第10話 祈りの間は、祈るだけの場所じゃない
昇降機は、守衛機四号が認証補助に入ったことで再起動した。
円盤の縁に白い光が走り、中央の床が低く唸る。
長い眠りから、また一つ古代の機構が目を覚ましたのだ。
アリアは最後に、母の映像が消えた場所を見る。
「……また来るね」
返事はない。
けれど、今はそれでいい気がした。
ルシェが横に立つ。
「大丈夫?」
「うん」
アリアは頷いた。
「泣いたらちょっとすっきりした」
「安いわね」
「宿屋の娘だから」
「万能じゃない、その言い訳」
モグが荷物をまとめながら言う。
「中層の《祈りの間》ねえ……古代の宗教施設か、それとも儀式場か」
『両方の可能性』
「相性いいなお前ら」
「悪い意味でね」
ルシェが言う。
アリアは白旗を抱え直し、昇降機の中央に立つ。
その周りを、ルシェ、セブン、モグ、そして守衛機四号が囲んだ。
奇妙な隊列だった。
人間。
魔物。
機械。
ゴブリン。
そして古代守衛機。
けれど母の言葉を聞いた今、その奇妙さこそが正しいのかもしれないと、アリアは少しだけ思えた。
円盤がゆっくりと下降を始める。
石壁が上へ流れていく。
冷たい空気がさらに深くなる。
闇の奥、かすかな白い光が見えた。
そこが祈りの間なのか。
その先に何があるのか。
まだ誰にも分からない。
ただ一つ分かるのは、
もう後戻りのできないところまで来た、ということだけだった。
アリアは白旗を胸に抱き、静かに息を吸う。
「……行こう」
今度は誰も、止めなかった。
昇降機が止まった時、最初に聞こえたのは水の音だった。
静かな、途切れない滴り。
それが白塔中層《祈りの間》の空気を満たしていた。
扉が開く。
その先に広がっていたのは、思っていたような礼拝堂ではなかった。
巨大な円形空間。
床には何重もの紋様が描かれ、天井からは白い結晶柱が下がっている。
壁をぐるりと取り囲むように三種族の像が並び、その中央には、まだ何も捧げられていない祭壇のような台があった。
人間の像は本を持ち、
魔物の像は芽吹いた枝を抱き、
機械の像は空の両手を差し出している。
「……きれい」
アリアが思わず呟く。
「綺麗な場所ほど、だいたい面倒がある」
ルシェが言う。
「夢がない!」
『経験則として一定の妥当性あり』
「セブンまで!」
モグはもう床の紋様にしゃがみ込んでいた。
「待て待て待て、これ全部制御式か? いや、儀式陣との複合……? 古代人、無駄に本気出しすぎだろ……!」
「モグが楽しそうな時は大体良くないことの前触れなんだよなあ」
守衛機四号は円盤の縁から動かず、周囲を見張っていた。
セブンもまた、目に見えない何かを探るようにレンズを動かしている。
『空間内に待機系認証あり』
「また難しい言い方」
『この部屋自体が、訪問者を試す機能を持っている可能性』
「うわあ、やっぱり」
その瞬間だった。
祭壇の上に、白い光が集まる。
母の時と同じような映像かと思ったが、違った。
現れたのは人ではない。
輪郭の曖昧な、白い仮面のような顔。
肩から下は霧のように揺らぎ、声は男とも女ともつかない。
『祈りの間、認証開始』
空間全体に声が響く。
『盟旗保有者、並びに同行者を確認』
『目的照会』
アリアは一歩前へ出た。
「白塔の記録を知りたい。戦争を止める方法を探してる」
『目的の大枠を受理』
『追加照会。盟旗保有者は何を望む』
「え……」
問いが、予想より真ん中を刺してきた。
戦争を止めたい。
平和にしたい。
それは本当だ。
でも“何を望むか”と改めて問われると、答えはひとつではない。
アリアはゆっくり言う。
「……誰かを全部正しくすることじゃない。
誰かが誰かを“最初から敵だ”って決めなくていい世界にしたい」
白い仮面はしばらく沈黙した。
『抽象度が高い』
「うっ」
「正論だわ」
ルシェがぼそっと言う。
アリアは少しむっとした。
「でも本音だよ!」
『本音であることは認める』
『次段階へ移行。同行者の照会を開始』
「え、みんなも!?」
『盟旗は単独で機能しない。隣に立つ者の意思もまた測定対象である』
その言葉に、ルシェの眉がぴくりと動いた。
セブンは微かな明滅だけで応じる。
モグは「うわ、面接始まった」と嫌そうな顔をした。
白い仮面は、まずセブンへ向く。
『機械兵個体。お前は何を望む』
セブンはほとんど迷わなかった。
『任務定義の更新』
「おお、機械っぽい」
モグが小声で言う。
『私は長く、指示に従うことで稼働してきた。しかし現在、旧任務は世界の維持に寄与しないと判断している。新たな指針が必要だ』
『何故、盟旗保有者に同行する』
『観測のため。加えて、彼女の判断には非合理な点が多いが、排除ではなく接続を選ぶ傾向がある。それは旧式調停機構が失った要素に近い可能性がある』
アリアが目を丸くする。
「……それ、かなり褒めてない?」
『客観評価である』
「照れるなあ」
「そこで照れるのもどうなの」
ルシェが言う。
白い仮面は続いて、モグへ向く。
『ゴブリン個体。お前は何を望む』
「金」
モグが即答した。
沈黙。
「いや本音だぞ?」
『簡潔すぎる』
「じゃあ言い直す」
モグは肩をすくめた。
「金と、技術と、生き延びる道だ。ゴブリンはいつだって“便利な下請け”扱いだからな。表の歴史には名前も残らない。だったら俺は、自分の目で見たものくらい持って帰りたい」
さっきまで軽かった顔が、少しだけ真面目になる。
「あと……白塔の技術に興味があるのは本当だ。でもそれだけじゃない。お前ら見てると、もし本当に昔みたいに三種族が話せたなら、俺たちみたいな端っこにいる連中も少しはマシになるんじゃねえかって思う」
アリアが柔らかく笑った。
「モグって、案外いいやつだよね」
「案外は余計だ」
『利得と理想の混合を確認』
仮面が言う。
『矛盾はない』
「お、通った?」
『保留』
「厳しいな!」
そして最後に、白い仮面はルシェへ向いた。
空気が少しだけ変わる。
『魔物個体。お前は何を望む』
ルシェは答えない。
しばらく沈黙が続く。
アリアが何か言いかけたが、ルシェの横顔を見て、やめた。
彼女の目は、壁の魔物像ではなく、ずっと遠くを見ていた。
『再照会。お前は何を望む』
「……森を守ること」
ようやく返ってきた声は、硬かった。
『それだけか』
「十分でしょ」
『不十分』
ルシェの指が、剣の鞘を強く握る。
「気に入らないわね」
『お前は“守る”と称して何を切り捨てた』
空間が静まり返る。
アリアは息を呑んだ。
仮面の声には責める響きがない。
だが、それが逆に逃げ場をなくしていた。
ルシェは睨み返す。
「試すつもり?」
『確認している』
「同じことよ」
『違う。試練は乗り越えるためにある。確認は、既にあるものを暴く』
その言葉の直後、床の紋様が白く光った。
ルシェの足元から光が立ち上がる。
アリアが叫ぶ。
「ルシェ!」
だがルシェは、光の中で動かなかった。
いや、動けなかったのかもしれない。
彼女の周囲の景色だけが歪む。
祈りの間が消え、別の風景が浮かび上がる。
燃える森だった。




