の境界線を越えたアンドロイドと人間とを見分けることができる〝メガネ〟を受け取り、そのメガネを身につけながらグラン・タワービルに帰ったとき、心の底から驚いた。グラン・タワービルには、心の境界線を越えたアンドロイドが想像以上に数多く居たのである。
これを、グラン・タワービル襲撃における最悪のケースと呼ばずにどうする?
警察官から状況を聞いた海馬は、春次と廉斗の元へ戻ると、二人に訊いた。
「二人はどうする? どうやら那奈はまだ中に居るらしいから、俺はアイツを助けに行く。そのためにここへ来たんだ」
すると、廉斗は不安混じりの表情で言った。
「俺も……行きます。連れて行ってください。レオ君に鍛えてもらったその結果を見せたいんです」
「……別にいいけど、死ぬなよ。俺は人を助けに来たんだ。逆に死なれちゃ困る」
「はいっ!」
廉斗が元気よくそう返事をすると、春次は、
「僕はここら辺で待ってるよ。なぁ、海馬……湯田を殺したこと忘れてないだろうな。お前は――いいや、僕達は、今の日本じゃ犯罪者扱いされるぞ。まだ情報が広まってないだけで、いつ捕まったり殺されたりしても全くおかしくないんだ。だから一応……僕は隠れてる。帰る時は連絡してくれ」
「おう」
そう言うと、海馬と廉斗の二人はグラン・タワービル内部へと入って行った。
グラン・タワービルの一階は、受付やカフェやコンビニやモニュメントなどがある、よくある空間となっているのだが、妙に静かだった。
この一時間の間に、何がこの場所で繰り広げられたのだろうか。この一階の空間には、死体が大量に転がっていた。小規模な戦争でも起きたのかと思うほど大量に転がっている死体の数々に、二人は気分が悪くなりはじめた。
那奈が居るとしたらそれは恐らく上階であることを海馬は分かっていた為、二人は上階をひとまず目指した。
こういうときは非常階段を使う他なく、二人はフロアの端っこにある重い鉄の扉を探した。照明が落ち、時間帯も相まって現実は輪郭しか見えない。そんな中でも、二人はフロアの端にあるという記憶だけを頼りに、死体の山を乗り越えて非常階段をなんとか見つけ出した。
非常階段を意味する鉄製の重い扉のドアノブを捻ると、だが扉は開かなかった。
困った海馬は、手のひらから一本の水の剣を創り出した。そしてその水の剣を、鉄の扉の右上に突き刺した。剣の刃は難なく分厚い鉄の扉を貫通した。海馬は水の剣を左に、そして下に、右に、そして上へと持ち上げると、扉の真ん中部分に真四角の穴が開いた。真四角に切られた分厚い鉄のプレートが手前にズドンと倒れてきた。
「水でも切れるんすね。凄いっす!」
「水の鋭さ舐めんなよ」
冗談交じりに海馬が言うと、廉斗はケタケタと笑った。
「ほら行くぞ」
海馬は鉄の扉に開けた真四角の穴に身を屈めて入り、向こう側へと行った。
「いいなー俺も創造者になろうかなー」
海馬に続くように、廉斗も穴を通って非常階段の空間へと入った。
非常階段は螺旋状に無限に上へと伸びていた。
目指すのは最低でも三十階。これを上っていくのかと思うと気が滅入ったが、そんなことを思っている間にも刻一刻と那奈の生存率が下がっている感覚が海馬にはあった為、より急いだ。だが幸いなことに非常階段には血の匂いは一切していなかった為、少なくともこの螺旋階段の中で戦闘をすることになる可能性は低そうだ。
二人は短くない時間をかけてグラン・タワービルを上へ上へと上って行った。
十分後、二人は四十階に辿り着いた。
上っている最中に、海馬が思い出したかのように管制室に行くことを決め、四十階に来た。予想していた通り、ここまで来る間に誰かに会うようなこともなく、戦闘に発展するようなことも勿論なかった。
四十階、管制室のあるフロアの廊下に出た二人は、グラン・タワービル内で一番時間を過ごしてきたこの場所が地獄のような様相に様変わりしてしまっていることに溜息を漏らした。
このフロアの廊下は至る所に死体が散らばっており、死体で足の踏み場もないほどだ。特に、管制室前の廊下は、酷かった。死体がこんなにも重なって存在しているところ見るのは海馬も初めてだった。そんな死体の山を虚ろな目つきで見つめていた海馬は、漏れ出すような廉斗の言葉によってその現実を知った。
「あ、あの……海馬さん、これ……こ、この死体……見覚えがある気がする」
「ど、どれだ」
「あれです。あの二つ。……やっぱりそうだ、嵐山さんと鎌田さんだ」
顔見知りが死んだことに気がついた廉斗は、強烈な吐き気に襲われはじめた。
――そうか……二人とも死んだか。
そんな廉斗と裏腹に、海馬は冷静な内心をしていた。自分でも驚くほど、冷静だ。
本当に吐きそうになっている廉斗を横目に、海馬は言った。
「時間がない、行くぞ」
すると、廉斗は訝かしげな目をした。
「い、行くって、ここをですか?」
二人の目の前には、死体の山があった。しかもその山の中には知り合いの死体もある。だがそこを通らなければ管制室には行けない。迂回路もあるが、そっちの方も同様に死体の山が築かれていた。
そう言ったものの、海馬だって怖かった。死体の山の上を歩く経験がないわけではなかったが、このような経験は人生の中で何回もするようなものではない。だから、海馬は身体を水に変形させて数秒宙に浮いて通ることにした。
死体の山の上を浮いて通る海馬を見て、廉斗は心の底から叫んだ。
「いいなぁ海馬さん! 俺は死体の上歩くしかないんすけど! やっぱり俺も創造者になろうかな!」
「ほら、早く行くぞ」
もう既に死体の山を越えた海馬に急かされた廉斗は、苦虫を噛み潰しているような顔をしながら死体の山の上を通った。その様はまるで、地獄に落ち針山の上を通る罪人のような足取りだった。
そうして管制室に辿り着いた二人は、管制室の扉の前で一度足を止め、中の気配を窺った。生命反応は感じるが、大勢ではない。居るとしても二、三人。海馬は次の瞬間、管制室に突撃した。
真っ暗で埃っぽいところは、いつもの管制室となんら変わらない。だが、至る所にあるディスプレイが点いていないというだけで、管制室はより暗闇が深くなっていた。
そんなより深くなった暗闇を二人は凝視していると、そこに一人、人間の輪郭を捉えた。
海馬はその人間の輪郭に一歩、二歩と近づくと、それは最初こそ甘臨だと思ったが、実際には那奈がそこにいた。
「ここに居たか」
那奈は、頭から血を流していた。それは顔が大きく隠れるほどの流血量だった。そのため、暗闇も相まって那奈がどんな表情をしてそこにいるのかが分からなかった海馬だったが、全身の雰囲気で分かる。那奈は酷く怯えていた。
何があったんだ――海馬は内心そう呟きながら、不明瞭な中ではあるが那奈を観察した。あいにくライトなどは持ってないが、那奈は重傷を負っているわけではなさそうだった。が、全身は傷だらけで、至るところに痣も確認できた。呼吸も荒く、今にも死んでしまいそうな気迫がそこに感じられた。
「那奈、俺だ。どうした何があった。教えてくれ」
那奈は首を横に振った。心が今にも壊れてしまいそうだと訴えているみたいだった。
「……分かった。とりあえずここを出るぞ。話はそれからだ。……俺が来たんだ、もう安心だろ? ……だから、もうそんなに泣くなって……」
那奈の頬を撫でると濡れていた。海馬のその言葉に、那奈はより一層大粒の涙を流して〝うん〟と頷いた。
海馬はおんぶをしてやろうかと身を屈めて背中を見せた。すると那奈はおとなしくその背中に身体を預けた。
コツコツコツコツコツコツコツコツコツ。
「なんの音だ?」
急に現れた音に驚き、海馬は扉の近くにいた廉斗に訊くと、
「誰か来たみたいっす!」
敵じゃなきゃいいが――海馬は内心そう思ったが、一抹の不安はゆっくりと、だが着実に肥大化していっていた。




