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姫君の鎮圧 ――かつて楽園と呼ばれた日本と、死神と呼ばれている男――  作者: 柊蓮
CHAPTER:チャプター〝5〟――
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28/61

全部滅茶苦茶

 海馬が放った言葉を最後に、執務室には濃い輪郭の静寂が訪れた。


 自分の心臓の鼓動がやけに大きく聞こえるほどの静寂に、少しの間海馬と湯田は身を委ねた。いつもならば愛してやまない静寂が、今ばかりは凄く大きく聞こえ、それがとても海馬にとっては苛立ちを覚えた。海馬は一度小さく呼吸をし、冷静さを取り戻すと、手のひらから一本の水の槍を創り出して、だがすぐには殺すことはなく話しを求めた。 


「訊きたいことがいくつかある。どんな馬鹿でも自分の死期くらいは悟れるだろ。お前は、この後俺に殺される。だから全部吐いてくれ。何故〈エレジウム〉は、心の境界線を越えたアンドロイドへ対する対処部門の唯一の公式の組織になったんだ?」


 すると海馬の質問に、湯田はふっと軽く鼻で笑った。


「お前は馬鹿なのか? それはお前が私と〝契約〟したからではないか」


「そういうことを訊きたいんじゃねぇよ。なんで、加奈の病気を治してもらうためとはいえ、そんな変な条件突きつけたんだよ」


「提示された条件に疑問を抱きながら契約したのか? ……不用意としか言えないな」


「……俺が加奈をどれだけ想っているのか知らないからそう言えるんだよ」


 そう言われた湯田は、何か思うところがあるのか、机の上に両肘を乗せ、うむっと首を捻り悩むような素振りを見せた。海馬はそんな湯田の姿に苛立ちを覚え、今すぐにでも殺してしまいたかった。


「……いいや、分かる。お前にそのような条件を投げかけた私自身も、そのような摩訶不思議な条件には驚いた。……私はもうじきお前に殺される、だから、全てを言ってやろう。だが決して勘違いをするんじゃないぞ。私はお前に従ったのではなく、自分の上司に仕返しするためにお前にこのことを話すんだ」


「お前の上司って誰だ?」


「ペスス陸」


 ――あぁ、なるほど。


 海馬の表情を見て、湯田は内心こう思った――コイツは本当に何も知らないのだな。


「霧島加奈はかつて、筋ジストロフィーを患っていただろう?」


「あぁ」


「だがそれは嘘だ」


「はぁ?」


 突然の言葉に、海馬は間抜けな声が出てしまった。海馬は頭が混乱した。なにがなんだか、どういうことなのか訳が分からなかった。


 ――加奈の筋ジストロフィーは……嘘? ……はぁ? いやいや、じゃあ俺が必死に頑張って支えたあの時の加奈の病気は……一体なんなんだ? 


 海馬はかつて見ていた加奈の病気の全てが〝嘘〟と言われて、湯田を殺すという当初の目的などとうに忘れて茫然とした。


「霧島加奈は筋ジストロフィーではなく〝月血(エネルギー)硬化症〟を患っていた。多分……これだけ聞いても何がなんだか分からないだろう。まず大前提として、霧島加奈は〝アルケミスト計画〟という月の血液(ムーンブラッド)を用いて創造者への進化を目指すという研究に参加していた。月血(エネルギー)硬化症を患ったことは、ある種その実験の後遺症のようなものだ。アルケミスト計画は日本政府よりも更に上の存在が秘密裏に行った計画だ。元々被験者は死ぬ前提で話は進められており、それはお前の妻も例外ではなかった。だが本人はそんな前提を飲んでの実験への参加だというのに、お前は自分の妻の病気に対して治療を望んだ。そして日本政府は、その治療の代わりに、〈エレジウム〉を心の境界線を越えたアンドロイドへ対する対処部門の唯一の公式の組織にした、と。つまり……お前は何もかもを知らなすぎるんだ。表社会のことも、裏社会のことも、自分の妻のことに限っても、なんにも知らないじゃないか!」


 その言葉に沸点が頂点に達してしまった海馬は、自分が怒りの熱で消えてしまう前に、手に握っていた一本の水の槍を湯田に向かって投げつけた。


 水の槍が湯田を貫通すると、湯田は若干の悶え苦しむ姿を見せた後、息絶えた。


 また静寂が訪れたというのに、胸のざわめきが大きすぎて壊れてしまいそうだった。海馬の頭の中には様々な思考の糸が一本、また一本と張り巡らされていき、そんな思考の糸によって今にも脳みそは曇っていき現実を正しく認識することを極めて困難にした。


 ――月血(エネルギー)硬化症ってなんなんだアルケミスト計画ってなんなんだなんで加奈はなんで死ぬことを前提の実験に参加したんだなんで俺はそのことを知らなかったんだそもそも俺が見てた加奈って本物の加奈だったのか偽物の加奈だったのか演技している加奈だったのかどうなんだ俺が見てきたどの加奈が本物の加奈なんだ誰か教えてくれ。


 海馬は震える手で煙草とライターを取り出した。震える手で火を点け、震える心にニコチンを染み込ませると、そうしてようやく心は最低限の落ち着きを取り戻した。


「あぁ……まだ色々と湯田に訊いときゃよかった……」   


 思い出したように呟いてももう遅い。


 月血(エネルギー)硬化症のこと、アルケミスト計画のこと、訊いたのにもかかわらず結局ちゃんとした答えが返ってこなかった〈エレジウム〉を心の境界線を越えたアンドロイドへ対する対処部門の唯一の公式の組織にした理由も、もう聞けない。


 何もかも、遅すぎる。そんな事が最近、海馬の人生には沢山ある。


 取り返しのつかないことを考えていてもしょうがない海馬は、レオの元へ向かった。


 レオが廊下で高エネルギー弾をぶっ放したことによって全部砕け落ちた、元々はガラス窓だった空間から中庭を見ると、海馬はその光景に絶句した。

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