第34話 悪役令嬢は、倒れる前に役割を変えますわ(2)
その日の午後。
埃っぽい熱気が漂う商業ギルドの巨大倉庫へ
魔導具管理局の制服を着た四人の搬送係が到着した。
「助かります!」
出迎えたサイラスが、深く頭を下げる。
「東区へ小麦百二十袋! 南区へ保存肉四十箱!
西区へ
中央治療院へ乾燥薬草二十箱です!」
天井の高い石造りの倉庫内には、
王都中から集められた物資が山のように積み上がっていた。
物は山ほどある。
だが、それを必要とする場所へ送り届ける手足が、決定的に足りていなかった。
「使える荷車と馬車は?」
「普通馬車が八台あります!」
「御者は?」
「動けるのは……五人しかいません!」
サイラスは眉根を寄せ、
手元の帳面を見つめて一秒だけ思考を巡らせた。
「では、三台分の荷は手押し荷車へ積み替えます。
近距離の配送なら、人力でも十分に運べる!」
「おい、学生の坊主!」
古参の年配職員が、汗を拭いながら割って入った。
「人力の手押し車なんぞじゃ、馬車の半分も運べねえぞ! 効率が悪すぎる!」
「はい」
「だったら馬が揃うまで待つか、もっと人を――」
「半分は、確実に運べます」
サイラスのまっすぐな眼差しに、職員は息を呑んだ。
「動かない馬車に荷物を満載して立ち往生するより、
半分でも今すぐ動く荷車を出した方が遥かにましです」
サイラスは自分の帳面を開き、数字を指さした。
「今必要なのは、一度に大量の物資を届けることではありません。
必要な場所に途切れさせず届け続けることです」
「……へっ、生意気な小僧め」
職員は悪態をつきながらも、
その口元に確かな信頼の笑みを浮かべた。
「おい野郎ども! 三番倉庫から手押し荷車を全部引っ張り出せ! 運ぶぞ!」
「おっ!」
倉庫が俄かに活気を取り戻し、人が一斉に動き始める。
その時だった。
「失礼いたします」
静かな、けれどよく通る声と共に、
整然と隊列を組んだ一団が倉庫へ足を踏み入れてきた。
仕立ての揃った濃紺の制服。
胸元に鈍く光るのは、王都屈指の大商会
――エルドレイン侯爵家と深い繋がりを持つ商会の紋章だった。
「王国からの正式な要請に基づき、
本日より輸送支援に入らせていただきます」
責任者とおぼしき理知的な男が、一分の隙もない仕草で書類を差し出す。
「荷馬車二十台、専属の熟練御者二十名、荷役作業員四十名。
……すべて王国の指示系統下へ配置いたします」
倉庫の空気が一変した。
「に、二十台……!?」
「御者も作業員も揃ってるのか!?」
「助かった……! これで全部の荷が動くぞ!」
職員たちから堰を切ったように歓声が上がる。
サイラスも驚きに目を見張った。
実際、彼らの働きぶりは完璧という他なかった。
指示を出せば、山積みの荷は寸分の狂いもなく瞬く間に仕分けされ、
行き先ごとに手際よく荷台へ固定されていく。
横柄な態度を取る者は一人もおらず、余計な便宜や報酬を要求することもない。
事前に結ばれた契約通り、すべての運行管理を完全に王国側へ委ねていた。
「……すごい」
サイラスが思わず感嘆を漏らす。
そのすぐ傍らで、大商会の責任者が手元の小さな革表紙の帳面に、
サラサラと何かを書き留めていた。
東区、小麦百二十袋。
南区、保存肉四十箱。
中央治療院、乾燥薬草二十箱。
次回搬入予定の物資。
各地区で不足している品目。
一日の最大消費量。
使用された街道と通過時間。
荷下ろしに要した人員数。
そして――どの地区が、どれほど限界まで切迫しているのか。
「……何をお書きになっているのですか?」
サイラスが何気なく尋ねる。
男は顔を上げ、柔和な笑みを浮かべた。
「日々の業務記録ですよ」
「業務記録?」
「ええ。より効率的にお手伝いするためには、
王都のどこに何がどれだけ必要とされているのか、
正確に把握しておく必要がありますから」
「なるほど……」
確かに筋の通った話だ。
サイラスは素直に納得し、頷いた。それ以上、彼らを疑う理由は見当たらなかった。
◇
その日夜。
エルドレイン侯爵邸。
一冊の分厚い帳面が、
重々しい音を立てて侯爵の豪奢な執務机へ置かれた。
侯爵は指先でページをめくる。
東区、南区、中央区、下町。
必要とされる食料の推移、医薬品の底をつく時期。
使用可能な民間倉庫の立地。輸送経路のボトルネック。
まだ一日分にすぎない。
それでも、王都のどこが先に飢え、どこが先に薬を欲しがるのか、
その輪郭は見え始めていた。
侯爵は冷徹な眼差しで、静かに紙面をなぞる。
「……なるほど」
背後に控える部下が、緊張に喉を鳴らしながら頭を垂れた。
「王国側から命じられた業務には、一切の反発なく従わせております」
「当然だ」
「物資の横流しも、配給先の恣意的な操作も、一切行っておりません」
「当然だな」
「では……この記録を使い、いよいよ物資の買い占めや囲い込みを?」
侯爵は顔を上げ、冷ややかに口元を歪めた。
「何もしない」
「しかし……!」
「私は、王国を誠心誠意救っているのだよ」
侯爵は静かに笑った。
「命令された場所へ迅速に物を運び、
要求された通りの人員を無償で供出し、
一枚の契約条項にも違反していない。……実に善良な臣下ではないか」
彼は革張りの帳面を、指先でコンと軽く叩いた。
「その結果として――王都のどこに何があり、
誰が何を切望し、どこが壊れかけているのか、
急所が、少しずつ見え始めただけのことだ」
部下の背筋に、冷たい汗が伝う。
侯爵は立ち上がり、カーテンを開けて暗い夜の王都を見下ろした。
魔力使用制限の令により、街の灯りはいつもの半分以下にまで減り、
深い影が石畳を覆っている。
「情報とは、力づくで奪うものではないのだよ」
闇に沈む王都を愛おしそうに眺めながら、侯爵は低く囁いた。
「必要とされる場所に立ち、相手を正しく助けてさえいれば
……向こうから勝手に集まってくるものだ」




