第7話 崩れた水道橋と、旅の役割分担
東の街道へ出た時、空はまだ紺色だった。
星が消えかけ、遠くの地平が薄く白む。
モグはあくびをしながら歩いている。
「先に言っとくけど、俺は朝に弱い」
「仲間が増えたのに頼もしさが増えない」
アリアが言う。
「むしろ現実感が増しただろ」
「それはちょっとある」
セブンが先頭で周囲を警戒し、ルシェは最後尾につく。
完全に、旅の隊列らしい形になっていた。
アリアは白旗を肩に担ぎながら、ふと空を見上げる。
青くなり始めていた。
あの日、母が言っていた空だ。
滅びの前でも青い空。
でも今日は、少しだけ意味が違って見えた。
青い空の下でも、人は間違える。
けれど同じ空の下で、進むことだってできる。
「アリア」
ルシェが呼ぶ。
「ん?」
「前、見なさい」
「え?」
次の瞬間、彼女の足元の地面が消えた。
「うわあああああ!?」
落とし穴だった。
街道脇に巧妙に隠された古い罠へ、見事に片足を突っ込む。
アリアは半分落ちかけ、白旗だけを高々と振り上げた格好になる。
セブンが即座に襟を掴んで引き上げる。
『注意力不足』
「い、生きてる……!」
モグが穴を覗き込んだ。
「旅立ち三日目で罠にかかる平和の使者、先が思いやられるな」
「笑わないで!」
ルシェは、こめかみを押さえながら、それでも少しだけ口元を緩めた。
「ほんとに……目が離せないわね、お前」
アリアは泥だらけのまま立ち上がる。
頬にはまだ昨日のかすり傷。
足元は不安定。
先の見えない旅。追手もいる。分からないことだらけ。
でも、彼女は笑った。
「大丈夫。転んでも進めるから」
その言葉に、三人はそれぞれ違う顔をした。
ルシェは呆れたように。
セブンは記録するように。
モグは面白がるように。
そして四人は、白塔へ向けて歩き出す。
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東の渓谷は、朝になるほど寒かった。
切り立った岩壁に細い街道がへばりつき、その下には白く泡立つ川が流れている。
道幅は荷車一台がぎりぎり通れる程度。
ところどころ崩れていて、人よりも風のほうが通り慣れているような道だった。
アリアは崖側の壁にぴったりくっつきながら歩く。
「……これ、落ちたらどうなるの」
「たぶん死ぬ」
モグが軽く言う。
「軽く言わないで!?」
『即死率は地形と落下角度による』
「セブン、そこは雑に“危ない”でいいの!」
ルシェは先頭で足場を確かめながら進んでいた。
彼女はこういう場所に強い。
視線は前を見ているのに、耳は周囲の音を拾い、足は一度も迷わない。
「文句を言う余裕があるなら、まだ平気ね」
「いや、文句を言わないと怖さに負けるから!」
「それはちょっと分かる」
モグが言った。
「モグも怖いの?」
「高いところは嫌いだ。落ちたら荷物が終わる」
「自分じゃなくて荷物!?」
旅に出て三日目。
アリアは少しずつ理解しつつあった。
ルシェは、想像より面倒見がいい。
セブンは、想像以上にいちいち真面目。
モグは、胡散臭いけど現実的。
そして自分は、思っていたより体力がない。
「休憩しよう……」
アリアが言った。
「まだ一刻も歩いてない」
ルシェが返す。
「もう二日分くらい歩いた気分!」
『主観的疲労と客観的距離は一致しない』
「セブンの正論、ほんと鋭い……」
それでも少し進んだところで、ルシェが足を止めた。
前方、岩の裂け目の向こうに巨大な影が見える。
「あれ」
彼女が顎で示す。
崩れた水道橋だった。
古代の石造建築。
渓谷の両壁を繋ぐように掛けられ、今は中央が大きく崩れている。
けれど残った柱だけでも異様に大きく、ただの用水路だったとは思えない威圧感があった。
「でっか……」
アリアが見上げる。
モグの目が一気に輝く。
「おお……おおお……これはすげえぞ……!」
「急に元気になった」
「機巧師なめるな。古い構造物は浪漫なんだよ」
『同意可能』
「セブンまで!?」
水道橋の一部には、たしかに古代文字が刻まれていた。
グレンにもらった認証片の紋様と似ている。
アリアは懐から金属板を取り出す。
「これ、使うんだよね」
「たぶんな」
モグが言う。
「問題は“どこに”だ」
彼はもう勝手に調べ始めていた。
崩れた石柱を撫で、古代文字を覗き込み、地面を叩いて空洞を探る。
普段は軽口ばかりなのに、こういう時だけ目が変わる。
ルシェが周囲を警戒しながら言う。
「アリア」
「ん?」
「ここから先、旅の役割を決めるわよ」
「役割?」
「毎回場当たり的だと死ぬ」
「もっともだ……」
ルシェは指を折る。
「私が前衛。危険地帯の先行確認と戦闘担当」
セブンが続ける。
『私は盾役兼警戒。重量物運搬も担当可能』
「頼もしすぎる」
モグが手を上げる。
「俺は罠、機械、古代構造物、金勘定」
「便利!」
「その代わり殴り合いは苦手」
「そこは分担でカバーだね」
三人の視線が、最後にアリアへ向く。
「……私、なに担当?」
沈黙。
「え、ちょっと待って。その間なに?」
ルシェが真面目に答える。
「旗」
「役割がざっくりしてる!」
『加えて交渉、判断、臨時の中心点』
セブンが補足した。
モグも頷く。
「あと飯の方向づけ。お前が“腹減った”って言うと、みんな休憩する」
「そんなに言ってる!?」
「かなり」
ルシェが即答する。
アリアは不満そうに頬を膨らませたが、すぐに小さく笑った。
「でも、中心って言われるのはちょっと嬉しい」
ルシェは目を逸らす。
「別に褒めてない」
「最近それ多いよね」
『発言傾向として確認される』
「セブン、記録やめて」
その時だった。
モグが水道橋の柱の根元で叫ぶ。
「見つけた!」
全員がそちらへ向かう。
石柱の影、苔と土に埋もれた場所に、小さな窪みがあった。
認証片とぴったり同じ形。
「これだ」
アリアが息を呑む。
「待て」
ルシェが彼女の手を止めた。
「都合よく見つかりすぎる。罠の可能性もある」
『周囲の足跡を確認』
セブンがしゃがみ込む。
『新しい人為的痕跡はない。だが小型獣の通行跡あり』
モグが覗き込む。
「小型獣っていうか……これ、巣が近いかもな」
「巣?」
アリアが嫌な予感を覚える。
モグは上を見た。
「谷に古代構造物がある時に、一番よく湧くのは――」
その瞬間、頭上から甲高い鳴き声が降ってきた。
「――ああ、これだ」
翼を持つ影が、崩れた水道橋の上から一斉に飛び立つ。
鳥ではない。
羽毛の代わりに薄い金属膜、嘴の代わりに針のような口。
古代遺跡の残骸を巣材にする小型魔獣、鉄羽。
「うわ、いっぱいいる!?」
「だから言ったろ!」
モグが叫ぶ。
ルシェが剣を抜く。
「アリア、認証片はしまって! セブン、上!」
『了解』
鉄羽の群れが降ってくる。
一羽一羽は小さい。だが数が多い。
嘴は鋭く、目を狙う習性があるらしい。
「目ぇぇ!?」
アリアが白旗で顔を庇う。
ルシェが空を斬る。
セブンは腕で受け、まとめて叩き落とす。
モグは腰の袋から細い筒を取り出し、火花を散らして投げた。
空中で弾ける強い音。
鉄羽の群れが一瞬散る。
「びっくり玉!?」
「旅の便利道具だ!」
「ネーミングが雑!」
『二時方向、追加接近』
「セブンの方角表現、分かるようになってきた自分が嫌だ……!」
群れの一部がアリアを狙ってくる。
白旗の白さに引かれているのか、まっすぐ一直線だ。
「なんで私なのーっ!」
「派手だからよ!」
ルシェが一羽を叩き落とす。
アリアは身をすくめたが、その時ふと気づく。
鉄羽たちの動きは、風ではなく、旗の揺れに反応している。
「……あ」
「どうした!」
モグが叫ぶ。
「これ、たぶん旗の動き追ってる!」
「それが今分かったの!?」
「今しか分かんなかったの!」
ルシェは一瞬で察した。
「囮になれる?」
アリアは一秒だけ迷う。
怖い。ものすごく怖い。
でも、みんながいる。
「……やる!」
「死にそうになったら伏せなさい!」
「その指示、怖い!」
アリアは白旗を大きく振った。
右へ、左へ。
鉄羽の群れが、まるで釣られるようについてくる。
「今!」
ルシェが跳ぶ。
月光の名残を引くような斬撃が、一息に群れを薙いだ。
セブンが下から打ち上げ、残った数羽を壁へ叩きつける。
モグはまたびっくり玉を投げ、最後の一群を散らした。
甲高い鳴き声が遠ざかり、やがて谷に静けさが戻る。
アリアは肩で息をしながらその場にしゃがみ込んだ。
「はあ……はあ……」
「無茶する」
ルシェが言う。
「役に立った?」
「……少しは」
「その言い方でだいぶ褒めてるの分かるようになってきた」
『実際、有効な誘導だった』
モグが鉄羽の死骸をつつく。
「お前、旗の扱いが下手なわりに、そういう直感だけはあるな」
「褒めてる?」
「半分」
「みんな半分しか褒めないな!?」
それでも笑いが起きた。
旅の空気が、ほんの少しだけまとまり始めている。
危ない目に遭うたび、四人が“仲間”の形になっていくのが、アリアにも分かった。
⸻
鉄羽の群れが去ったあと、アリアは改めて認証片を窪みに差し込んだ。
かち、と乾いた音。
次の瞬間、水道橋の根元が低く震えた。
古い石が軋み、崖際の岩壁に一本の縦線が走る。
長い間閉ざされていた扉が、ゆっくりと横へ開いていく。
冷たい空気が流れ出た。
暗い。深い。
人の手が入っていない時間の匂いがする。
「開いた……」
アリアが呟く。
モグの声が上ずった。
「すげえ……本当に生きてたのか、この昇降路……!」
『内部に動力反応、微弱ながら残存』
「動力まで!? 古代文明すごくない!?」
ルシェは中を覗き込み、剣を構え直す。
「喜ぶのはあと。先に確認する」
扉の先には、下へ続く円形の通路があった。
壁には古代文字と、ところどころ光を失った導光石。
足元は石階段。かなり深い。
アリアは白旗を握り直した。
「これが……白塔への道」
「入口の一つ、ね」
モグが言う。
「たぶん本体はもっと先だ」
セブンが通路の奥に顔を向ける。
『複数の構造反応を検知。罠、残存機構、もしくは生体反応の可能性』
「全部怖いな」
「遺跡探検なんてそんなもんだ」
モグが言う。
ルシェが一歩、中へ踏み込んだ。
「行くわよ」
アリアも続こうとして、ふと立ち止まる。
背後には、朝の光が差していた。
青くなっていく空。風の通る渓谷。
前には暗い通路。未知。危険。真実。
「アリア?」
ルシェが振り返る。
アリアは小さく息を吸って、笑った。
「ううん。なんでもない」
そして、暗いほうへ足を踏み入れる。




