repair.79 『腐敗した心臓と職人の限界』
重厚な鉄の扉が軋んだ音を立てて開くと、そこにはかつての王国の栄華を象徴する、巨大な円筒形の「大魔導炉」が鎮座していた。しかし、その姿はもはや聖なる遺産ではない。
炉の表面にはどす黒い粘液が血管のようにのたうち回り、ドクン、ドクンと嫌な音を立てて脈動している。炉の排気口からは、煤けた黒い霧が絶え間なく噴き出し、周囲の石壁を腐食させていた。
「……これが、この国の魔導を支えていた心臓の成れの果てか」
リエイは多機能ゴーグルを叩き、最大出力で構造解析を試みた。レンズ越しに見えるのは、複雑に絡まり合い、真っ黒に塗りつぶされた術式の残骸だ。正常な魔力循環はどこにもなく、ただ周囲のマナを食らい、毒へと変えて吐き出すだけの「暴走した胃袋」と化している。
「おっさん、こいつの『核』を切り離す。因果の固定を頼む!」
『……待て、リエイ! 安易に触れるな。この汚染、主の想像を絶しておるぞ!』
アルス・マグナの警告を背に、リエイはミスリル製の極微魔力修復針を手に、炉の基部に肉薄した。汚染の「結び目」を見つけ出し、一気に構造干渉を仕掛ける。
だが、次の瞬間、リエイの表情が驚愕に染まった。
「……弾かれた!? 指向性魔力が通らない。それどころか、針の先から俺の魔力が吸い取られてる……」
かつてない事態だった。リエイの技術をもってしても、この黒い粘液は構造として認識できず、ただ底なしの飢餓感だけが伝わってくる。汚染の核を剥ぎ取ろうとするたびに、黒い粘液が意思を持つかのように波打ち、リエイの腕を絡め取ろうと迫り来る。
「くっ、ダメだ……! 回路が、俺の解析を受け付けない! これじゃあ、修理どころか分解すらできないぞ!」
絶体絶命の沈黙が走る。天才修理師リエイの指が、初めて震えていた。
その時、背後でじっと炉を見つめていたノエルが、ぽつりと呟いた。
「……これ、お腹が空いているのと同じじゃないでしょうか」
「……何だって?」
リエイが振り返ると、ノエルは恐怖を抑え込みながら、大魔導炉の脈動を真剣な目で見つめていた。
「この炉……壊れているというより、ずっと何も食べさせてもらえなくて、変なものばかり食べて、お腹を壊して、それでも苦しくて何かを欲しがっている……そんな、ひどい栄養失調の時の顔に見えるんです。私が昔、ひもじい思いをしていた時と同じ……」
ノエルの脳裏に、キッチンで丹精込めて作ったリゾットの、あの「黄金色の魔力循環」が浮かんでいた。
「リエイさん、この子に必要なのは、削ることじゃなくて……『正しい栄養』なんじゃないですか?」
その一言が、行き詰まったリエイの思考に、全く新しい回路を通した。修理ではなく、供給。分解ではなく、調律。
「ノエル、おまえ……今、なんて言ったんだ?」
闇に包まれた深層で、少女の素朴な閃きが、最強の職人でも辿り着けなかった「正解」への導火線に火をつけようとしていた。




