番外編 和束美枝と愛
何もわからない。全部嘘であって欲しい。ある時ふと目が覚めて、全てが夢だったということになって欲しい。
20年、家の中で平穏に暮らしていたのに、外ですごい音がしたと思ったらお母さんが傷だらけで倒れていて、怖い人たちがどっと押し寄せて、怖い人たちは警察で、何もしてないのに捕まえられて、取り調べられて。
そこで聞いた。お母さんが「お前は子供を生むしか能がない」と言って私に産ませた子、養子に出して金を取っていると聞かされていた子たち、9人みんな殺されてること。お母さんがみんな殺したこと。養子に出さなかった末っ子、毎日私がご飯を作っていたその子はたった一人の生き残りで、ずっと地下室に閉じ込められて育っていた事。普通に暮らしていると思ってたのに。ベビーシッターの子がいるって聞いてたのに。
信じられなくて、でも確かに養子に出した後の話は一言も聞いたことがなくて、殺された子たちは遺骨をバラバラにされて売られたと聞いて、もう何もわからなくて、泣いて、泣いて、目が溶けそうなほど泣いて。
拘置所はなんにも馴染みがなくて、家の外だから眩しくて、目がチカチカして。聞き慣れない音がして、ずっと耳が痛くて。
でも、知らない人が面会に来て、それは弁護士さんで、偏光サングラスとかイヤーマフとかいろんなものを差し入れてくれた。取り調べにどう答えればいいか、たくさん相談に乗ってくれた。
弁護士さんは、匿名の人に頼まれて私の弁護を引き受けてるってことだった。弁護士さんに、誰か弁護士をつけてくれるような人に心当たりあるかと聞かれた。全く心当たりはなかった。
面会が何回か重なって。弁護士さんがこう言った。
「拘置所内でのスマホ使用が許可されましてね。あなたを支援してくれている方、やっと名乗ってくれたんですが、その和泉辰さんがあなたと話したいそうです」
「和泉辰さん……?」
全然知らない名前だ。誰なんだろう。
弁護士さんが差し出したスマホはスピーカーモードになっていて、そこから少女みたいな少年みたいな声がした。
[ああ……。やっとであなたにチャンネルできた]
「あなたはどなたですか? なんで私を助けてくれるんですか?」
[縁があったからだ]
「縁?」
[いずれ話そう。私には【愛】の実践が必要なんだ。あなたには【愛】が足りない]
「そりゃ、自分の子供も愛せませんでしたし……」
一人目の子は手に余りすぎて自分から投げ捨ててしまった。それから産んだ子は、自分の手に抱くことすらなかった。知らないうちに9人殺されていて、末っ子の生き残りすら、会ったことがない。こんな、こんなひどい母親いるだろうか?
でも、和泉辰さんはこう言った。
[違う、【君が愛される経験】が足りないんだよ。そして、私には【誰かを愛する経験】が必要なんだ。付き合って欲しい]
「愛……?」
[あなたのことをずっと心配していた。義務感がないとは言わないが、あなたに愛を注ぎたいと思うようになった。私にあなたを愛させてほしい。見返りはいらない。ただ、あなたが愛される経験の提供は、あなたに資すると思う]
「なんで、そんなにしてくれるんですか?」
[私以外に、あなたを助けられる人がいないからだ。私は、ネット上のあなたを知る立場にあった。すべてが崩壊したとき、助けられるのは私しかいないとわかっていた。だからだ]
「ネット上? Twitterとかですか? 大したことツイートしてませんよ……?」
[自分のことを理解しようと勉強して、できる範囲で精一杯努力している姿勢が伝わってきた。好感が持てたよ]
「そうなんですか……?」
[あなたの特性に合わせた支援を考える。そのために理解のある弁護士を雇った。今後も勾留は続くだろうが、まずあなたが罪に問われないようにすることを目指そう。それからのあなたの暮らしも考えておく。大丈夫、私の持てる限りの力を使ってあなたを守る]
「……私、そんなに救われていいんでしょうか……」
[私は、あなたは救われるべきだと思っている]
「…………」
私は涙が出た。これまでの涙とは違う涙だった。
私はなんにもできなかった。外に出ることができなかったし、学校に通い続けることもできなかったし、自分の子供を育てることもできなかったし、自分の子供を守ることもできなかった。
でも、そんな私でも、愛してくれる人がいるの? そんな私でも、愛される資格があるの?
私は、いつまでもいつまでも泣き止めなかった。




