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第6話 白旗は、まだ振り方を知らない

《三日月亭》の裏庭は、思ったより狭かった。


古い井戸、積まれた薪、洗濯用の桶。

夜風は冷たく、町の喧騒もここまでは届かない。

月だけが妙に明るい。


グレンはすでにいた。

井戸の縁に腰かけ、片手で煙草をもてあそんでいる。


「ちゃんと来たか」


「来た」

アリアが答える。


「全員でな」


「当たり前でしょ」

ルシェが前へ出る。

「怪しい男と人間の娘を二人きりにするほど、私は甘くない」


グレンは薄く笑った。


「魔物にしては面倒見がいいな」


「斬るわよ」


「落ち着け、ルシェ」


「名前教えた覚えないけど」


「さっきアリアが呼んでた」


「…………」


ルシェが本気で嫌そうな顔をする。

アリアは少しだけ申し訳なくなった。


「ごめん」


「あとで覚えてなさい」


グレンは煙草をしまい、井戸から降りる。

それから、アリアの持つ白旗を見た。


「間違いない。あれは《白の盟旗》だ」


アリアの鼓動が速くなる。


「盟旗……」


「昔、三種族がまだ完全に割れていなかった頃に作られた停戦の証だ。持つ者が“ただの象徴”で済むものじゃない」


モグが眉をひそめる。


「そんなもんが、なんで宿屋の娘の家にある」


「それを今から話す」

グレンは低く言った。


「二十年前、停戦を本気で目指した人間がいた。名をリディア・フェルン」


アリアの息が止まる。


母の名だった。


「……お母さん」


「やっぱりか」

モグが呟く。


ルシェの視線がわずかにアリアへ向く。

セブンのレンズも微かに明滅した。


グレンは続ける。


「彼女はただの宿屋の女じゃなかった。人間、魔物、機械の一部有志を繋いで、秘密裏に停戦交渉を進めていた。その中心にあったのが白の盟旗だ」


アリアは言葉を失う。

母は優しかった。笑っていた。料理が上手くて、ちょっと変で。

けれど、そんな顔は知らない。


「嘘……」


「嘘じゃない」

グレンは即答した。

「俺はその時、護衛をしていた」


「じゃあ、なんでお母さんは……」


グレンの顔が少しだけ暗くなる。


「交渉は失敗した。裏切りがあった」


ルシェの瞳が鋭くなる。


「誰に?」


「それはまだ言えない」


「今の流れで!?」


アリアが思わず叫ぶ。


「全部言う前に、お前がどこまで知ってるか確かめる必要がある」


「いや、ほぼ何も知らないよ!?」


『事実である』


「セブン、そこ補強しなくていい!」


グレンが何か言いかけた、その時だった。


裏庭の塀の向こうで、微かな金属音が鳴る。


セブンが即座に前に出る。


『複数反応。接近』


ルシェが剣を抜いた。


「来たわね」


「えっ、なにが!?」


モグが舌打ちする。


「話が早すぎるんだよ!」


次の瞬間、塀の上から黒ずくめの影が三つ、四つ、五つ。

音もなく庭へ降り立つ。


人間だ。

だがただの盗賊ではない。

全員が顔を覆い、統一された短剣を持っている。


グレンの顔から、完全に笑みが消えた。


「……《黒鴉》か」


「知り合い?」

アリアが聞く。


「知り合いじゃない。追手だ」


黒ずくめのひとりが低い声で告げる。


「白旗を渡せ。生け捕りでも構わん」


「生け捕り“でも”ってなによ!」

アリアが叫ぶ。


「後ろに」

ルシェが前へ出る。


セブンも肩を鳴らすように構えた。


グレンは短剣を引き抜く。

モグはいつの間にか小型の機巧弩を手にしていた。


アリアだけが、白旗を抱えて立ち尽くす。


旅立って二日。

もう追手が来る。

もう母の秘密が追いついてくる。


怖い。

でも。


彼女は一歩下がり、白旗を強く握った。


「みんな、死なないで」


「無茶言うなあ」

モグが笑う。


「努力はする」

ルシェが言う。


『優先事項に設定』


グレンは視線を前に向けたまま、短く告げた。


「話の続きが聞きたきゃ、生き残れ」


その瞬間、黒鴉たちが一斉に飛びかかった。


最初に動いたのは、ルシェだった。


夜気を裂くような一閃。

飛び込んできた黒鴉の短剣を弾き、そのまま相手の喉元すれすれで止める。

殺していない。だが次はない、と分かる斬撃だった。


「遅い」


同時にセブンが一歩踏み出す。

金属の足が石畳を鳴らし、二人目の黒鴉の腕を掴んでひねり上げた。

骨の音。短剣が落ちる。


『武装解除を実行』


「言い方が固い!」


アリアが思わず叫ぶと、すぐ横を刃が掠めた。


「うわっ!?」


グレンが彼女の肩を掴み、井戸の陰へ引き寄せる。


「喋る余裕があるなら伏せろ!」


「もっと優しく言って!」


「今それ言う場面か!?」


モグの機巧弩が乾いた音を立てる。

矢は黒鴉の足元に突き刺さり、直後に小さく炸裂した。

土煙と閃光。


「目くらましだ、下がれ!」


「モグ、そういうの先に言って!」


「言っただろ今!」


裏庭は一瞬で乱戦になった。


ルシェは二人をまとめて相手にしているのに、一歩も引かない。

黒い外套が夜に溶け、銀の刃だけが月光をはじく。

セブンは真正面から受け止め、弾き、投げる。

殺傷より制圧を優先しているせいか動きはやや固いが、それでも強い。


対する黒鴉たちは、傭兵とも兵士とも違った。

目的のために必要以上の言葉を使わず、隙があれば迷わずアリアを狙ってくる。


――白旗を狙っている。


そのことが、戦い方からはっきり伝わってきた。


「なんで私!?」

アリアが叫ぶ。


「旗持ってるからだ!」

グレンが返す。


「理屈は分かるけど納得できない!」


黒鴉のひとりが、井戸を蹴って高く跳んだ。

アリアの頭上から短剣を振り下ろす。


間に合わない。


そう思った瞬間、白い影が割って入った。


白旗だ。


正確には、アリアが咄嗟に振り上げた旗の布が、ありえないほど大きく広がった。

風もないのに、月光を含んだみたいに白く膨らみ、短剣の軌道を逸らす。


「……え?」


黒鴉の刃は、旗布に触れた瞬間、まるで力を失ったように横へ弾かれた。

男自身も、見えない壁にぶつかったように後ろへ飛ぶ。


全員の動きが一瞬止まる。


ルシェの目が見開かれた。


「今の……」


『白旗から高密度の魔力反応を確認』


モグが口をあんぐり開ける。


「おいおいおい、聞いてないぞ!」


「私も聞いてない!!」


だが、驚いている暇はなかった。


黒鴉のリーダーらしき男が、すぐに低く命じる。


「旗ごと奪え!」


三人が一斉にアリアへ突っ込んでくる。


「いや多い!!」


グレンが舌打ちし、ひとりを止める。

セブンがもうひとりを受ける。

だが三人目が抜けた。


アリアは白旗を握りしめる。

剣もない、技もない、訓練も足りない。

あるのは、逃げたくない気持ちだけ。


「……っ」


短剣が迫る。


その瞬間、彼女の脳裏に、母の声が蘇った。


――ちゃんと見ること。

――怖いものだけじゃなくて、怖がってる誰かのほうも。


怖がっている。


自分が。

ルシェが。

セブンが。

グレンも、モグも。

そして、目の前の黒鴉だって、きっと何かを恐れてここにいる。


そう思った瞬間、白旗が熱を持った。


熱いのに、痛くない。

光が布の繊維を走り、旗竿の先から白い輪が広がる。


ぶわっ、と夜気が震えた。


地面に散った短剣が跳ねる。

井戸の水面が波打つ。

黒鴉たちの動きが、目に見えて鈍った。


「なに……これ……」


アリア自身が一番分かっていなかった。


ただ、分かることがある。

これは人を吹き飛ばす力じゃない。

もっと別の――


「止まって!」


思わず、彼女は叫んだ。


「もうやめて! 誰も死なないで!」


白旗の光が、一段強くなる。


黒鴉たちの足が止まった。

完全ではない。だが確かに、振り上げた刃がそこで止まり、息が乱れ、膝が揺らぐ。

まるで戦意だけを薄く剥がされたみたいに。


『敵対行動、低下』

セブンが即座に言う。


ルシェが息を呑む。


「戦意を……抑えてる?」


モグは半分笑い、半分青ざめていた。


「ははっ。冗談だろ。停戦の旗って、比喩じゃなかったのかよ」


グレンだけが、苦い顔で呟いた。


「やはり起きたか……」


だが白旗の光は不安定だった。


アリアの視界が揺れる。

心臓がばくばくとうるさい。

手の中から、何か大事なものがどんどん抜けていくような感覚。


「アリア!」

ルシェの声が飛ぶ。


次の瞬間、黒鴉のリーダーが歯を食いしばって踏み出した。

戦意を削がれても、完全には止まらない。

彼は短剣を逆手に持ち替え、真っすぐアリアの喉を狙う。


「っ、まだ……!」


ルシェが跳ぶ。

けれど間に合わない。


セブンが庇う。

だが一歩足りない。


その一瞬を埋めたのは、グレンだった。


「伏せろ!」


彼の投げた短剣が、リーダーの手首を貫く。

男の刃が逸れ、そのままセブンの胸装甲を浅く削った。


『損傷軽微』


「軽微で済むんだ……!」


ルシェの剣が、今度こそリーダーの首筋で止まる。


「終わり」


低い声。

完全に勝負が決した音だった。


残る黒鴉たちも、セブンとモグに取り押さえられるか、壁際へ追い詰められる。

数秒後、裏庭には荒い息だけが残った。


そしてアリアは、その場にへたり込んだ。


「む、むり……足……」


「無理して立つからよ」

ルシェが言う。

だが、その手は思ったよりずっと優しくアリアの肩を支えた。


『脈拍上昇。魔力消耗の兆候あり』


「だいじょうぶ……たぶん……」


「たぶんって顔してないわよ」


アリアの額には汗が滲み、指先は小刻みに震えていた。

白旗はもうただの布のように静かだ。

さっきの光が幻だったのでは、と疑いたくなるくらいに。


グレンは捕らえた黒鴉のひとりの襟を掴み、低く問う。


「誰の命令だ」


男は黙っていた。

血のにじむ口元を拭い、ただ睨み返す。


「言え。次は指から落とす」

ルシェが無感情に言う。


「やめて! 情報収集の手段が物騒すぎる!」


モグがしゃがみ込み、男の腕に刻まれた印を見た。


「……これ、黒鴉でも下っ端じゃねえな。王国の影部隊と繋がってる」


「人間側?」

アリアが顔を上げる。


「少なくとも純粋な盗賊じゃない」

モグが言う。

「しかもこいつら、白旗の場所をかなり正確に追ってる。旅立ったばかりのお前を二日で捕捉するのは普通じゃない」


その言葉に、全員の視線がグレンへ向いた。


グレンは面倒そうに眉をひそめる。


「俺じゃない」


「聞いてないけど」

ルシェが冷たく言う。


「お前らの顔がそう言ってる」


『可能性は否定できない』


「機械にまで言われるのか……」


アリアは息を整えながら、グレンを見た。


「……信じていい?」


ひどくまっすぐな問いだった。

探るでもなく、責めるでもなく、ただ聞く。


グレンは少し黙ってから答えた。


「全部は無理だ」


「全部じゃなくていい」


「甘いな」


「そうかも。でも、今助けてくれたのは本当でしょ」


グレンは苦笑した。

たぶん、その顔は彼自身も久しぶりだった。


「本当だ」


「じゃあ今はそれでいい」


ルシェが横で額を押さえる。


「よくそれでここまで生きてきたわね……」


『補足。ベルンでは運が良かった可能性が高い』


「追い討ちを覚えたね、セブン」


グレンは拘束した黒鴉を見下ろしながら言う。


「ここにはもういられない。こいつらが来たってことは、今夜のうちに他の連中も動く。裏通りだから安全、なんてのはここまでだ」


「じゃあ出るの?」

アリアが聞く。


「今夜のうちに」

ルシェが答える。

「追っ手が増える前に」


モグが嫌そうな顔をした。


「せっかく飯付きの宿を見つけたのにかよ……」


「命と寝床を秤にかけるな」

ルシェが言う。


「旅ってこんなに慌ただしいの!?」

アリアが悲鳴を上げる。


「お前が白旗持ってる限りはな」

グレンが切り捨てた。


それから彼は、懐から一枚の古い金属板を出した。

手のひらに収まる程度の、小さな通行証のようなものだ。

片面には白塔の紋章。もう片面には座標のような古代文字。


「これを持って行け」


「なにこれ」


「白塔の外縁部へ入るための旧認証片だ」

グレンは言う。

「通常の道じゃ辿り着けない場所がある。東の渓谷を抜けて、崩れた水道橋の下へ行け。そこに古い昇降路がある」


モグが目を見開く。


「そんなもん、なんであんたが持ってる」


「昔の借りだ」


「説明になってない」


「全部を今話せるほど、俺も整理がついてない」


グレンは一度だけ、アリアを正面から見た。


「だが、お前の母親は本気だった。世界を変える気でいた。笑い話じゃなく」


アリアの喉が熱くなる。

母の知らない顔。

でも、確かに母の延長線上にある言葉。


「……白塔に行けば、何が分かるの」


「真実の入口くらいは見える」


「出口じゃなくて?」


「そんな親切な世界に見えるか?」


「ぜんぜん見えない!」


モグが肩をすくめる。


「同意だ」


その時、宿の中から女将の怒声が飛んだ。


「裏庭で死体は出すなって言っただろうが!」


「まだ死んでない!」

アリアが反射で返す。


「まだって言うな!」


一瞬だけ、みんなの間に妙な静けさが落ちた。

それから、モグが吹き出した。


「ははっ……お前、ほんとすげえな。こんな場面でも返せるのかよ」


「宿屋の娘だから!」


「万能の言い訳にしすぎでしょ」

ルシェが言う。


セブンが静かに問う。


『方針確認。白塔へ向かうか』


アリアは白旗を見る。

さっきまで熱かった布は、もう静かだ。

けれど、確かに自分の手の中にある。


自分にはまだ振り方も意味も分からない。

それでも、これを知っている者たちが動き始めている。

なら、こっちも進むしかない。


彼女は立ち上がった。少しふらついたが、ルシェが無言で支える。


「行く」


声は弱くなかった。


「白塔に行く。お母さんのことも、この旗のことも、ちゃんと知りたい」


グレンが頷く。


「なら急げ。夜明けまでに町を出ろ」


「一緒には来ないの?」

アリアが聞く。


グレンは少しだけ笑った。

疲れた顔の、でもほんの少し救われたような笑いだった。


「俺は別口の追手を引き受ける。お前らと一緒だと、昔の顔を知ってる連中にすぐ見つかる」


「それって、危なくない?」


「今さらだ」


彼は背を向ける。

けれど数歩進んだところで、振り返らずに言った。


「アリア」


「なに?」


「旗の力を“命令”だと思うな」


「え?」


「それは支配の道具にもなる。だが本来は違う。お前がさっき止めたのは、相手を押さえつけたんじゃない。相手の中の迷いを、少しだけ表に出しただけだ」


アリアは、その言葉を胸の奥に落とす。


――相手の中の迷い。


たしかに、あの瞬間。

黒鴉たちの動きは消えたのではなく、“止まろうとしていた”ように見えた。


「……わかった、気がする」


「たぶん分かってない」

ルシェが横で言う。


「でも覚えておけ。お前がその旗を振るたび、お前自身も試される」


グレンはそれだけ言って、夜の路地へ消えた。


残されたのは、倒れた黒鴉たちと、白塔への道と、いくつもの未解決。


アリアは大きく息を吐く。


「……よし」


「何が“よし”なの」

ルシェが聞く。


「出発準備しよう」


「切り替えが雑!」


『合理的である』


「セブン、そこまで来ると甘やかしだよ」


モグが頭を掻いた。


「俺も行く」


アリアが目を丸くする。


「え、ほんとに?」


「白塔の認証片なんて、見逃せるか。機巧師として興味がある。あとお前らだけだと道中の金勘定が終わる」


「最後が現実的!」


「旅は金だぞ、宿屋の娘」


「平和もお金かかるもんね……」


ルシェが半ば呆れ、半ば諦めたように息を吐く。


「これで四人。ますます目立つわね」


『訂正。人間一、魔物一、機械一、ゴブリン一。統計上、さらに希少な編成となった』


「やめて、言語化されると不安が増す!」


女将の怒鳴り声がまた飛ぶ。


「出るなら裏口使いな! あと壊れた桶の代金はあとで請求する!」


「私たちじゃないのに!?」

アリアが抗議する。


「面倒を持ち込んだぶんだよ!」


「理不尽だーっ!」


それでも、少しだけ笑いが起きた。

戦いの後なのに、息ができる程度には。


夜明け前。

白塔へ向かう新しい一行が、《三日月亭》の裏口から静かに町を出る。


白旗の少女。

魔物の剣士。

感情を学ぶ機械兵。

そして、口の悪いゴブリン技師。


世界を変えるには、ずいぶん頼りない人数かもしれない。

けれど――


最初の仲間としては、たぶん最高だ。

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