使者と弟子と報せ③
レオが来日してから一ヶ月が経ったが、この一ヶ月間はレオにとっても、そして〈エレジウム〉にとっても様々なことがあった。
海馬が五神人との戦闘により受けた傷は、身体の方よりも心の方を酷く貫いた。
その心の傷というのは、加奈が死んでしまってから約三週間経った今でも癒える兆しはない。こうなってしまうと、〈エレジウム〉はもはや一度完全停止をせざるを得なく、だが、公式に心の境界線を越えたアンドロイドに対抗するための組織というのは〈エレジウム〉の他には存在しない。その為――『霧島海馬を抜いた他のメンバーだけでも通常任務に戻れ』という指示が加奈が死んでからたった一週間で、全外部組織のまとめ役である権田壮睡から飛んできた。
権田壮睡はグラン・タワービルの中でトップの人間である。だが、グラン・タワービルのトップでありながらも外部組織に属する人間――特に創造者――が大嫌いなことでも有名である。その理由は諸説あるが、特に有力とされている説が〝外部組織の人間達が、駄犬であり野良犬であり、自分の指示を聞かず扱い切れないから〟というものだ。
凡庸すぎる。
その凡庸すぎる説が本当なのかは分からないが、権田壮睡が外部組織の人間、特に創造者が大嫌いであることは間違いない事実であり――でも、今回の『霧島海馬を抜いた他のメンバーだけでも通常任務に戻れ』という指示に限っては正当なものだった。
加奈が死んで六人、そこから海馬も欠けて五人。現在進行形で現代日本における最大の脅威となっている心の境界線を越えたアンドロイドに対峙するには、あまりにも心許ない人数だ。
人手不足――そんな言葉では片付けることはあまりにも困難な中、こうなってしまった理由は過去にあった。それは、現在の総理大臣が新しい総理大臣として就任した時だった。新しく総理大臣に就任した湯田海舟は、こう言ったのである――
『現在、心の境界線を越えたアンドロイドに対処する組織というのは沢山存在し、その組織体系や命令体系は複雑化しすぎている。故に今日から『〈エレジウム〉』のみを公式の心の境界線を越えたアンドロイドに対する対処部門に属させることにする』と。
馬鹿みたいな話だ。何故そんなことを?
当時の日本が、その時参加できる創造者や戦闘員を全て動員したのにもかかわらず、現在フェーズワンと呼ばれている地域(埼玉・群馬・栃木)を心の境界線を越えたアンドロイドとの戦争によって壊滅的な状況にしてしまっていたという事実や、フェーズワンでの戦争は互いに被害が甚大過ぎて膠着状態になっていたという現実もある。日本全体が心の境界線を越えたアンドロイドへ対抗していた。だから枠組みなんて関係ないとも受け取れる。
それに関して沢山の考察がされたが、湯田海舟が、〈エレジウム〉だけを公式の心の境界線を越えたアンドロイドへ対する対処部門に属させた理由は未だに不明である。
そういった事情もあり、加奈が死のうとも、その現実に心を打ちのめされて海馬が欠けようとも、〈エレジウム〉の人間は戦うことを辞めることはできない。その先頭に、今はレオが立っている。
海馬が欠けている中、この一ヶ月間の心の境界線を越えたアンドロイドへの対処はレオが一時的なリーダーとなって行われた。現場において、一番大切なのは死なないこと。二番目は無い。レオはそれを一番分かっている人間だった。
レオが一時的なリーダーとなって行う心の境界線を越えたアンドロイドへの対処は通称『定期鎮圧』と呼ばれている。それを初めて聞いた時、物騒な名前だなとレオは内心思った。だがその名前のインパクトとは裏腹に、レオが率いた定期鎮圧はとても穏便に済み、自分を含めた他のメンバーも傷一つ受けることなく終わった。五神人のその強さと比べれば、街中で遭遇する心の境界線を越えたアンドロイドはハッキリ言って雑魚だった。でも、心の境界線を越えたアンドロイドと普通の人間とを見分ける術が無いことが、少々任務を難しくしていた。普通の人間に紛れて不意を突かれることは、慣れているか特別な能力がなければ対処が難しい。
この一ヶ月、色々なことがあった。
仕事と言えど、レオもずっと戦闘ばかりしていたわけじゃない。最近あった出来事の中でレオが心の底から嬉しいと思えることをひとつ挙げると、それはユキから服をプレゼントされたことだった。ユキは服をレオに渡す際、こんなことを言った。「――近衛服じゃ日本には馴染まへんよ。日本では出来るだけカモフラージュした方がええよな? だったらこれあげるから着たらええ」。そうしてユキがレオに渡した服というのは、フード付きの真っ黒いパーカーに、普通の真っ黒いズボン、そして真っ黒いキャップだった。全身真っ黒かぁ――レオは内心微妙かもと思ったが、満面の笑みで差し出してくるユキの圧に負けてその黒装束を受け取った。着てみると今まで着ていた近衛服よりも大分動きやすく、その姿を鏡で見てみると自分でも案外似合っているかもと思った。モルドヴィス王国では、寝衣以外はいつも近衛服を着ていたため、私服と呼べるようなものを着るのは意外と初めてだった。そうしてレオは、また一歩日本に馴染んだ。
この一ヶ月、色々なことがあった。
その色々の中にはアルス姫様の捜索も勿論欠かせないし、そして実際レオは暇を見つけてはグラン・タワービルを抜け出して様々な場所でアルス姫様の捜索をしていた。
アルス姫様に関する情報であれば何でも、レオは手にしようとしていた。鎖国国家である現代日本ではアンドロイドでなければ珍しい、金髪の白人という見た目。来日する前レオは、生きてくれてさえいればモルドヴィス王国と違って日本は監視カメラもあるし、簡単にアルス姫様が見つかると思っていた。だが、レオの元へ集まる情報は全てアルス姫様とは全く無関係の情報であり、その中には、知らない方が良かったかもと思えるような日本の闇にまつわる情報もあった。
だが、昨日。涼宮甘臨と管制室での要件を済ませた後、華征に言われた一言でレオの心は大きく揺さぶられた。その言葉が、今でも脳内で反響を重ねる。
『あ、マスター。お願いされていたアルス姫様の捜索、完了しまシタ。結果なのですが……東京、フェーズワン郊外の霊妙国立自然公園の監視カメラに映っていまシタ!』
現在地は、東京と埼玉の県境にある、霊妙国立自然公園のその入り口。
巨大な木製のアーチ型の入り口の前に佇んでいるだけでも、公園の自然の雄大さが分かる。
レオは、この霊妙国立自然公園に華征と共にアルス姫様を捜しに来ていた。
入り口から見える中を覗くだけでも、そのまるで人類滅亡後の地球の様子を再現したかのような自然の迫力の凄さに圧倒される。レオは近くのチケットカウンターで自分と華征の分のチケットを買うと、自然公園の中へと入った。
「凄いデスねー。自然がいっぱいです」
「なぁ華征、ここの監視カメラにアルス姫様は映ってたんだろ?」
「そうデスよ。この霊妙国立自然公園には五つエリアがあって、その中でも最奥部、宵の本域と呼ばれているところの監視カメラに映っていまシタ! まぁでも、宵の本域にはエリアに入って一番手前の部分にしか監視カメラがないので、最奥部のエリアの最奥部に行った可能性が高いということまでしか分からないんデスよね」
「充分だ。とりあえず行ってみたら何かしら分かるだろ」
「というかマスター、その服装どうしたんです? 全身真っ黒って……」
「ダサいか?」
そう訊くと、華征はレオから何かしらの圧を感じたのか、明らかに不満そうな顔をしながら「ナンデモナイデス」と、棒読みで言った。
霊妙国立自然公園の最奥である宵の本域に辿り着くには、右ルートと左ルートの二つのルートがある。右ルートは、夕凪大森林から時雨湿原を通って宵の本域に辿り着くルート。左ルートは、東雲高原から黄昏ノ渓谷を通って宵の本域に辿り着くルート。自然公園に入ってから三十分ほど歩いたところで、全ての来訪者がその選択を迫られる。
自然公園に入ってから二十分ほど歩いたところで、レオと華征もその選択に迫られた。
「なぁ華征、どっちのルートを通っても最奥部である宵の本域には辿り着けるんだよな?」
「はい!」
「どっちが安全に早く辿り着ける?」
「公園内の監視カメラの映像を、できる限りハッキングしますか?」
「頼む」
すると華征は、その場に可愛らしく座り込んで、目を瞑って意識を各地に散らしはじめた。
この霊妙国立自然公園に存在する監視カメラを九割を、華征はハッキングした。その時間僅か二十秒。だがそこから全ての映像を解析し最終的な判断を下すまでには一分ほど時間がかかる。その間、レオは周囲の様子を観察していた。この自然公園はただの自然公園ではない。広大すぎるが故に管理者でも全てを把握しているわけではないそうだ。誰が、どんな目的で、この自然公園に潜伏していても不思議じゃない。初めて来た場所、しかも異国の地だ。どんなイレギュラーなことがあっても対応できるようにしておきたい。
周囲を見渡してレオがまず抱いた感想はこうだった――まるでモルドヴィス王国みたいだ……。
グラン・タワービルの都会周辺だけで生きていたら全く感じることのないこの感覚。自然公園と言ってもこの霊妙国立自然公園は、本物の豊かな自然で溢れているモルドヴィス王国と同じような風が吹いていた。鳥のさえずりに身体は喜び、微風は肌を優しく撫で、木漏れ日に心は癒やされる。
「右ルートの方が安全デス」
目を開いてその場に立ち上がった華征は、座った際に脚に付いた落ち葉を手で払いながら言った。
「よし……行こうか」
そうして二人は、右ルートの、夕凪大森林、時雨湿原を通って最奥部である宵の本域へと向かった。
道中、レオは華征にこんなこと訊いた――「本当にちょっと前のことは憶えてないのか?」
昨日、涼宮甘臨にしてもらった検査の中で発覚した〝記憶障害〟のことについてレオは訊くと、華征は珍しく、真面目で大人びた妖艶な表情で言った。
「はい、憶えてません。貴方は今のマスターですが、その前に他のマスターがいたとしても、私は憶えていません。それはちょっと寂しいことですね。で、でも……私は貴方に着いてきてよかったと思ってますよ」
「本当か?」
「ええ。あの時、私が襲われているのを見て見ぬ振りする人間は沢山いました。でも、マスターは助けてくれた。それ以上の理由がいりますか?」
レオはそう言われ、胸がジーンと熱くなった。ありがとう――そう内心呟きながら、レオは華征の頭を撫でるのだった。
「うわっ、頭撫でないでクダサイ。私は子供じゃありまセン!」
ははは、と笑いながらレオはそれでも華征を撫で続けた。
「逆にマスターに質問デス。マスターはアルス姫様という人を捜しにこの日本へ来たのデスよね? そのアルス姫様って、どんな人なんデスか?」
「…………凄い方だ」
レオは真面目な表情で答えた。
「マ、マスターって、もしかして……アルス姫様のことが好きなんデスか?」
「な、なんでそう捉える!? そう捉えられるような口ぶりだったか……?」
「はい!」
――そ、そうなの……か?
宵の本域までは二時間かかった――。宵の本域に辿り着くと、すぐさまレオは二つの気がついた。一つは、この霊妙国立自然公園はこの自然公園全てが〝聖域〟であるということ。二つ目は、この聖域は創造者が好むような本物の聖域ではないが、アルス姫様がこの自然公園の監視カメラに映ったというのは必然だということ。
宵の本域の最奥部にレオ達は足を運ぶと、そこには霊妙の神殿と呼ばれる神殿があった。
だが、それもこの自然公園と同じように、人間を創造者へと覚醒させる手助けが期待できるような本物の神殿ではなかった。レオは最奥部のエリアの更に最奥部に辿り着いて、そのことに気がついた。
「どう……しました? ……マスタぁ?」
それはレオにしか分からないことなのだろう。レオは何かが頭の中で符合したのか、微笑を浮かべていた。
不思議そうにレオの顔を覗いた華征だったが、そんな華征よりもレオは思考に意識が奪われていた。華征はレオが思案に没入している間、周囲の自然に触れて時間を潰した。小鳥を捕まえようとした華征だったが、小鳥は華征に捕まることはなかった。
レオは思案が終わると、次は思案の纏めに入った。そして思案の纏めも終わると、小鳥を捕まえられずションボリしていた華征に向かって言うのだった。
「帰るぞ。ここにはアルス姫様はいない。そしてもう一度ここに来ることもない」
「なんでです?」
「……それは……」
レオは一瞬、その理由を華征に教えるのを渋った。だが、華征の〝秘密を守ってくれる〟という約束を信じ、レオは伝えた。
「この霊妙国立自然公園は神聖な場所ではあるようだが偽物の聖域だ。本物の聖域には創造者が集う。俺は創造者じゃないからそれを肌感覚で完璧に捉えることは中々難しいけど、でも、この霊妙国立自然公園が偽物の聖域であることくらいは分かる。アルス姫様は、本物の聖域を目指してるんだよ。だから、ここに来たはいいものの、ここは偽物の聖域だから立ち去った、ということだ」
「ど、どうして……マスターはそんなことが分かるんデス?」
レオは一瞬、本当に華征が自分の秘密を漏らさないでいてくれるのか不安になった。でも、レオはちゃんと華征と約束したのだ。レオは、華征を拾った時のことを思い返す――
華征を拾った時、レオはまず真っ先に自分の部屋へと連れ帰った。そこで、とあるひとつの約束を華征に取り付けた。それは、どんな事情があっても自分の秘密を絶対に口外しない、というもので、それが守れなければ君を破壊することになる、ともレオは言った。だがその言葉に、華征はレオの予想とは反対に、一切の恐怖を覚えていないような満面の笑みで「大丈夫デス!」と、軽く言ったのだった。
――でも、華征、やっぱり俺は君のことを信じてみることにするよ。これはある種の自分へ対する賭けだ。
レオは、華征の疑問へ対してこう返した。
「アルスの心を世界で一番分かっているのは、俺だからだ」
「り、理由になってないデス」
「ま、分かり合うってのはそういうもんだ」




