repair.93 『王都の使者と静かなる侵食』
歴史的な遠隔式典の余韻が冷めやらぬ迷宮都市に、不穏な影が落ちた。都市の正門をくぐったのは、一際目を引く重厚な魔導馬車を連ねた一団である。表向きは新設される魔導アカデミーの視察団を称していたが、その実態は王宮魔導調査団の精鋭たちであった。彼らを率いるのは、現場主義のカドモンさえもが言葉を失うほどの威圧感を放つ、調査団の重鎮たちだ。
彼らはアカデミーの敷地へ向かうこともなく、まっすぐに迷宮の入り口傍に佇むリエイの工房へと足を向けた。工房の扉が開かれるなり、そこにある穏やかな空気は一変し、鉄の冷たさに似た緊張感が空間を支配する。
「リエイ殿。単刀直入に申し上げよう。その自動人形は、王国の安全保障、延いては魔導技術の独占管理に関わる極めて重大な遺物である。一介の修理師が私有し、弄んでよいものではない」
代表として名乗り出た男は、煤けた作業場を見下すように冷然と言い放った。男の瞳には、かつてのゼノスが宿していたものと同質の、道具を単なる「資源」や「燃料」としてのみ捉える冷たい光が宿っていた。彼らにとって、シエルは人格を持つ助手ではなく、解体して中身を吸い出すべき電池に過ぎないのだ。
リエイは眼鏡のブリッジを指で押し上げ、その奥にある鋭い眼差しを微塵も崩さなかった。彼は作業台に置いていたレンチを、意識的にゆっくりとした動作で腰のベルトに差し込んだ。
「あいにくですが、彼女は私の助手であり、今は自らの意志でここに留まることを選んだ一人の存在です。王国の財産として登録される前の『故障品』を救い出したのは私だ。……それに、彼女の極めて複雑な魔術回路を正確に解析し、維持できるのは、この街では私と、そこに浮いている偏屈な魔導の祖だけですよ」
『誰が偏屈じゃ! 礼儀を知らぬ若造め! ……まあよい、この小僧の言う通りだ。貴様らのような、因果の表面を撫でるだけの浅知恵しか持たぬ魔導師がその無骨な手で触れてみよ。この娘の核は拒絶反応を起こして瞬時に自壊し、その余波だけでこの都市の半分を消し飛ばすマナの暴発を引き起こすことになるぞ』
アルス・マグナが結晶体を激しく明滅させ、古代の威厳を込めた圧を放つ。その言葉の重みに、使者たちは一瞬だけたじろぎ、互いに顔を見合わせた。しかし、彼らが懐から取り出し、突きつけてきた王命の書状には、リエイの理解者であるはずの宰相ベネディクトの署名が記されていた。それは、王宮内部の強硬派を抑え込むための、彼なりの苦渋の選択であることは明白だった。
「……一週間の猶予をやる。それが我々に提示できる最大の譲歩だ。それまでに、その人形の深層に刻まれた『未踏域』の全データを抽出し、報告書としてまとめよ。期限を過ぎれば、我々は実力行使を厭わない。聖教騎士団の精鋭による強制接収を開始する」
最後通牒を突きつけ、使者たちが冷ややかな風を残して去った後、工房には底冷えするような沈黙が降りた。ノエルは震える手で、シエルの無機質な、しかし温かな熱を宿した手を固く握りしめた。
「そんな……。シエルさんは、抽出されるだけの物じゃないのに。リエイさん、どうにかならないんですか?」
ノエルの悲痛な問いかけに、リエイはすぐには答えなかった。彼は窓の外、夕闇に溶け込みながら不気味に沈黙する岩山ダンジョンの巨大な影を見つめていた。そのシルエットが、まるで口を開けて獲物を待つ怪物のようにも見えた。
「……ゼノスの残した『黒い糸』は、まだ切れていなかったというわけか。いや、むしろ奴の狙いは最初から、こうして俺たちを追い詰めることにあったのかもしれないな」
リエイの声は、静かだが激しい決意を秘めていた。一週間。その短い時間の中で、彼は愛用の道具たちと共に、迷宮の深淵と王宮の闇という二つの巨大な故障に立ち向かう術を見出さなければならなかった。




