使者と弟子と報せ⑥
那奈が海馬を呼び出したのと同じ日の、午後二時頃。
藍沢那奈の姿はグラン・タワービルにではなく、ネオンコアにある首相官邸にあった。
外部組織以外の省庁の建物は全てこのネオンコアにある為、那奈はいつもフェーズツーにあるグラン・タワービルとの行き来を日常としている。ネオンオア、そして首相官邸に来る度に那奈はいっつも思うのだ――〝外部組織はやはり日本政府にとって使い捨ての駒である〟と。
総理大臣である湯田海舟の執務室に入った那奈だったが、湯田は手元の資料に目を通しており、那奈の入室には気がついていないようだった。
まるで往年の文豪の書斎のような雰囲気のある執務室。那奈にとってはとても居心地の悪い場所だ。それは総理大臣という相手の立場の大きさに萎縮しているから、ではなく――
「で、霧島海馬はいつ復帰するんだ。もう使い物にはならないのか?」
〈エレジウム〉をはじめとする外部組織の人間を見下しているからだった。
「霧島の復帰時期は未定です。本人と直接話していても、復帰までにはもう少し時間がかかるかと。ですが、ご存じの通り〈エレジウム〉は現在、レオ・アルバトロスが現場において活躍をしています。霧島抜きでも定期鎮圧は問題なく遂行されています。なので、霧島の復帰を急ぐ必要はないかと」
「……君の意見は必要ない。私が欲しいのは報告であり事実だ。君が霧島に肩入れしているのは知っている。レオ・アルバトロスの活躍というのも嫌というほど耳に入ってくる。その上で言うが、霧島は責任感のない男だな」
「何故そう思われるのですか?」
「今の〈エレジウム〉や日本に、霧島が必要だとか必要じゃないとか、そういうのは関係なく……私はかつて彼と契約したんだよ。その契約の内容は守秘義務がある為明かせないが、その契約があったから今、日本で公式に、心の境界線を越えたアンドロイドに対処する対処部門に属している組織が〈エレジウム〉だけとなっている。――まぁ、この話はもういいだろう。レオ・アルバトロスの報告をしろ」
「報告に移ります。〈エレジウム〉のメンバーやグラン・タワービルにてレオと接触を持つ人間に聞き込みをしましたが、レオに関する不審な行動は聞きませんでした。当初の目的通り、レオはアルス姫捜索を主軸として生活をしています。〈エレジウム〉での任務も真面目に貢献しており、日常生活においてもできるだけ日本に溶け込もうとしています」
「話はよく聞くが、君からも聞いておきたい。実際のところ、レオ・アルバトロスはどれほど強い?」
そう言われると、那奈はわざとらしさも感じられるような深呼吸を一度した後、言った。
「彼一人の存在で、我々人間側が心の境界線を越えたアンドロイドを壊滅させられるほど、です」
そう言われた湯田の表情はなんとも言えない表情だった。嬉しくとも、ガッカリでもなく、ただ事実を受け取っただけのような神妙な表情。
「そうか、分かった。引き続き目を離さずコントロールし続けろ。我々の方も尾行は続ける。あぁ、そして……霧島だが、それだけレオが強いのならば、実戦復帰は遅らせてもいい」
「本当ですか?」
思ってもいなかった言葉に、那奈は少しだけ声色が高くなってしまった。
「あぁ、本当だ。それほど強いのならば、レオ・アルバトロスが帰国する前に一気に心の境界線を越えたアンドロイドとの戦争に片をつけたい。霧島はその片をつける為の準備としての休養、ということだ。本来ならば契約の関係上彼は現場から逃げることができないのだが、特例措置ということだ」
その言葉の意味が那奈は分からなかった。――契約の関係上彼は現場から逃げることができない? どういうこと……? ……海馬、あんた一体どんな契約を湯田としたの?
訳が分からなくて混乱に似た思案が頭の中を渦巻く中、湯田の「もう下がっていいぞ」という言葉だけが耳に入り、その言葉に従うように那奈は執務室を後にした。
執務室を出て、数歩歩いて、少し後ろに執務室のドアがある中で、那奈は思った。
――私は海馬のことを実は何も知らないのかもしれない。
トボトボと廊下を歩く那奈の足音だけが、虚しく廊下に響き渡った――
執務室にて――
藍沢那奈が帰ったことにより、執務室はその主である湯田海舟だけになった。
湯田は豪奢なチェアに背中を委ねながら上へ伸びをすると、机の隅にある盗聴不可能の固定電話に手を伸ばした。何度か相手側の呼び出し音が鳴り、しばし静寂が訪れる。
相手が出た。
『いやぁ、執務室から電話とはこれまたリスキーなことするねぇ』
電話に出た相手は、男で、軽く笑いながら言った。
「ところで総帥、急遽の連絡とはなんです?」
湯田はまるで上司にでも訊くかの如く低姿勢な口調で言った。
総帥――現代日本において、〝総帥〟という呼ばれ方をする存在はたった一人しか……いや、一体しかいない。それは心の境界線を越えたアンドロイド側の組織である〈ReGion〉の総帥である〝ペスス陸〟だけだ。
湯田海舟は、〈ReGion〉と繋がっていた。そして、湯田本人も心の境界線を越えたアンドロイドだった。現代日本は、心の境界線を越えたアンドロイドと戦っている人間側の総理大臣が、実は心の境界線を越えたアンドロイドであるというなんとも馬鹿馬鹿しい社会だった。
総帥であるペスス陸は、軽く笑いを含ませながら楽しそうに言う。
「表向きには停戦をして、その隙に人間を終わらせよう」




