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第9話 悪役令嬢は、来年の春まで責任を引き受けますわ

リリアーナ脳内秘伝書

『悪役令嬢たる者、今日の飢えを救って満足するな。

 春まで責任を見届けよ。

 目の前の涙を拭うだけでは、統べる者の務めは半ばである。』


『悪役令嬢たる者、今日の飢えを救って満足するな。


 私は目の前の飢えを満たし、称えられた。

 “聖女”と呼ばれた。


 だが翌年、その地はさらに飢えた。

 施しは救いにあらず、先送りであることもある。


 春まで見よ。

 続く形を選べ。

 涙を拭うだけでは、統べる者の務めは半ばである。


 恨まれてもよい。

 飢えを長引かせたと罵られてもよい。


 それでも、続く形を選べ。』

              「秘伝書より」



冬の入り口は、静かに人を追い詰める。


少しずつ薪が減り、

少しずつ備蓄が減り、

少しずつ不安が降り積もる。

だからこそ、小さな変化を見逃してはならない。


その朝、セドリックが持ってきた報告書を見て、

リリアーナはすぐに察した。


「足りませんわね」

「はい」

「種芋と農具」

「はい。春に向けて三割ほど不足しております」


冬を越える支えは、前回の対策である程度整った。

だが、それはあくまで「いま」をしのぐ形だ。

来春の畑を起こせなければ、

苦しみは先送りしただけになる。


「領地へ行きます」

「明日には準備いたします」

とセドリック。

「お嬢様、今度はどの村から?」

とマルティナ。

「前回より北の集落からですわ。

 春の立ち上がりが遅いもの」


村に着くと、農民たちは戸惑っていた。

また公爵令嬢が来た、という空気である。

だが前回より露骨な警戒は薄い。

少なくとも“見に来ただけ”ではないと知っているからだ。


馬車を降りた瞬間、

裾を強く引かれた。


振り向くと、小さな女の子がいた。


痩せてはいない。

だが、目だけが妙に大きい。


「ねえ」


声が、かすれている。


「食べるもの、持ってきてくれたの?」


一瞬だけ、周囲の空気が止まった。


セドリックが手を伸ばす。

だが、リリアーナはそれを制した。


ゆっくりとしゃがみ、

少女と目を合わせる。


「いいえ」


少女の瞳が揺れた。


「……どうして?」


「今日は、持ってきておりません」


間があった。

少女の顔が、くしゃりと歪む。


「おなか、すいてるの」


その言葉は、小さかった。

だが、逃げ場がなかった。


「……そう」


リリアーナは、ほんの一瞬だけ目を伏せる。


「ごめんなさい」


少女は何も言わなかった。

ただ、手を離した。


納屋の中。


「結局、足りねえんだよ」

若い農夫が吐き捨てる。


「種も道具も人手もな」


「……」


「で、今回は何だ?」


視線が集まる。


「また施しか?」


誰かが舌打ちした


リリアーナは答える。


「いいえ」

「は?」

「施しはいたしません」


ざわめきが起きた。


「ふざけるな!」


誰かが声を荒げる。


「さっきのガキを見ただろうが!」

 腹を空かせているのを!」


リリアーナは、一歩だけ前に出た。


「見ましたわ」


静かに言う。


「だからこそ、です」

「……あ?」

「今日、あの子にパンを渡せば」


間を置く。


「明日も、同じ顔で来ます」


誰も、言葉を返さない。


「そして、明後日も。その次の日も」


空気が重くなる。


「……何度、同じことをさせるのです?」


机の上に紙を広げる。


「共同の道具庫を作ります」

「道具庫?」

「各家で全部を揃えず、使用頻度の低いものは共有するのです」

「揉めませんか」

「揉める前提で規則を作りますわ」

「そんな!」


だが、リリアーナは、かまわず

別の項目を示す。


「余剰作物と保存食の交換所も作ります」

「金じゃないのか?」

「金のある家だけが助かる形は長く続きませんもの」


リリアーナはさらに指示を足していく。


子どもでも世話できる小規模菜園

未亡人や老人にも回せる干し野菜作業

種芋の配分は家の人数と耕作可能面積で決める

春の立ち上がりまで屋敷の備蓄を一部貸し付け、

収穫後に返納


セドリックが静かに言う。


「この方法は、効きます」

「そうでしょうね」

「ただし、管理が細かくなります」

「細かくなければ、弱い家から零れますわ」

「……承知いたしました」


帰り際、最初に噛みついてきた若い農夫が言った。


「これでなんとかなると思っているのか」

「わかりませんわ」

「なんだと!」

「わからないから、あがくのです。

 これがだめなら、次の策を、それがわたしの立場ですから」

「その間に、何人も死んじまうかもしれねえだろ」

「……そうですわね」


リリアーナは馬車に乗り込んだ。

そのときだった。背後から、怒鳴り声が飛んだ


「結局、あんたは安全なとこに帰るんだ」



夜、自室で秘伝書を開く。


『悪役令嬢たる者、春を口にしたなら春まで責任を負え。


 私は春を語り、人を安心させた。

 だが、その春を迎えさせる前に手を離した。


 残ったのは、望みではなく失望であった。

 望みを語るは易く、望みを保つは難い。


 言葉は、口にした時より他者のものとなる。

 ゆえに、その果てまで己の責とせよ。


 語るとは、引き受けることである。』


昼の言葉が、胸の奥で重なる。

「おなか、すいてるの」

「結局あんたは、安全なとこに帰るんだ」

リリアーナは、ゆっくりと目を閉じた。


春まで持たせる

――それだけだ

リリアーナ脳内秘伝書

『悪役令嬢たる者、春を口にしたなら春まで責任を負え。

 望みを語ることは易い。望みが実るまで手を離さぬ者であれ。』


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