命を灯したサンドバッグ②
「日本での生活には慣れたか?」
自分の左斜め後ろを歩いているレオに向かって、海馬は振り向くことなく訊いた。
「おかげさまで慣れました。良いところですね、日本は」
右斜め前を歩いている海馬に向かって返した。
レオが救った二人の姉弟を政府管轄の養護施設に連れて行くためにグラン・タワービルを出たレオと海馬の二人は――レオは弟の方を、海馬は姉の方をそれぞれ抱っこしていた。レオがグラン・タワービルまで二人を連れていく頃にはもう、姉弟は二人とも疲れからか眠っていて、今も眠り続けていた。
「お前の国はどうなんだ?」
「モルドヴィス王国ですか?」
「ああ。日本人は皆知りたがってるぞ、モルドヴィス王国のことは。同盟国だからな。しかもレオみたいな国の中枢にいる人間に訊ける機会なんて、早々ないだろ」
「確かにそうですね」
何から話せばいいのか、何を話した方がいいのか、何を隠さなければならないのか――レオは慎重に自分の身体の中の言葉を探った。
少しの沈黙が両者の間に訪れて、その間にもいくつもの路地を抜けて目的地へと着々と進んでいる。今歩いているところは謂わば、昔日の日本がそのまま残っているような場所と言える。昔日、と言ってもせいぜい三十年から五十年ほど前の、普通の日本の住宅街であるが。
「モルドヴィス王国と日本は同盟国ですけど、大きく違うところがあります。それは文明レベルの差です。初めて日本に来た時驚きましたよ、まさか関東全域が壁に囲まれてるだなんて」
「まぁ……それはあれだな、あんまり文明レベルとか関係ないかもしれないな……。でも噂話程度には聞いたことがあるぞ、モルドヴィス王国は文明レベルが日本と比べて……こういう表現をしていいのか分かんねぇけど――」
「遅れてる、って、自分達でも自覚してますよ。今でも中世ヨーロッパみたいな生活してますからね。でもいいんですそう言われても、我々には我々なりの意義がそこにはあるので」
「ふーん、そうか」
それから、目的地に辿り着くまで二人の間に言葉が交わされることはなかった。
この辺りはグラン・タワービルのある場所と違って雨が降っていたのか、じめじめとした蒸し苦しい暑さが漂っていた。それでも一歩路地裏に入るとそんな蒸し苦しい暑さは多少は軽減されて、路地裏を抜ける頃には日向へと足を踏み入れることを躊躇ってしまう。
そんな、六月の上旬。
「ここですか、普通の一軒家なんですね」
「あぁ、まあな。政府管轄の養護施設と言っても色々ある、たまたまここは小規模な一軒家ってだけだ。案外こういう小規模な方が過ごしやすいしな、俺はこっちの方が好きだわ」
日本の普通の住宅街にある普通の一軒家、だけどレオからしたらそれが新鮮だったのか、目を大きく見開いてそれはいつしか輝きに変わっていた。
そんなレオを横目で捉えながら、海馬は軽く笑みを浮かべながらインターホンを押した。
するとすぐに中から一人の若い女性が出てきた。
エプロン姿で出てきた若い女性は、レオの方を一瞬だけ見て少し驚いたような表情を見せながらも、すぐさま海馬の方へ視線を移した。
「どうしたの、海馬さん。海馬さんが直接訪ねてくるだなんて大事件?」
「事件でもそうじゃなくてもなんでもいいけど、子供を拾った」
「また?」
「あぁ」
「やっぱり海馬さんってちっちゃい子好きなのね。まぁそうじゃなかったら海馬さんらしくなくて大事件だけど」
「いや、今回は俺じゃなくてこの子が」
海馬は隣りにいるレオの方に目を配った。
レオは軽く会釈をした。そんなレオにエプロン姿の若い女性も軽く会釈を返した。
すると、エプロン姿の若い女性の周りに、家の奥から子供たちが出てきて数人ほどが取り囲んだ。どの子も皆小学生以下だろうちっちゃい子供たちで、レオと海馬が今それぞれ抱えている姉弟となんら変わらないような年齢に思える。
「これだったら安心だな」
「ですね」
レオと海馬は顔を合わせて笑い合うと、足下で小さな侵略者たちに襲われあわあわしているエプロン姿の若い女性に海馬は抱えていた女の子を渡した。レオもタイミングを見計らって男の子を渡した。
「なんかあったらまた来るわ」
「はい、お願いします」
その時だった。
シュー……。
突然、近くで爆発音が聞こえた。
まるでミサイルが着弾したかのような大きな爆発音と衝撃に、レオと海馬は身構えた。
「レオ、通信デバイス持ってきたか?」
「いや、グラン・タワービル内の自室に置いてきました」
「俺もだ」
ミサイルか、そうではないにしても何かしらが遠くから飛んできて着弾したことは自明だった。着弾地点はそう遠くない場所だろう、周囲が少し煙っぽくなってきた。
「中に入ってろ、絶対に護るから」
背後を振り返り、心配そうな表情を浮かべていたエプロン姿の若い女性に向かって海馬は言った。
その言葉に若い女性が感謝を告げ、子供たちを引き連れて家の奥へと逃げると、海馬は家のドアを閉めた。
「レオお前さっき戦ったばっかだろ」
「まぁそうですけど……」
「相手の人数にもよるが、俺に任せてくれないか。レオは家を護ってくれ」
レオは一瞬戸惑った。だが、海馬の横顔の鋭さに心の内側にあった戸惑いを一瞬にして捻り潰した。
「分かりました」
それに関して直接的な会話を交わすことがないながらも、レオは海馬の言わんとすることがちゃんと理解できた。
飛んできたのはミサイルなどではない。恐らく、飛んできたのは心の境界線を越えたアンドロイドだ。人数は不明。だが海馬さんはそれを覆す、いや、人数なんて関係ないと言える根拠があるのだろう――レオは内心そう思って、自分のやるべきことに集中した。
レオは家の屋根に登って、周囲を見渡した。
敵はもう、すぐそこまで来ていた――
海馬は着弾地点まで走って行った。着弾地点はレオが護る養護施設の一軒家から北に五十メートルほど行った場所であり、それはレオからも直視できる距離であった。
三十年から五十年ほど前の、普通の日本の住宅街はとても閑静だ。さっきのミサイルが着弾したかのような大きな爆発音と強い衝撃を除けば、この場所は今この関東圏の中で一番〝平和〟と呼べる場所かもしれない。だがそれも、両者の邂逅により、脆く崩れ去る――。
遠くから飛んできた心の境界線を越えたアンドロイドは二人のようだった。海馬が着弾地点に辿り着いた頃にはもう心の境界線を越えたアンドロイドは起き上がっていた。
「派手にやったな」
ここは住宅街、心の中ではそうならないように祈っていたが、ある種想像通りに一軒家が着弾の際の衝撃で潰れて跡形もなくなっていた。それは周囲の様子を見ても同じで、着弾地点から半径二十メートルほどが更地になっていた。
しかし、二人の心の境界線を越えたアンドロイドは見るからに〝雑魚〟だった。
これなら一瞬で片付けられる――そう海馬が思った瞬間だった。
「月星弾頭っ!」
一人の心の境界線を越えたアンドロイドのミサイルと化した腕が、海馬の方へ飛んだ。だが、ミサイルと化した腕は海馬からは大きく外れた。
海馬は一瞬笑みを浮かべたが、次の瞬間には険しい表情を浮かべた。
何故ならば、月星弾頭をした心の境界線を越えたアンドロイドがレオの護る一軒家の方向へ飛んだからだった。海馬は目の前で機を窺っているもう一人の心の境界線を越えたアンドロイドに意識を向けながら、もう半分の意識を使ってレオに向かって叫んだ。
「悪いレオそっちに一人行ったっ!」
海馬はすぐに目の前の心の境界線を越えたアンドロイドへと視線を戻し、先手必勝とでも言うかのように、
「残心槍雨っ!」
手のひらから水で創った二本の槍を繰り出した。
海馬の手のひらから創り出された二本の槍は目にも止まらぬ速さで目の前の心の境界線を越えたアンドロイドを貫いた。心の境界線を越えたアンドロイドの身体に当たった衝撃で二本の水の槍は弾け散ると、辺り一帯に気持ちの良い小雨の後のような霧が漂った。暑さが加速し始める六月上旬の気温はほんの少しだけ涼しさを帯びた。
心の境界線を越えたアンドロイドが何も出来ずに地面へと鈍い音を立てながら倒れ込むと、海馬は誰がズボンのポケットにねじ込んだのか分からない煙草の箱を取り出し、任務完了という素振りを見せながらレオの方向を向いた。
海馬の視線の先のレオは、屋根の上で心の境界線を越えたアンドロイドとの戦闘に入っていた――
海馬の言葉の叫びを確かに受け取ったレオは、鞘から剣を抜いて構えた。
心の境界線を越えたアンドロイドは、月星弾頭を推進力にして飛んできたようだった。飛んできた心の境界線を越えたアンドロイドの月星弾頭は未だ勢いを保っていて、一軒家の屋根の上でレオの剣とぶつかり合った。
剣と月星弾頭がぶつかり合うと、周囲の空間がガタガタと微震のように揺れ始めた。膨大なエネルギーとエネルギーのぶつかり合い、このような膨大なエネルギーを受けたことがこれまでないわけではなかったが、レオはぶつかり合った瞬間は自分の体勢を保つのに精一杯だった。だが自分の体勢が確保されると、レオは遊撃と戦った時のような、月星弾頭を受け止めた剣を押し返すようなことはせず、それまで両手で握っていた剣を右手だけで持ち、左手で相手の胸ぐらを掴んだ。
そして、思いっきり相手を屋根へと叩きつけた。
「ぐふぁっ!」
白濁色の血が屋根の上に飛散した。
そして次の瞬間には、レオは剣で相手の胴体を背中から突き刺し殺していた。
戦いが終わると、この三十年から五十年ほど前を色濃く反映する普通の日本の住宅街に、静寂さが戻ってきた。屋根に登っているから? それとも生命を模倣した限りなく人間に近い機械生命体を殺した罪悪感が潜在的にあるからか? ……日中の日差しが、やけに蒸し暑く感じられた。
「はぁ、腹減った」
身体に飛び散った白濁色の血をできるだけ指で拭い取りながら、レオは小さく呟いた。
レオは深く深呼吸をすると、足下に転がっている、今さっき自分が殺した心の境界線を越えたアンドロイドの骸を屋根から地面へと落とした。ドシャンッ! という鈍い音が聞こえた。
自分も地面へと降りると、すぐさま海馬の方へ向かった。
レオが海馬のところへ辿り着くと、海馬は煙草を吸っていた。
「お疲れさん。悪いな、そっちに行ったわ」
「別にいいですよこのくらい」
「そうか、そうだろうな」
会話よりも、どこか海馬は煙草を吸う方に夢中なように見えた。
「昼頃だし、せっかくだからラーメンでも食いに行かねぇか?」
ふと投げかけられた言葉に、レオの目が輝きを帯びた。
「ラーメン一度食ってみたかったんです! 行きましょう!」
海馬はレオのキラキラした子供のような目つきに、軽い笑みを浮かべた。
――そしてラーメン屋『豚宮』にて。
古びた店内、ベタベタの漫画、汚れたグラス、何から何まで良くも悪くも昔から変わらない店内であるが、美味しいと評判のこの店が海馬は好きだった。
この店のオススメは『豚宮特製ホームランラーメン』であり、豚骨味のラーメンにチャーシューが四十四枚乗っているという馬鹿げたメニューではあるものの、海馬はいつもこれを頼んでいた。このメニューのおかしなところは、この注文を承る専用の店員がいることだ。注文の際は『ほいさー!』と呼ばなければこのメニューを承ってくれる店員が来ない。今回もこのメニューを頼んだ海馬も、例に漏れず『ほいさー!』と叫んだ。
レオも海馬と同じ『豚宮特製ホームランラーメン』を頼んだが、海馬の『ほいさー!』に便乗することによって『ほいさー!』と叫ぶような真似をすることを回避した。
『豚宮特製ホームランラーメン』を食べ終えると、二人は満足気な恍惚とした表情をした。
海馬は煙草を取り出して吸いながら、ぼーっとした頭で思いついたようにレオに向かって軽く訊いた。
「なぁレオ、そういえばお前のその剣、どうしたんだよ」
「どうしたって、何がですか?」
「いや……その……何でそんなに殺気が漏れ出てるのかなって」
「そうですか? そんなに殺気出てます?」
「ああ、すげぇ肌がピリピリすんだよ。気にならねぇのか?」
その言葉にレオは心の底からの困惑を見せた。
「まぁ……そう言われてみれば確かに……。でも、強いて言えば慣れましたね」
「ふーんそうか」
そう言いながらも、海馬は内心レオとその剣に対する疑念が止まらなかった。
――こんな強烈な殺気を発する武器に慣れる? 冗談でも言ってるのか……それとも本気か? どっちだっていい、どっちにしてもこの武器を容易に扱えている時点でおかしい。こんだけ強ぇ武器に名前が付いてねぇわけない……訊いてみるか?
「なぁレオ」
「なんです?」
レオは近くの本棚から拝借した漫画を新鮮そうに目を通しながら、海馬の方を見ることなく答えた。
「お前のその武器……なんて名前だ?」
「ああ、これですか。知りたいですか?」
レオは背中に背負っている鞘に納められている剣を軽く撫でながら訊いた。
「ああ」
レオは背負っていた剣を鞘ごと取り外してカウンターテーブルに置いた。
世にも珍しい黒色の剣身。刀ではなく剣、つまり両刃。剣身だけに留まらず柄の部分も全て真っ黒い色をしていて、ワインレッドの筋が何本も入ってる。
重厚感のある見た目に、海馬は重さを量る為にも触ってもよいかと訊いたが、レオはダメだと即答した。それだけはダメだと、即答した。
「見た目は重そうに見えますけど、案外全然軽いですよ。ケースバイケースで性質を変えるので重い時もありますけど、それでも持てないなんてことはないです」
レオは本棚に漫画を返しに行き、席につく。
「名前はニトロスマイルと言います。生まれは1482年で、当時は大航海時代でしたから、外国の侵略からモルドヴィス王国を護るための〝神器〟として生み出されました」
海馬は言葉が出なかった。
――神器、だと……? 何故そんな凄いもんをお前が持ってる?
だが海馬は胸の内に浮かんでくる様々な疑問を訊く勇気が出なかった。不用意にタブーに触れたら、話してくれるような情報も何も話してくれなくなる可能性を考慮して、訊かなかった。
「このニトロスマイルは、天使を失墜させたことがある武器とも呼ばれています」
――なぁレオ、お前は何者なんだ? お前がこの日本に来る時に一通りお前の情報は聞いたが、お前は俺が思っているような人間ではない。明らかに何かを隠している。
「まぁそんなことはどうでもいいです。さ、早く帰りましょ。今日は夜みんなで集まれるんでしたよね?」
だがそんな海馬の心中を見抜き、そして遮るようにレオは全く別の話題を出した。海馬にとっては、この別の話題出しが意図的なのかそうじゃないのか、全く見当がつかなかった。
「ああ、そうだな……今日は皆集まれる……」
――これは直感に過ぎないが……レオ、お前は何か重要なことを俺に隠しているな? でもその隠し事は本当に、俺達にも隠さなきゃならないことなのか……?
海馬は内心、レオへ対する妙な疑念が止まらなかった。
レオ・アルバトロス。二十二歳。正体は不明……。




