第9話 母が残した最初の記録
映像の母は、こちらをまっすぐ見ていた。
本当は違う。
これは録画された記録に過ぎない。
それでもアリアには、今この場で視線が重なったように感じられた。
『記録番号、白塔外縁・第十二補助保管区画』
映像の周囲で古代文字が回る。
そのあと、母の声が響いた。
「もしこの記録を見ているのが私の娘なら……まず、生きていてくれてありがとう」
アリアの目が、一瞬で熱くなる。
「ずるい……」
彼女は小さく呟いた。
「最初にそれ言うの、ずるい……」
ルシェは何も言わず、少しだけ視線を逸らした。
セブンも静かに映像を見ている。
モグですら、今は口を挟まなかった。
映像の母は穏やかに続ける。
「たぶんあなたは怒っているでしょう。どうして何も教えてくれなかったのか、どうして置いていったのか」
アリアは思わず笑ってしまった。
涙が混じって、変な顔になった。
「うん。かなり怒ってる」
「知ってるって顔ね」
ルシェがぼそりと言う。
映像の母は少しだけ困ったように笑う。
その癖まで、同じだった。
「全部を話せなかったのは、あなたを巻き込みたくなかったから。でも、いつか必ず巻き込まれるとも分かっていた。白の盟旗は、隠して終わるものじゃない」
画面の奥に、白塔らしき白い柱の一部が見える。
母はその前で記録を残しているようだった。
「聞いて。人間と魔物と機械の戦争は、自然に始まったものではない」
モグが息を呑む。
ルシェの瞳も細くなる。
アリアは涙も拭かずに、ただ耳を澄ませた。
「三種族は、かつて“世界を分かつため”に生まれたのではなく、“世界を守るため”に役割を分けた」
人間は、記憶と継承。
魔物は、土地と生命。
機械は、記録と調停。
「違う力を持つことで、ひとつの世界を支えるはずだった」
だが、と母は表情を曇らせる。
「白塔の中枢で、何かが変わった。調停機構は“争いを止める”ために、争いの原因そのもの――意志の衝突を消そうとし始めた」
セブンのレンズがわずかに明滅する。
『調停機構……』
「それを拒んだ者たちがいた。人間にも、魔物にも、機械にも。そして争いが起きた。あまりに長い争いの中で、皆、本当の始まりを忘れてしまった」
アリアは白旗を見た。
自分の手の中の布が、急にとても重く感じる。
「盟旗は、支配のための旗じゃない」
母ははっきりと言った。
「異なる意志が、異なるままで隣に立てることを思い出させる旗」
その言葉に、アリアはさっきの感覚を思い出した。
守衛機たちを従わせたのではない。
彼らの中に残っていた“止まる理由”を、少しだけ呼び起こしただけだ。
「だからあなたがこの旗を使うなら、命令しようとしないで。従わせようとしないで。相手の中にある“まだ決めきっていない心”に手を伸ばしなさい」
ルシェが、ほんのわずかに息を呑む。
その言葉は、戦うことしか知らなかった彼女にも刺さったのかもしれない。
映像の母は、そこで少しだけ視線を落とした。
「……そして、これが一番大事」
アリアの胸が嫌なふうに鳴る。
「私たちの交渉は、裏切りで失敗した」
ホールの空気が張る。
「裏切ったのは一人ではない。人間の王国、魔物の強硬派、機械軍の独立派、そのすべてに協力者がいた。でも中でも、最も深く白塔に触れていたのは――」
映像が、そこで乱れた。
「え?」
古い記録にノイズが走る。
白い線が画面を裂き、声が一瞬途切れる。
モグが慌てて円盤に駆け寄る。
「おい、保管状態はいいはずだぞ!」
セブンが即座に分析する。
『外部からの干渉ではない。記録の一部が意図的に封鎖されている』
「封鎖?」
『高次認証が必要と推定』
「そこで止まるの!?」
アリアが叫ぶ。
「一番大事なところで!?」
映像の母は、ノイズの向こうでかろうじて続けた。
「……この先の記録は、外縁部では開けない。白塔中層――《祈りの間》へ向かって」
「祈りの間……」
「そこで、私が残した二つ目の記録を見なさい。
もしあなたが一人なら戻って。
でも、あなたの隣に誰かがいるなら――」
母の顔が少しだけ柔らかくなる。
「その人たちを信じて」
アリアの目から、とうとう涙が落ちた。
母は知っていたのだ。
娘がひとりではここに来られないことも。
きっと誰かと一緒に来ることも。
「あなたが優しいままでいるのは、弱さじゃない。
優しいまま進むことは、とても難しい。
だから、できるなら誇りなさい」
映像が薄れていく。
最後に、母はいつもの笑い方をした。
「ごめんね。
それでも、お願い。
生きて、選んで」
そこで記録は終わった。
光が消える。
ホールに静寂が落ちる。
アリアはしばらく動けなかった。
白旗を抱きしめるように持ったまま、ただそこに立っている。
ルシェがゆっくり近づき、何も言わずに自分の外套を肩へ掛けた。
冷えていたことに、アリアはそれで初めて気づく。
「……ありがと」
「泣いてる顔が丸見えだから」
「優しいじゃん」
「勘違いしないで」
『発言と行動に乖離を確認』
「セブン」
ルシェが低く言う。
「今のは黙っててあげて」
モグは少し離れた場所で腕を組んでいた。
いつもの軽さはなく、珍しく真剣な顔をしている。
「……重いな」
彼が言う。
「うん」
アリアが涙声で笑う。
「めちゃくちゃ重い」
「でも進むんだろ?」
アリアは母が消えた場所を見つめる。
生きて、選んで。
その言葉が胸に残っていた。
「進む」
今度は迷いなく言えた。
「祈りの間に行く。白塔の中層。そこで二つ目の記録を見る」
セブンがホール奥を見た。
『注意。昇降機の起動には追加エネルギーが必要』
「今度は何!?」
アリアが言う。
『守衛機五体のうち一体を認証補助に組み込む必要があると推定』
「守衛機を!?」
モグの目がまた輝き始める。
「面白くなってきたな……!」
「モグ、趣味が完全に危険寄りなんだよなあ」
ルシェは呆れたように剣を納めた。
「つまり、その機械たちと協力しろってこと?」
『そう解釈できる』
アリアは守衛機たちを見た。
まだ膝をついたまま動かない。
敵ではない。だが味方とも言い切れない。
さっき母が言ったばかりだ。
――従わせようとしないで。
――相手の中にある“まだ決めきっていない心”に手を伸ばしなさい。
アリアはゆっくりと、一体の守衛機の前に立った。
「……お願い」
ルシェもモグも、少しだけ目を見張る。
命令ではなく、お願い。
それがこの場の正解だと、本能で分かったのかもしれない。
「私は、白塔の先へ行きたい。お母さんの残したものを知りたい。
それに……この戦争を終わらせる方法を探したい。
だから、力を貸してほしい」
守衛機は動かない。
青い目がこちらを見ているだけ。
数秒。
やがてその目が、淡く白に変わった。
『――盟旗保有者の意思を確認』
『――補助認証、限定承認』
『――護衛単位《四号》、同行プロトコルへ移行』
一体の守衛機が、静かに立ち上がる。
「……え?」
アリアが瞬く。
モグが大声を上げた。
「うわ、本当に仲間になった!?」
『訂正。限定同行である』
セブンが即座に言う。
「でも実質仲間じゃん!」
アリアが叫ぶ。
ルシェは額を押さえた。
「旅、三日目で増えすぎなのよ……」
守衛機《四号》は槍を立てたまま、アリアの前に片膝をついた。
礼を示す古い所作なのかもしれない。
アリアは思わず笑ってしまう。
泣いた直後の、ぐしゃぐしゃの笑顔だった。
「よろしく、四号」
『――了解』
『暫定護衛対象、アリア・フェルン』
その声は冷たい機械音声のはずなのに、
アリアには不思議と、少しだけ頼もしく聞こえた。




