repair.104 『黄金のレンチで因果を叩く』
時計塔の鐘を工房へ運び込むのは大掛かりな作業だったが、リエイはそれを一人で完遂した。店に運び込まれた巨大な鐘を前に、彼は本格的な修復作業に取り掛かる。
『小僧、その鐘はただの真鍮ではないぞ。空間を震わせる座標の起点、いわば街全体の魔力網を安定させる楔じゃ。いい加減な叩き方をすれば、街が空間ごとねじ切れるぞ』
作業台の脇、棚に置かれたままの古い真鍮の天秤から、不遜な声が直接脳内へ響いてくる。今のリエイにとって、それは疲労が見せる幻聴か、あるいは道具に宿る残留思念のようなものとして認識されていた。リエイはいつものようにその小言を意識の端で聞き流しながら、黄金のレンチを鐘の表面に当てた。
「わかっている。だからこそ、ただ直すんじゃなく、昇華させる必要がある」
リエイは精密鑑定のギアを一段階上げた。二周目特有の視覚情報が、黄金のレンチを通じて鐘の内部へと深く潜り込んでいく。そこには、迷宮から流れ込んだ「音喰い虫」の黒い魔力が、まるで寄生虫のように鐘の分子構造に食い込んでいた。
リエイは黄金のレンチを軽く振り上げた。物理的な衝撃を与えるのではなく、魔力の周波数を合わせ、因果そのものを叩き直す一撃だ。
キィィィィィン!
鋭い金属音が工房内に響く。しかし、それは破壊の音ではない。レンチが鐘に触れた瞬間、そこから黄金の波紋が広がり、鐘の表面を覆っていた黒い膜が、ボロボロと煤のように剥がれ落ちていく。リエイの瞳には、構造解析の結果が青白い三次元グラフとして空中に投影されていた。
「次はこれだ」
リエイは先ほどスライムが持ってきた「雪氷石」を取り出した。彼はこの極寒の素材を素手で掴み、構造解析の魔力を流し込む。一瞬で液体化した青白い光の雫を、鐘の最も脆くなっている「音の核」へと流し込んだ。
「時層同調、開始」
リエイが唱えると、工房の空気が一変した。鐘がかつて最も美しく鳴り響いていた「過去」の記録と、現在行っている「修復」がミクロン単位で重なり合っていく。黄金のレンチがリズミカルに鐘を叩くたび、スライムの素材が鐘の深部へと浸透し、かつての真鍮は見たこともないような透明感のある白銀色へと変貌を遂げていった。
『ふむ……生意気にも因果を書き換えおったか。小僧、その調整は古代の神殿鐘に近いぞ』
脳内の声が感心したように響き、棚の天秤が微かに震える。リエイの額には汗が浮かんでいたが、その手は止まらない。彼は「修理済みガイド」が示す光の線をなぞるように、黄金のレンチで鐘の表面に極微細な魔術回路を刻み込んでいく。
それはもはや修理ではなく、芸術に近い領域だった。単に音を出すための道具を直すのではない。主である街の人々の祈りを、より遠く、より清浄に届けるための「翼」を授ける作業。リエイは一晩中、降り注ぐ幻聴を相棒代わりに、その巨大な鐘と対話を続けた。




