第39話 灰冠の男
王都中央区、内政庁本館。
夜は更けている。
だが、この建物だけは例外だった。
灯りが消えない。
人が絶えない。
書類が止まらない。
その最奥。
簡素な執務室に、一人の男がいた。
机の上には山のような文書。
その中の一枚を、彼は静かに読んでいる。
西方特別運用計画・補助感応網再接続
そして、写しではない。
――原本。
「……なるほど」
男は小さく呟いた。
年は三十代半ば。
整った顔立ちだが、印象は薄い。
どこにでもいそうで、どこにもいないような存在感。
その男こそが――
アルヴェイン
机の前に立つイザベル・クロムウェルが報告を続ける。
「侵入者は複数。
構成は人間、魔物、機械混成。
白塔関連の可能性が極めて高い」
「書庫番は?」
「拘束済み。
ただし情報漏洩の疑いあり」
アルヴェインは頷く。
「当然だね。
あの状況で黙る人間は少ない」
責める気配はない。
ただ事実として受け止めている。
「侵入者の特徴は?」
彼は続ける。
イザベルは一瞬だけ言葉を選び、それから答えた。
「統率は不完全。
だが、意思は明確。
……そして、中心に“少女”がいる」
アルヴェインの手が止まる。
「少女?」
「はい。
白塔関係者の可能性が高い」
数秒の沈黙。
やがて、アルヴェインは紙を机に置いた。
「……やっと出てきたか」
その声には、喜びも怒りもない。
ただ、“待っていた”という響きだけがあった。
「対応はどうする?」
アルヴェインが問う。
イザベルは即答する。
「捕縛を優先。
次点で排除」
「排除は最後でいい」
アルヴェインは首を横に振る。
「彼らは“情報を持っている”」
「はい」
「なら殺すと困る」
当たり前のように言う。
その言葉に、部屋の空気が少しだけ冷える。
「王都の外に出られた場合は?」
イザベルが問う。
アルヴェインは少し考える。
「出られる前提で動こう」
「……よろしいのですか」
「うん」
彼はあっさり答えた。
「完全封鎖は“騒ぎになる”」
そして続ける。
「騒ぎは、都合が悪い」
その一言で全てが繋がる。
彼は“正しさ”では動いていない。
“秩序”で動いている。
「では、どうしますか」
イザベルが聞く。
アルヴェインは指を軽く組む。
「二つだね」
その声は穏やかだ。
だが内容は冷酷だった。
「一つ。
“白塔関係者は危険”という情報を流す」
「……民衆へ?」
「うん。
不安は、こちらの味方になる」
イザベルは頷く。
予想通りの手だ。
「もう一つは?」
アルヴェインは、ほんの少しだけ笑った。
「彼らに、“選ばせる”」
「選ばせる?」
「助けるか、逃げるか」
イザベルの目が細くなる。
理解した。
「……誘導するのですね」
「そう」
アルヴェインは頷く。
「彼らは“助ける側の人間”だ」
その言葉は断定だった。
「だから、助けに来る」
「……既に来ましたが」
「もう一度来るよ」
アルヴェインは言う。
「今度はもっと深いところへ」
そして静かに続ける。
「その時、捕まえる」
翌朝。
王都の空気は、昨日とは違っていた。
ざわついている。
広場。
市場。
通り。
どこでも同じ話題が流れている。
「聞いたか? 白塔の連中が――」
「魔物と組んでるらしいぞ」
「昨日の騒ぎ、あいつらのせいだって」
「危ないやつらだってよ」
アリアは足を止めた。
「……なにこれ」
リオが低く言う。
「情報操作だな」
「早すぎない?」
「早いから効くんだよ」
ルシェが腕を組む。
「完全に“敵”にされたわね」
モグが舌打ちする。
「クソが、やりやがった」
グレンは周囲を見ている。
人の視線が変わっている。
昨日まで“知らない旅人”だった。
今は――“危険な何か”。
アリアの胸がざわつく。
「……私たち、そんな風に見られてるの?」
エリオットが答える。
「“そう見えるようにされた”」
それが現実だった。
その日の夕方。
工房に、一通の紙が届いた。
差出人はない。
だが内容は短い。
「動くな。見られている」
その字を見て、エリオットが言う。
「マルグリットです」
アリアが眉をひそめる。
「また助けてくれてるの?」
「……助けているかは分かりません」
その時、扉が開いた。
音もなく。
マルグリット・ヴェインが立っていた。
「相変わらず不用心ね」
全員が構える。
彼女は一歩中へ入り、周囲を見渡す。
「……なるほど。
やっぱり来たのね」
「何しに来た」
グレンが低く言う。
マルグリットはアリアを見る。
「忠告」
「また?」
「今回はもっと単純よ」
彼女は一枚の紙を机に置いた。
そこには、簡単な配置図。
「内政庁地下、第二拘束区画。
明日、移送」
空気が凍る。
「……ヴィグ」
アリアが呟く。
「ええ」
マルグリットが頷く。
「そして他にも“重要参考人”が含まれる」
つまり――
また選択だ。
助けるか、見捨てるか。
マルグリットは静かに言う。
「今回はもっと厳しいわよ」
「どういう意味」
「昨日より奥。
警備は倍以上」
彼女は一歩近づく。
「そして」
少しだけ、声を落とす。
「アルヴェインは“待ってる”」
その言葉に、全員が理解する。
これは罠だ。
完全な。
マルグリットはそれ以上何も言わず、背を向ける。
「待って」
アリアが呼び止める。
彼女は振り返らない。
「……なんで教えてくれるの」
少しの沈黙。
やがて、答えが返る。
「私も嫌いなのよ」
「何が」
「“正しい顔をして、汚いことをする連中”が」
その言葉は、少しだけ本音だった。
そして彼女は去る。
残されたのは、地図と現実。
リオが言う。
「完全に罠だな」
モグも頷く。
「分かりやすいくらいに」
ルシェがアリアを見る。
「で?」
グレンも同じく。
「どうする」
アリアは地図を見る。
震えは、もうない。
怖さはある。
でも、止まらない。
「……行く」
短く言う。
「でも今回は」
顔を上げる。
「“助けるため”だけじゃない」
全員がその意味を待つ。
アリアは言った。
「“アルヴェインを引きずり出す”」
空気が変わる。
モグが笑う。
「いいじゃねえか」
グレンも頷く。
「やっと対面か」
ルシェは目を細める。
「本番ね」
アリアは静かに息を吐く。
もう後戻りはできない。
これは救出じゃない。
戦いだ。




