repair.92 『琥珀の瞳と禁忌の残照』
迷宮都市の喧騒が遠く聞こえる昼下がり、リエイの工房には規則的な金属音だけが響いていた。シエルが助手として加わってから、作業の効率は劇的に向上している。彼女は言葉を交わさずともリエイの思考を先読みし、最適な角度で工具を差し出し、あるいは部品の保持を完璧にこなしていた。
「リエイ様。その銀の針、先端から三ミクロン地点に微細な魔力の磨耗を検知。伝導率に零点二パーセントの誤差が生じています。再研磨を推奨します」
シエルが琥珀色の瞳を細め、静かな声で告げた。無機質な報告の中に、修復を急ぐリエイへの微かな気遣いが混じっているように聞こえ、彼は苦笑して手を止めた。
「助かるよ、シエル。相変わらずの鑑定眼だな。だが、あまり情報を詰め込みすぎるな。お前の核はゼノスに無理やり書き換えられたばかりだ。まだ完全には安定していないんだからな」
リエイが労るように言うと、シエルは小さく首を横に振った。彼女の瞳の奥では、時折、現代の魔導体系では解析不能な数式の奔流が瞬いている。それは違法職人ゼノスが彼女の深層意識に刻み込んだ、二十層のさらに先、未踏域へと続く禁忌の座標データが、今もなお彼女の精神回路を激しく揺さぶっている証拠だった。
工房の隅で浮遊していたアルス・マグナが、その様子を察してシエルの頭部を凝視した。正八面体の結晶が、警戒を示すように鋭い光を放つ。
『小僧、やはりこの娘の奥底に眠る地図は、単なる地形データではないようじゃ。我の記憶にある古い術式体系、それも黄金時代の禁術と共鳴しておる。……これは、迷宮そのものを外部から再定義し、強制的に作り替えるための設計図に近い代物だぞ』
リエイの背筋に冷たいものが走った。もしこのデータがゼノスの手に戻り、あるいは王宮の野心ある者たちの手に渡れば、迷宮の生態系は根底から覆される。迷宮の制御が失われれば、街そのものが膨大なマナの渦に飲み込まれ、消滅しかねない。
「……放置はできないな。解析を急ごう。シエル、少し意識の深層へ潜らせてもらうぞ。俺のゴーグルとお前の視覚を同期させる」
リエイが多機能ゴーグルの設定を操作し、解析深度を禁忌領域まで引き上げた。瞬間、工房の空気が真空になったかのように静まり返る。共有された視界の先、シエルの瞳の奥に映し出されたのは、岩山ダンジョンの最深部、二十層を遥かに超えた暗闇の中に眠る巨大な空洞の光景だった。
そこには、これまでリエイが解体してきた赤き氷海石とは比較にならないほどの質量、そして禍々しいまでの威圧感を持った構造物が鎮座していた。黒く脈動するそれは、何層にも重なった巨大な鎖によって封印された、重厚な扉だった。
扉が鼓動するたびに、因果の糸が歪み、周囲の空間が軋んでいる。リエイはゴーグル越しに、その扉の奥から溢れ出す圧倒的な絶望の気配を感じ取り、無意識のうちにレンチを握る手に力を込めた。




