repair.80 『聖域の収穫物と調律のレシピ』
リエイは深く息を吐き、震えていた指先をそっと下ろした。解析深度を禁忌領域まで引き上げ、構造の歪みばかりを追っていた自身の視界が、いかに狭まっていたかを痛感する。
「……そうか。腹を空かせて、変なものばかり食わされて……。ノエル、お前に言われるまで、こいつをただの無機物としてしか見ていなかったよ。俺としたことが、道具の悲鳴を聞き逃すなんてな」
リエイは自嘲気味に笑うと、隣に立つノエルの肩を軽く叩いた。
「助かった、ノエル。おかげで目が覚めたよ。状態の把握を疎かにしてたら、治せるものも治せやしないからな。……ありがとう」
「えっ……あ、はい! リエイさんのお力になれたのなら、良かったです……っ!」
唐突に正面から感謝を告げられ、ノエルは耳の付け根まで真っ赤にして俯いた。手元の鈴を無意識に握りしめ、もじもじと視線を泳がせる彼女の様子に、背後から音もなく忍び寄った影がある。
「くふふ、こんな辛気臭い場所でも、春風だけは景気よく吹くものねぇ? 良かったわね、ノエル」
「ひゃっ!? し、師匠! 変なこと言わないでください!」
ニーリルに耳元で意地悪く囁かれ、ノエルはさらに顔を赤くして飛び上がった。そんな弟子たちのやり取りを、浮遊する正八面体の結晶が静かに見守っている。
『ふむ……。己の技に溺れかけた小僧の鼻を、無垢な直感でへし折るとはな。リエイよ、お主の足りない部分を補ってくれる、実に優秀なパートナーではないか』
アルス・マグナの声には、いつもの皮肉よりも深い感心が混じっていた。
『さて。感傷に浸る時間は終わりじゃ。それで、どうするつもりだ? この腐った泥を、お主の言う栄養とやらに置き換える術はあるのか?』
「ああ、もう解決策ならできている。……おっさん、因果の定着準備を。ニーリルは周囲の障壁維持、ノエルは俺の魔力供給のバイパスになってくれ」
リエイはマジックパックから、まばゆい光を放つ一握りの穀物を取り出した。十九層の聖域で収穫し、コールド・スライサーで鮮度を極限まで維持していた星滴麦だ。
「この麦には、神樹の純粋なマナと、聖域の穏やかな因果が宿っている。こいつを触媒にして、炉の内部回路に『正しい循環』を直接流し込む」
リエイは多機能ゴーグルを因果観測モードへ切り替え、炉の脈動に合わせて魔導レンチを構えた。
「こいつに、極上の朝食を食わせてやる。……これ以上、変なものを食わなくて済むようにな」
黄金の指先が、再び炉の基部へと伸びる。今度は破壊の衝動ではなく、慈しみを持って、その汚染された心臓に触れようとしていた。




