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第5話 白旗を知る男

《三日月亭》の裏倉庫部屋は、倉庫と呼ぶには少しだけ情があった。


片側に樽と木箱が積まれ、もう片側に簡素な寝台が三つ。

窓は小さいが、風は通る。天井も雨漏りしていない。

旅初心者のアリアからすれば、これはもう高級宿である。


「屋根がある……」

彼女は感動したように言った。


「基準が低くなってるわよ」

ルシェが荷物を下ろす。


『本日昼間の野営案と比較すると快適性は向上している』


「セブン、それはそう」


モグは入口にもたれて、にやにやしていた。


「どうだ、いい宿だろ」


「案内料に見合ってるかはこれから判断する」


「辛口だな、魔物のお姉さん」


「誰がお姉さんよ」


「怖」


アリアは寝台に座ってみる。ぎしっと鳴ったが壊れない。

その事実だけで少し嬉しい。


「でもほんと助かったよ、モグ。ありがと」


モグは少しだけ目を逸らした。


「礼を言われるほどじゃない。宿屋に客を流せば、あとで女将から飯が一品増える。俺にも得がある」


「それでもありがと」


「……そういうの、調子狂うんだよな」


ルシェがフードを外しながら言う。


「慣れなさい」


「お前ら、仲いいのか悪いのか分かんねえな」


『現時点では“継続観察中の同行者”である』


「セブン、たぶんそれ友情の入口だよ」


『記録した』


モグは肩をすくめた。


「じゃ、飯の時間に降りてこい。食いっぱぐれると、あの女将は容赦なく片づけるぞ」


「それは困る!」


「だろうな」


モグが出ていくと、部屋に少しだけ静けさが戻る。


ルシェは寝台に腰掛けたまま、アリアを見た。


「……ここまで来たけど、引き返すならまだ間に合うわよ」


「急だなあ」


「急じゃない。最初の町でこれよ。正門で追い返されて、裏宿に潜り込んで、今もどこまで信じていいか分からない相手ばかり」


アリアは白旗を見た。

布は相変わらずきれいで、薄暗い部屋でも妙に白い。


「うん。分かってる」


「分かってない顔だけど」


「少なくとも、簡単じゃないのは分かった」


ルシェは少しだけ眉を動かした。


「で?」


「でもやめない」


即答だった。


「怖いし、不安だし、たぶんこれからもっと痛い目も見ると思う。けど、ベルンで言っちゃったし」


「そこ?」


「あと、ルシェとセブンがいる」


ルシェは黙る。

セブンは微かにレンズを明滅させた。


「それにね」

アリアは続ける。

「最初から全部うまくいくなら、それって本当に戦争だったのかなって思う」


その言葉に、ルシェは何も返さなかった。

返せなかったのかもしれない。



夕食時の《三日月亭》は、思っていたより賑やかだった。


煮込みの匂い、酒の匂い、木の食器がぶつかる音。

表の上品な宿とは違うが、ここにはここなりの活気がある。

危ない客が多いぶん、妙にルールもはっきりしていた。


「そこで喧嘩したら外」

「椅子を投げたら弁償」

「吐くなら裏庭」


入口の柱に、そんな注意書きが並んでいる。


「最後が嫌だな」

アリアが言う。


「現実的だろ」

モグが言う。


女将が大皿をどん、とテーブルに置いた。

豆と肉の煮込み、黒パン、焼き野菜、薄いスープ。

豪華ではないが、温かい。今のアリアにはそれだけでごちそうだった。


「いただきます!」


「声がでかい」

ルシェが言う。


「ご飯の前の礼儀だから」


『礼儀は重要』


「セブン、食べられるの?」


『摂取は不要。だが味覚センサーによる簡易分析は可能』


「じゃあ食べてみなよ!」


『推奨される行動か?』


「人生経験として!」


「機械に“人生”って言ってる時点でだいぶ末期よ」

ルシェが匙を取る。


セブンはしばらく煮込みを見つめ、それから本当にひと口だけ口に入れた。

数秒沈黙。


『……熱い』


アリアは吹き出した。


「そこからなの!?」


『味の前に温度情報が優先された』


「冷ましてからにしなさいよ……」


モグが腹を抱えて笑う。


「いいなあ、お前ら。見てて飽きねえ」


その時だった。


向かいの席で酒を飲んでいた大男が、ゆっくりこちらを見た。


入ってきた時からいた男だ。

三十代後半くらい。

肩幅が広く、片方の頬に古い傷がある。無精ひげに、くたびれた外套。

どこにでもいそうな傭兵風だが、妙に目だけが鋭い。


彼は杯を置いて言った。


「その旗、どこで拾った」


アリアの手が止まる。


白旗は今、椅子の背に立てかけてある。

布で巻いていたが、食事の間に少しほどけていたらしい。


ルシェの気配が一瞬で変わった。

セブンも男を認識し、微妙に座り直す。


「関係ないでしょ」

ルシェが低く言う。


男は肩をすくめた。


「そうだな。普通はそうだ」


普通は、という言い方が引っかかる。


アリアは慎重に聞き返した。


「……知ってるの?」


「知ってる」


「何を」


「その白が、ただの布じゃないことを」


食堂のざわめきが、少し遠くなる。

モグまで笑いを止めた。


男は立ち上がるでもなく、こちらを見たまま言う。


「名前はグレン。今はただの運び屋だ。昔は、まあ……戦場を渡る仕事をしていた」


「傭兵?」

アリアが聞く。


「似たようなもんだ」


ルシェは剣の柄に手をやったまま離さない。


「その旗を知ってるなら、何者でも“ただ”じゃない」


「そう警戒するな。今ここで奪う気はない」


「今は、ね」


グレンは否定しなかった。

代わりに、少しだけ視線を細める。


「白旗を持つ娘。魔物の護衛。機械兵の同行。噂より、ずいぶん早い」


「噂?」

アリアが顔をしかめる。


グレンは懐から紙を一枚出し、テーブルの上に滑らせた。


それは粗い紙に描かれた似顔絵だった。

驚くほど似ていない。

だが、白旗を持った少女と分かる程度には特徴を掴んでいる。


紙の上には乱暴な字で書かれていた。


《白旗の娘を捕縛した者に報奨金》

《生死問わず》


アリアは固まった。


「待って待って待って、早くない!? 旅に出て二日目なんだけど!?」


「世界はお前が思うより動きが早い」

グレンが言う。


モグが紙をひったくるように見て、顔をしかめた。


「これ、表の依頼所にはまだ出てなかったぞ。裏経由か……いや、もっと悪い」


「誰がこんなの……」

アリアの声が小さくなる。


「人間の王国、魔物の一部氏族、機械軍の残党。どこが出しててもおかしくない」

グレンは淡々と言った。

「白旗は三種族どこにとっても面倒な存在だ。神話の鍵であり、停戦の象徴であり、場合によっては支配の道具にもなる」


セブンが静かに確認する。


『質問。なぜそれを我々に開示する』


「お前らがここで殺されると、あとで寝覚めが悪い」


「嘘」

ルシェが即答した。


「半分本当だ」


「残り半分は?」


グレンは一度だけ、白旗を見た。


「その旗を、昔知ってる」


アリアの胸がどくんと鳴った。


「昔って……いつ?」


「二十年前」


思っていたより近い数字だった。

神話や伝説の話ではない。

母が生きていた頃に届く距離だ。


アリアは思わず椅子から半分立ち上がる。


「教えて。白旗って何なの。お母さんは何を知ってたの」


グレンはすぐには答えない。

代わりに周囲をちらりと見る。

食堂の客たちは表向き知らん顔をしているが、明らかに耳を立てていた。


「ここじゃ駄目だ」

彼は低く言う。

「聞きたきゃ、あとで裏庭に来い」


「罠かも」

ルシェが言う。


「だろうな」

グレンは否定しない。

「だが、お前らはもう罠の外にいない」


その言い方は腹立たしいほど正しい。


女将が遠くから怒鳴った。


「グレン。うちの飯時に不穏な空気を持ち込むな」


「持ち込んだのはこいつらのほうだ」


「じゃあ連帯責任で全員静かに食べな」


モグが小さく笑う。


「さすが女将。強い」


グレンは再び杯を取り、もう何も言わなかった。

だがアリアの食欲は半分くらい飛んでいた。


報奨金。

生死問わず。

二十年前。

母と白旗。


旅はまだ始まったばかりなのに、世界はすでにこちらを見ている。



食後、アリアは部屋に戻っても落ち着かなかった。


寝台に座り、報奨金の紙をじっと見る。

ルシェは窓辺に立ち、セブンは扉の近くで警戒していた。

モグはちゃっかり同席している。


「どうする?」

アリアが聞く。


「会いに行くべきではある」

モグが先に言った。

「白旗のことを知ってるやつなんてそうそういない」


「でも怪しい」

アリアが言う。


「怪しくない情報屋や運び屋は死ぬ」

モグが真顔で返す。


「この世界、職業への風当たり強くない?」


ルシェが腕を組む。


「会うのはいい。でも私も行く」


『同意』


「俺も」

モグが言う。


アリアは眉を上げた。


「モグも?」


「裏通りの顔役みたいなやつだ。下手に単独で話させると、お前ら足元見られるぞ」


「今でも十分見られてる気がするけど」


「さらにだ」


アリアは少しだけ考えて、頷いた。


「わかった。みんなで行こう」


その時。


扉の下の隙間から、するりと何かが滑り込んできた。


白い封筒だった。


全員の視線が落ちる。


『警戒』

セブンが一歩前に出る。


ルシェが封筒を拾い、匂いを確かめ、ゆっくり開く。

中には紙が一枚。


短い文が書かれていた。


《白旗の娘へ》

《グレンを信じるな》

《裏庭に行けば死ぬ》


アリアは息を呑んだ。


「……なにこれ」


モグの顔から、初めて軽さが消える。


「面倒どころじゃなくなってきたな」


ルシェは紙を見つめたまま、低く言う。


「いい。すごく好きよ、こういうの」


「絶対好きじゃない顔してる!」


『状況整理。グレンを信用できない可能性と、封筒の差出人を信用できない可能性が併存する』


「つまり?」


『誰も信用できない』


「うわあ、旅っぽい!」


「感想が軽いのよ……」


それでもアリアの目は、少しずつ強くなっていた。

怖い。

でも、ここで止まるわけにはいかない。


彼女は白旗を抱き寄せる。


「行く」


「決断が早い」

モグが言う。


「だって、どっちにしても知るしかないから」


ルシェが口の端だけで笑った。


「そういうところだけは、ほんと嫌いじゃない」


アリアは少し照れたように笑い返す。


「今の、かなり褒めたでしょ」


「五年分くらい」


『記録した』


「やめて」

ルシェが即答した。


夜が深くなる。

《三日月亭》の裏庭には、薪小屋と古井戸、そして町の灯りが届きにくい暗がりがある。


そこに待つのは、

真実か、罠か。

あるいは、その両方か。


アリアたちは、静かに立ち上がった。

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