第33話 悪役令嬢は、倒れる前に役割を変えますわ(1)
王立学園の一室
緊急記録班が陣取る部屋には、
早朝からひっきりなしに書類を抱えた生徒や使者が駆け込み、
インクと汗の入り混じった焦燥の匂いが立ち込めていた。
魔導具管理局、商業ギルド、工房組合、中央治療院、通信局、
そして王都各区の給水施設。
エミリアは長机の上に広げられた書類の束を前に、
手元の羊皮紙と照らし合わせながら一枚ずつ数字を追っていく。
背後の壁に貼られた王都の全域地図には、
昨日まで白く残されていた区画に、
不吉な赤い印が確実に増え、網目を侵食していた。
「……またですわ」
エミリアが顔を上げる。その表情は硬い。
「魔導具管理局からです。
封印班で新たに二名が発熱。
高位鑑定官一名が、
今朝から起き上がれず勤務不能とのことです」
腕を組み、地図を睨んでいたグランヴェル学園長が険しく眉を寄せた。
「昨日、各機関に通達して交代制を導入させたばかりではなかったのか」
「はい。ですが――」
エミリアは別の記録用紙を引き寄せた。
「倒れられたのは、交代制が始まる以前から
限界まで魔力を使い続けておられた方々です」
学園長は言葉を呑み、静かに目を閉じた。
今この瞬間に休ませたところで、
これまでに蓄積された魔力の消耗や見えない潜伏の負荷が、
帳消しになるわけではないのだ。
「こちらは、商業ギルドからです」
エミリアは次の報告書を開いた。
そこには、現場に派遣されているサイラスの、
几帳面で隙のない筆致が並んでいた。
『食料備蓄量、現時点で問題なし。
荷馬車数、問題なし。
普通馬、問題なし。
しかし御者の欠勤が急増。
動かす人が決定的に不足し始めている』
エミリアは、その乾いた一文をじっと見つめた。
「……こちらも人です」
「うむ」
「足りないのは
倉庫に積まれた物資ではありません」
エミリアは迷いなく立ち上がると、
壁に掲げられた大きな進捗表へ歩み寄った。
そこにはリリアーナが考案した、
あの三つの冷徹な項目が刻まれている。
『代替できる者』
『残された日数』
『止まった場合に影響する場所』
エミリアは黒いインク壺にペンを浸すと、
その横に迷いのない筆跡で新しい欄を書き加えた。
――『現在、余力のある者』
学園長が眼鏡の奥の目を細める。
「何をするつもりだね?」
「探します」
「何をだ」
「まだ動ける人手です」
エミリアは振り返った。
その眼差しには、かつての頼りなさは微塵もない。
「過剰に人が足りない場所があるのなら、
逆に、業務が縮小して人が余っている場所も必ず存在するはずですわ」
◇
「はあぁっ!?」
魔導具管理局の受付広間に、アリシアの甲高い怒声が響き渡った。
「わたくしたちの搬送係を
商業ギルドへ貸し出せですって!?」
目の前で耳を指で押さえたピートが、困ったように眉尻を下げる。
「声がでけえよ、アリシア」
「だって!」
アリシアはエミリアの署名が入った緊急要請書を、
執務机へピシャリと叩きつけた。
「こちらだって人員に余裕があるわけではありませんのよ!
こちらの記録管理に支障が出た場合はどうなさるおつもりですの!」
「まあまあ、そうカリカリすんなって」
「カリカリなどしておりませんわ!」
「顔が真っ赤だぞ」
「怒っておりませんと言っているでしょう!」
ピートは小さく息を吐き、頭をがりがりと掻いた。
「で、向こうは何人欲しいって言ってきたんだ?」
アリシアは要請書を睨み直す。
「……四人」
「なら、出せるな」
「ピートさん!」
アリシアが青筋を立てて目を吊り上げる。
だが、ピートは慌てることなく、
壁に掛けられた木製の勤務割り当て板をトントンと指さした。
「見ろよ、現実を」
アリシアは悔しげに視線を走らせる。
高位鑑定官、封印班、魔力検査官。
魔力を大量に消費する花形の部署には、
痛々しいほどの赤い欠勤札が並んでいる。
対して、書類搬送、倉庫整理、受付、台帳管理。
日常的に魔力をほとんど使わない一般実務の部署では、
欠勤者はごく僅かだった。
「鑑定の仕事そのものが激減してるんだ」
ピートが静かに言った。
「高位鑑定官が次々に倒れてるから、
危険度の高い魔導具の受け入れ自体をストップさせてるだろ?」
「……ええ」
「だから、鑑定室から保管庫へ運ぶ搬送の仕事も激減してる」
アリシアは言葉を失い、唇を結んだ。
「今まで十人で回してた搬送の仕事を、
今の流通量なら六人でも余裕で回せる」
ピートは肩をすくめる。
「なら、余った四人をここに座らせてても、
ただ暇を持て余すだけだ。違うか?」
アリシアはしばらくの間、悔しそうに勤務表を睨みつけていた。
やがて、小さくため息を吐き出す。
「……合理的では、ありますわね」
「だろ?」
「ですが!」
アリシアはピートの鼻先へビシッと人差し指を突きつけた。
「貸し出すだけですわ!
彼らが商業ギルドの所属になったわけでは毛頭ございません!」
「分かった、分かったから」
「それから、誰をどこへ何日間送ったか、
一分の狂いもなく台帳へ記録してくださいませ!」
「はいはい」
「『はい』は一度!」
「お前、本当に相変わらず面倒くせえなあ」
「なんですって!?」
ピートは白い歯を見せて笑った。
「褒めてんだよ。あのクラウディア嬢が、
お前をここに放り込んだ理由が分かるってことだよ」
アリシアは虚を突かれたように目を見張り、
それからふいと顔を背けて書類を抱え直した。




