ホントはずっといてほしい
ところで、りゅーちゃんが便秘である。俺も千歳もおむつの世話をしているが、もう3日りゅーちゃんのうんちを見ていない。
2人がかりで、多めに麦茶を飲ませたり、お腹ののの字マッサージをしたり、トイレに行かせてたっぷりいきませたりしているが、出ない。
そうこうしてるうちに、りゅーちゃんのお腹がぽんぽんに張り出したので、俺は慌てて子供用のイチジク浣腸を買ってきた。
薬の説明書きの通り、りゅーちゃんをタオルの上で横向きに寝かせて、お尻に浣腸液を入れて、トイレットペーパーでしばらくお尻を押さえる。りゅーちゃんが困った顔をした。
「おなかいたいいたいなの……」
『おっ、出るな』
「トイレ行こうか」
りゅーちゃんをトイレに連れて行っていきませると、これまでのものが勢いよく全部出たのだが、出た瞬間にりゅーちゃんは大泣きしだした。
「いたい! おちりいたい!」
「ど、どうしたの!?」
『お尻どうかしたか!?』
ひとまずりゅーちゃんのお尻を紙でぬぐうと、そこについたのは大量の鮮血。俺も千歳も腰を抜かした。
『血ィ!?』
「いたいの!」
「びょ、病院! 小児科!!」
泣くりゅーちゃんを抱いて、あわてて最寄りの小児科を検索。やや遠く、俺が精巣がんを発見した病院と同じビルに小児科があった。土曜日の午前、まだやってる!
「すぐ行こう!」
『タクシーなら早いか!?』
「タクシー呼ぼう!」
そう言うわけで、即タクシーを呼んで小児科へ。小児科の待合室に入って、俺は後悔した。咳やくしゃみをしてる小さい子がたくさん、りゅーちゃんにマスクさせればよかった……。
自分のマスクのゴム紐をうまく細工して、なんとかりゅーちゃんにつけさせようとしたら、りゅーちゃんはもがいた。
「やー!」
「つけないと頭と喉がいたいいたいだよ」
『ちょっとだけ我慢しような』
受付に行くと、初診の診察表を書くのと、マイナ保険証の提示を頼まれた。保険証……ない! りゅーちゃんにはない! そりゃそうだ、戸籍すらまだないんだもん!!
「す、すみません、諸事情で保険証なくて……お金払います! 実費で払います!」
「そ、そうですか?」
「あとは診察表書けばいいですよね!?」
「は、はい」
診察表も難儀した。体重とか2歳の何ヶ月かとか、聞かれてもわかんないよ!
「体重測ったことないよ、どれくらいだろう……」
『りゅーちゃん、この年で普通くらいの体重だと思うから、平均の重さ調べて書いとけばいいと思う』
「そっか、年齢はとりあえず2歳半にしとこう」
そう言うわけで診察表も無事クリア、診察へ。お医者さんは俺たちに事情を聞いたあと、りゅーちゃんのお尻を診て言った。
「肛門の出口が切れちゃってますね、うんちが硬すぎたかな」
俺と千歳は口々に聞いた。
『変な病気じゃないですか!?』
「浣腸で無理やり出したのがよくなかったですか!?」
お医者さんは、俺達を安心させるように笑った。
「鮮血なら腸の病気じゃないですね、うんち、何日出ませんでした?」
「3日です……」
「それなら浣腸したほうがいいですね、お父さんのせいじゃありませんよ」
「そ、そうですか……」
俺は少しホッとした。お医者さんはむずがるりゅーちゃんをあやしつつ言った。
「まあ、うんちをやわらかくするには、普段から水分をよくとらせてね、食物繊維、水溶性のをとらせてね。納豆とかカボチャとか、最近流行りのだとオートミールとかね」
『食べさせます! いっぱい食べさせます!』
「そればっかりじゃよくありませんからね、ほどよくね。お尻に塗る薬出しときます。他に、何か気になることはありますか?」
「他に……」
りゅーちゃんの気になること……さっきの待合室で病原菌にさらされまくったことだけど……新型コロナ怖いな、でも今からワクチン打っても間に合わないし……。
ん? ワクチン? え、ワクチン……? まずい、りゅーちゃん、たぶんワクチンなんて一本も打ってないぞ!? ずっと地下室暮らしだったんだから!!
俺が母親に打たせてもらえなくて、打たないと医療従事者になれないし海外にも行けないから、中学に上がってやっと祖父に打たせてもらったワクチンがぐるぐる頭を巡る。ジフテリア、百日せき、破傷風、BCG、肺炎球菌、ポリオ、麻しん風しん、水ぼうそう、おたふく風邪、日本脳炎……りゅーちゃんは全部、打ったことがない!!
俺はパニックになった。
「あの! この子まだ戸籍がなくて! 閉じ込められて育ってて、多分1回もワクチン打ったことがないんですけど! まだ間に合いますか!? まず何を打てばいいですか!?」
血相を変えた俺を見て、りゅーちゃんも千歳もお医者さんもびっくりした。
「おじちゃん?」
『い、和泉、落ち着け』
「ど、どういう事情なんですかね」
俺はあわあわしつつ言った。
「この子、ずっと閉じ込められて育ってて、最近救出して当座はうちで面倒見ることになって、戸籍は申請中で、でもたぶん病院今日が初めてで、ワクチン打てますか、お金は払いますから、実費で払いますから」
「よ、よくわかりませんが、そうですね、最優先は新型コロナとインフルエンザですねワクチンは、少し待っていただければ今日打てます」
「お願いします!!」
そういうわけで、待合室でまた待機。
「りゅーちゃん、これからちっくんするよ、ちょっと痛いよ」
「ちっくん? なーに?」
「わかんないかー」
千歳がりゅーちゃんの頭をなでた。
『ちっくん終わったら、ジュース買ってあげるからな』
「じゅーちゅ!?」
『何のジュースがいい?』
「りんごじゅーちゅ!」
そうこうしてるうちに、また呼ばれて診察室に。お医者さんは注射器を構えて言った。
「はーい、ちょっと痛いよー。押さえててくださいねー」
俺はりゅーちゃんを固く抱き、千歳はりゅーちゃんの腕をがっちり押さえた。お医者さんは二本の注射をあっという間に済ませたが、りゅーちゃんは二本めのコロナワクチンが痛かったらしくて泣き出してしまった。
「あー、よしよし」
『えらかったなー、あとでりんごジュースな』
2人であやしていると、お医者さんに言われた。
「一通りのワクチン打つならね、うちでやりますが、どうしますか?」
俺は食い気味で言った。
「打ってください! お金は払います!」
「じゃあスケジュール作っておきますからね、毎週土曜日来れます?」
「来ます!」
そう言うわけで来週の予約を取り、会計へ。俺が言い出したことなので俺が費用を払ったのだが、引くほどの金を取られた。カード払いができてよかった……そして健康保険の偉大さ……。
とりあえずホッとして、3人で薬局で薬をもらい、帰途につく。帰りは急がないので、バスを待った。
『帰り、コンビニでりんごジュース買おうな』
「いっぱいのむの!」
『1本だけ!』
千歳とその膝の上のりゅーちゃんが言い合う、平和な風景だ。
「夜、りゅーちゃん副反応出るかなあ」
『熱冷ましもらったけど、出番ないといいなあ』
「しかし、腸の変な病気じゃなくてよかった」
『りゅーちゃん、うんちやわらかくしような、麦茶いっぱい飲もうな』
「みよがいーい!」
『ダーメ! ミロは1日1杯!』
バスが来て、りゅーちゃんは「ばしゅ!」と大いにはしゃぎ、俺たちはバスに乗り込んだ。2人席に座って、りゅーちゃんは俺の膝の上。
「りゅーちゃんが来てからさ、俺、絶対に腕力ついたよ」
『よく抱っこしてるもんなあ、お前』
バスが最寄りバス停の一つ前に止まって、お客を降ろし終えて扉を閉じたので、俺は幼児が絶対喜ぶ事を言った。
「次降りるから、降りるボタン押そうね」
「おりるぼたん?」
「これだよ」
俺は降車ボタンを指さす。りゅーちゃんは素直に押した。するとピンポンとチャイムが鳴り、「次、止まります」とアナウンスが流れる。りゅーちゃんは「きゃー!」と大興奮した。
「もっとおしゅ!」
「1回でいいんだよ、1回しか音鳴らないよ」
りゅーちゃんは、俺の言葉を無視して降車ボタンをめちゃくちゃに連打している。
「ぴんぽんならないの!」
「1回だけだよ」
「やー!」
千歳が苦笑した。
『バスに乗る度これだな、こりゃ』
それは大変だな……。
「りゅーちゃんがいるとさ、出かけるのに車欲しいかもね」
俺がそう言うと、千歳の顔が曇った。
『でも、いつまでいるかわかんないからな……』
「それは……そうだね」
なんだか、りゅーちゃんはずっとうちにいるものみたいに思っていた。
りゅーちゃんは、いつまでうちにいてくれるんだろう。いつ、うちからいなくなっちゃうんだろう。




