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修理師リエイのほのぼのクラフト生活  作者: 弌黑流人
第一章 修理師

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repair.53 『四重結界の静域』

封印箱の蓋が完全に開いた瞬間、工房内の空気は物理的な質量を伴って目に見えて歪んだ。それはあたかも、透明な空間が熱波のように揺らぎ、光の屈折率が狂い始めたかのようだった。作業台の隅に無造作に置かれていた、数本の予備のネジ。それらは本来、転がり落ちることすら稀なはずだが、今は見えない巨人の指に押し付けられたかのように、机の木材へとじりじりとめり込んでいく。パキパキと、乾燥した木材が悲鳴を上げ、深い亀裂が走る不吉な音が狭い室内に響き渡った。


だが、その混沌が工房を飲み込む直前、四人の騎士が鍛え抜かれた流れるような動作で位置についた。彼らの動きに迷いはない。聖騎士二名、そして準聖騎士二名。カイルが選りすぐった精鋭たちは、箱を完全な点対称で取り囲む四方に分かれ、同時に力強く掌を正面へとかざした。


「「「「展開!」」」」


呼唱が重なり、刹那、澄んだ青白い光の壁が立ち上がった。四方から伸びた魔術回路の壁が頭上で結節し、強固な立方体の檻を形成する。それは、天秤から放射される狂ったような質量圧を、内界へと力ずくで押し込めるための障壁。これこそがカイルとの約束事に厳格に織り込まれていた「環境保全の結界」だった。


もしこの天秤が放つ「空間の歪み」が、この薄い壁一枚を越えて工房の外へと漏れ出したなら、事態は惨事では済まないだろう。街の石畳は瞬時に陥没して深いクレーターを作り、隣接する家々は捻じれた飴細工のように基礎から崩壊するに違いない。騎士たちは、リエイがそのアナリストとしての能力を遺憾なく発揮できるよう、自らの魔力を燃料として外部への物理的・魔導的影響を完全に遮断する、いわば「生ける防壁」となったのだ。


リエイは手元に置かれた公式の依頼書に目を落とした。そこに記された警告文の末尾を指でなぞる。

「……連続発動は、四人がかりで最長四日間、か」


聖教騎士団の精鋭が交代なし、一睡もせずに魔力を練り続けてようやく維持できる限界の時間。四日。それを一秒でも過ぎれば、彼らの魔力は底をつき、結界は霧散する。そうなれば、この平和な街は真鍮の天秤がもたらす無慈悲な重圧に、跡形もなく飲み込まれることになるのだ。


「四日、か。……十分すぎる。いや、これ以上の時間をかければ、俺の精神の方が先に焼き切れるだろうな」


リエイは覚悟を決め、多機能ゴーグルを深く装着した。指先で側面のスライダーを動かし、解析モードの出力を最大へと引き上げる。網膜に映し出される光景は、もはや現実のそれとはかけ離れていた。


結界の内側は、既存の物理法則が完全に崩壊した「異界」と化している。ゴーグルの視界には、天秤を中心に四方八方へと捻じれ、渦を巻く魔力の奔流が映る。それは清らかなエネルギーなどではなく、まるで粘度の高いドロリとした黒い泥、あるいは重油の塊のように重く、暗く、蠢いていた。その奔流が絶えず空間のグリッドを噛みちぎり、歪曲させている様が克明に表示される。


「よし、始めるぞ。……いいか、誰一人として瞬きはするな。この歪みを解く一瞬に、どれほどの反動が起きるか、俺にも予測がつかないからな」


リエイは深呼吸をし、新調した籠手をはめた右手を、ゆっくりと結界の青白い境界線へと差し入れた。指先が光の壁を通り抜けた瞬間、腕全体に数トンもの不可視の圧力がかかったかのような、凄まじい衝撃が走る。肩の関節がきしみ、血管が浮き上がる。


キィィィィィィン……!


金属が限界まで引き絞られた時のような、構造そのものが悲鳴を上げる高周波が、四重の結界内で乱反射し、リエイの鼓膜を容赦なく叩いた。だが、その苦痛の中でリエイのアナリストとしての感覚は、かつてないほどに研ぎ澄まされていた。


ゴーグルのレンズ越しに、天秤の支柱の奥深くに潜む「特異点」を捉える。周囲の因果――そこに存在するはずの可能性やエネルギーを強引に吸い込み、逃げ場のない実体としての「質量」へと変換し続けている源。


「見えた……。ここが、この『重圧』の源流。この街を押し潰そうとしている心臓部だ」


四人の騎士たちは、歯を食いしばりながら魔力を注ぎ続けている。防具の隙間から流れる汗が床に落ちる暇もなく、重圧によって霧散していく。彼らの表情には焦燥と、リエイへの信頼が入り混じっていた。


リエイは震える手を左手の指で支え、精密ドライバーを構えた。狙うは天秤の基部、真鍮の表面に刻まれた、コンマ数ミリという微細な継ぎ目。そこが、この堅牢な歪みを解体するための唯一の入り口。


四日間のタイムリミットを告げる砂時計の、最初の一粒が落ちた。静寂の中に、ただリエイの荒い呼吸と、騎士たちが練る魔力の共鳴音だけが響く。史上最も困難で、最も重い修理作業の最初の数分が、今、始まった。

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