第8話 悪役令嬢は、謝罪の形まで整えますわ
リリアーナ脳内秘伝書
『悪役令嬢たる者、謝れぬ者を嗤うな。
高き座に育った者ほど、頭を下げる道を知らぬ。
されど、知らぬままでは誰も守れぬ。形を教えよ。』
『悪役令嬢たる者、謝れぬ者を嗤うな。
私はかつて、謝罪を求めた。
正しさのもとに、頭を下げさせた。
その場は収まった。
だが、何も残らなかった。
高き座に育ちし者ほど、頭を垂れる道を知らぬ。
知らぬままでは、いかに力あろうと誰も守れぬ。
言葉を強いるな。形を示せ。
その上で残る一言のみが、真の謝罪である。
私は“聖女”と呼ばれながら、これを知らなかった。
ゆえに記す。
言わせるな。立たせよ。』
「秘伝書より」
王太子アレクシスがクラウディア家を訪れたのは、
よく晴れた午後だった。
前触れはあったが、
屋敷全体が少しだけ緊張した。
婚約の件が完全に片づいたわけではない以上、
無理もない。
リリアーナは落ち着いていた。
「殿下がお見えです」
と告げるマルティナに、
「応接室へ」
と返しただけである。
「お嬢様、本日は少し顔色が違いますね」
「そうかしら」
「何か、お考えですか」
「殿下は、今日は謝るためにいらしたのでしょう」
「……もうお分かりで?」
「でなければ、この人数で来ませんわ」
応接室で待っていたアレクシスは、
案の定、ひどく落ち着かなかった。
側近も近衛も最小限で、王太子の威圧感より、
ひとりの若い男の居心地の悪さが目立っていた。
茶が運ばれ、しばらく沈黙が続く。
アレクシスは口を開きかけては閉じ、
カップを持ちかけては置く。
「殿下」
「な、なんだ」
「謝罪とは、勝ち負けではありませんわ」
「まだ何も言っていないぞ」
「言おうとしておられるのでしょう」
「……」
「違いますの?」
「……違わない」
観念したように、アレクシスは額を押さえた。
「私は、謝ることが得意ではない」
「そうでしょうね」
「そこはもう少し取り繕えないのか」
それでも、以前よりずっと肩の力が抜けている。
たぶん、こうして本音を口にすること自体が
彼には珍しいのだろう。
「私はあの日、エミリアを守ろうと思った」
「ええ」
「だが、そのために君を雑に扱った」
「ええ」
「そして、結果としてエミリアも余計に傷つけた」
「そうですわね」
アレクシスは深く息を吐いた。
「……悪かった」
今回は、はっきり聞こえた。
けれどリリアーナは、そこで終わらせなかった。
「殿下」
「なんだ」
「いまのは半分ですわ」
「半分?」
「ええ。ご自分の誤りを認めた半分」
「……では、もう半分は」
「相手に残した痛みを引き受けることです」
アレクシスは黙った。
逃げたくなったのがわかった。
けれど、逃げなかった。
「……どうすればいい」
「まず、誰に謝るのかを順番で考えます」
「順番?」
「はい。責任の中心にいた者から」
「……エミリアか」
「そうですわ」
「君ではなく?」
「わたくしには、もうおっしゃいましたもの」
そのとき、扉が控えめに叩かれた。
マルティナがエミリアを案内して入ってくる。
アレクシスの肩がわずかにこわばった。
言葉は、なかなか出てこなかったが
やがて、エミリアの顔をまっすぐ見つめた
「エミリア」
「は、はい」
「私は……」
「……」
「守るつもりで、君を余計に苦しめた」
「……」
「王宮でも、あの場でも、
君がどう見られるかを考えきれていなかった。
悪かった」
エミリアは目を見開いていた。
それから、ゆっくりと頭を下げる。
「ありがとうございます、殿下」
「……許してくれるのか」
「許すとか、許さないとかではなくて」
エミリアは、そこでほほえんだ
「ちゃんと分かってくださったのが、うれしいです」
アレクシスから張りつめていたものが落ちた。
謝罪とは、負けではない。
むしろ関係を結び直す最初の形なのだ
そのことに、気づいた顔だった。
彼が帰ったあと、マルティナが後片づけをしながらぽつりと言う。
「お嬢様」
「なにかしら」
「殿下まで教育なさるとは」
「教育ではありませんわ」
不器用な方に、形を教えただけですもの」
「……だいぶ高度な教育ですね」
その夜、リリアーナは秘伝書を開く。
『悪役令嬢たる者、責めて終わるな。
私は責めた。正しさの名のもとに。
それで果たしたと思った。
だが、その者は立たなかった。
責めは入口に過ぎぬ。
責任を知りし者が、再び正しく立てるまで見届けよ。
そこまで為して初めて、責は終わる。
私は途中で手を離し、多くを失った。
同じ過ちを繰り返すな。』
「……ええ」
悪役令嬢とは、断罪の場に立つだけではない。
その後に、もう一度人が正しく立てるように
整える者でもあるのだ。
リリアーナ脳内秘伝書
『悪役令嬢たる者、責めて終わるな。
責任を知った者が、次に正しく立てる形まで整えてこそ本懐である。』




