20-1 「今代の魔王だそうです」
世界を美しき規律と平穏で満たすは、天神地神の大いなるご意志。
だが悲しいかな。現世にはその御心に逆らい乱す、邪悪が巣くう土地が在る。
双神は嘆かれ、真理と信仰を取り戻すべく心正しき者による悪心の払拭を望まれた。天に正義と秩序あれ、地に慈愛と平穏あれと仰られた。
神託を受ければ是非もなし。双神の嘆きは我らの哀しみ。天啓の歓びに顔を上げるは我らの信仰、我らの誇り。斯くして中央王国の精兵は再び立ち上がった。
世の邪悪を根絶すべくイクサート陛下の号令一下、魔族領へと進軍を開始する。正しき教えと正しき王によって導かれる、正義と慈愛に満ちた美しい世界をこの地上に実現させんが為に。
全ての者の平穏と幸福、永遠の楽土を現世のものとせんが為に。
魔族領に突入した王国の軍団は、向うところ敵無しで在った。まさに無人の野を駆けるが如し、怒濤の進軍であった。この一戦を以て此の世の悪心、ことごとくを霧散せしめん。
おお、勇ましきかな。悪鬼の巣へと果敢に突進する精鋭たちよ。
数多の敵を屠り続けた王国軍に、やがて窮した魔族軍は手管を変える。
夜な夜な怪しき甘言を囁き兵を惑わし、内からの瓦解を図る小賢しさよ。卑怯卑劣な罠を張り巡らし、地の底へと絡め落とすべく暗躍する魔族共。
されど斯様な小手先の策など如何ほどのものか。正しき心と強き信念を持つ者は、邪な戯れ言に揺らぐ者など居ない。
逆に小細工を踏み潰し数多の魔族を切り伏せ、悪心のことどとくをねじ伏せた。
信仰なき下賤の滴り如きに、天神地神の祝福を受けた軍団が退くことなど在り得ぬのだ。
我らは天啓の軍である。
イクサート二世陛下の大声が高らかに響く。
そして王国軍は遂に魔族を破滅の淵にまで追い詰めた。
だが狡猾なり魔族。断末魔の足掻きとばかりに地獄の悪鬼を戦場に降臨せしめ、我らの勇士たちを片端から屠ったのだ。
そして立ちはだかる巨大な魔女たち。
うっそうと繁る木々よりも高くその姿を大地に降り立たせ、王国軍を睥睨し、漆黒の火炎で兵や騎士達を蹂躙していくのだ。
滅びよ、と魔女は吠えた。この世界を悪意と憎悪で満たしてくれると喚いた。
だが我らが勇者イルヌの宝剣が一閃。魔女を切り裂いた。
片腕を切り落とされ、急所を穿たれた魔女は苦し紛れの邪毒を放つ。
至近より瘴気を浴びた勇者が血を吐き昏倒した。
呪われよ、と魔女は叫んだ。
突然大地を割り漆黒の毒霧が大地を覆った。
毒気にあてられ大勢の兵が倒れた。
数多の騎士が膝を折り、全身を切り刻み蝕む悪魔の呪いに悶絶した。
大地が朱に染まり、おびただしい数の兵が倒れた。
伏してなるかと、我らが偉大なイクサート二世陛下は剣をかざして叫ぶ。
「吶喊せよ!」
最後の力を振り絞り、生き残った騎士と兵を従えて王国の武王は、邪悪を吐き出す地獄の淵へ向えと命ずる。
世界を救うために。己の命と引き換えに王国と臣民を守る為に。
人々の心胆寒からしめる深淵の奥へ、最後の突撃を行なったのだ。
壮絶な魔女の悲鳴が山肌を揺らした。
大地が割れ、百匹の竜が群れ喚くような轟音が響き渡った。
地響きと共に巨大な悪鬼の巣、魔王城が霧散する。
地獄よりも更に奥深い呪われた墓所より悪水が噴き出し、北方の地に忌まわしき湖を造り上げた。
まるでこの大地より失せた邪悪の傷口を覆い隠すかのように。
深淵より戻って来た者は僅かだった。
勇敢なる騎士戦士、その大半が天神の元へと旅立った。
だがそれは決して無駄では無かった。如何な世界の至宝よりも尊い強者たちの献身と魂とが、大地の邪悪を祓ったのだ。
かくして世界の破滅を目論んだ最大の悪計は、王国軍の多大な犠牲によって辛うじて防がれた。
北方は正義の剣によって清められたのだ。
然れど何たる往生際の悪さか。魔族の悪辣さは正に筆舌に尽くしがたい。
地獄の業火に焼かれながらもその断末魔、大地を穢す呪いを振りまくことを忘れぬとは。
世界より魔力を滅し、魔法魔術に縁を求める者たちを苦しめ、天候を弄び、北方の冷風を王国に呼び込むその恥知らずな様よ。
死なば諸共と、地獄より邪悪な笑みを漏らす穢れた魂の権化よ。
だが我らは、イクサート王と我が身を盾として魔族を滅した中央王国の精鋭の犠牲を無駄にしてはならない。双神の神託を胸に、世界を思い、一身一命を賭した平穏への祈りを忘れては為らない。
邪を祓うは正しき信心、正しき祈り、正しき行ないのみなのだ。
おお、我らが国王イクサート二世陛下、勇敢なる中央王国の武王よ。
我らを悪意より守り賜え。
その果敢にして荘厳、勇壮無比たる威光と神剣を以て我らの行く末を照らし賜え。
我らの先行きに天と地の加護の在らんことを。
「何処の酔狂者が斯様な浮かれた文言をひねり出した」
「場末の吟遊詩人辺りでしょう。憂さを晴らしたいものは我らだけでは在りますまい」
「思っても居らぬコトを」
王宮の執務室ではいつものように疲労甚だしい黒髪碧眼の王と、しょぼくれた風体の腹心とが朝議の後の疲れた軽口をたたき合っていた。
机の上には流麗な文字で書かれた詩文が在った。
今朝、王都の門に貼り付けられていたのだと言う。文字の読めぬ門衛が長に報告し、直ぐさま剥がされて王宮にまで上がって来たのだ。
「案外書記官どもが、宮中で囁かれた妄言を書き認めたものではないのか」
「わたしがコレを書いたと仰せで?」
「おぬしがこのような機知教養に欠ける書を記す筈があるまい。そなたの文面為れば宰相が青ざめ卒倒し、軍務尚書が目を釣り上げてこの部屋に駆け込んで来よう」
「それは買いかぶりというものです」
「いずれにしても斯様な文書が王都に出回って居るなど体裁が悪い。北方の血族がトールマンの玉座に在る。それが余程腹に据えかねて居るのか、或いは皮肉に類した諫言であるのか」
「混乱の最中です。まだまだ似たような灰汁は浮いてきましょう」
「わたしが王宮の椅子に座っている限り消えることは無さそうだがな」
「宮中ですら不安や憶測が錯綜する現状です。自分達は泥を被りたくはないが、トールマンではない者に頭も垂れたくもない。不要と為れば直ぐ様に排せるよう、火種を確保して置きたいのでしょう。
去った者の栄光を謳う者は何時の時代も同じではないかと」
「姑息というか、稚拙というか。何れにしても王国の復権は当分先の話だ。目論む者達の寿命が先に尽きよう」
「ヒトの枯渇が質を貶めているものかと。彼の地へ去った魔族も同じように頭を痛めているのかも知れません」
「去ったのは確定か。眉唾かと思うて居ったのに、よもや真であったとは」
「エルフの様子からもほぼ間違い無いかと。魔王城の跡は巨大な塩湖になっているそうに御座います」
「ならば、攻め入る事も攻められる事も無くなった。憂いが一つ消えたと考えるのが健全で在ろうか」
「あと、真偽の程は定かではありませんが」
「どうした。何故そんな妙な顔をしている」
「彼の地、異界に失せた魔族の長より親書が届いて居ります」
「なに?」
「カーフォーナー家のハイラネラ、曰く今代の魔王だそうです」




