第22話 悪役令嬢は、静かに忍び寄る澱(おり)を見逃しませんわ
最初はわずかな兆候でしかなかった。
その噂は、商人や旅人たちの間で交わされていた程度で
あまり気にとめる者も、心配する者もいなかった。
王都職務体験制度が本格実施され、
整えられた構造の上で学園と各機関が動き始めたのを確認した後
リリアーナ・クラウディアは一時的に王都を離れ
自身の公爵領へと帰郷していた。
領地の政務を執り行う傍ら
リリアーナの耳にひとつの噂が届く。
王都から離れた辺境の村落で
季節外れの風邪が流行っているという。
「初期症状は微熱と軽い咳、それから頭痛。
どこにでもあるただの季節風邪ですわね」
執務室で報告書を捲るリリアーナの横で
マルティナが心配そうに眉をひそめていた。
「ええ。ですがお嬢様、
お隣の領地の宿場町では、少し様子が妙なのです。
風邪そのもので死んだ者はいないのですが、
なぜか動けなくなる大人が増え、
畑仕事や物資の運搬が滞り始めているとか……」
「滞り、ですって?」
リリアーナの扇を持つ手が、ぴたりと止まった。
その平穏な言葉の裏にある、不穏な蠢きを敏感に察知する。
「マルティナ、馬車の用意を。
お隣の領地の境界まで、噂を確かめに行きますわ」
「お待ちください! なにもお嬢様が行かなくても」
マルティナが焦ったように止める。
「他の者からの報告では
どうしても感覚の隙間が出来てしまいますわ。
この件は……何故かしら、致命的な致命傷に繋がるような
そんな嫌な予感がしますの」
そこまで言われては、マルティナに否応はなかった。すぐに馬車の用意をしに部屋を出て行く。
隣領地は、以前リリアーナが農民の若者と少女に出会った領地の、さらに隣であった。
公爵領の境界を越え
隣領の小さな宿場町に入ったリリアーナは
まず街の診療所に向かった。
だが、その道中の情景に、リリアーナは強烈な違和感を覚える。
活気があるはずの正午の町は、しんと静まり返っていた。
行き交う人々は一様に肩を落とし、浅い咳を繰り返している。
どんよりと澱んだ空気が、路地裏にまでへばりついているようだ。
一見すれば、確かにただの風邪の流行のように見える。
目的の町の診療所の前には
診察を待つ患者の長い列ができていた。
それを目にした瞬間、リリアーナは違和感の正体に気がついた。
(――働き盛りの大人が、極端に少ない……?)
列をなしているのは、老人や子供ばかりだ。
生産や物流の要となる年齢層が、ごっそりと抜け落ちている。
「へんですわね」
呟いた、その時だった。
診療所の扉が開き、治療師自身が出てきた。
その表情は苦しげに歪み、足下はおぼつかない。
そして、突然激しい眩暈を起こしたように壁に手をつくと、そのまま地面へ崩れ落ちた。
「先生!」「しっかりしてください!」
患者たちが悲鳴を上げて駆け寄る。
リリアーナも、治療師に駆け寄った。
その手首を掴んだ瞬間――彼女の高度な魔力感知が、
背筋の凍るような戦慄を伝えてきた。
(魔力が……空っぽ?)
「誰か、別の治療師を――」
集まってきた領民たちに、毅然とした声をかける。
しかし、人々は力なく首を振るだけだった。
「この村の、治療師はこの人だけなんだよ」
「わかりました。では、この方を中に運んで下さい」
領民たちはリリアーナの有無を言わせぬ威厳に従い、
治療師を診療所の中へと運び込んで行った。
残った年配の男が、吐き捨てるように言う。
「こいつもおなじだ。お嬢さん……この町じゃあ、
風邪を引いた奴が、みんなこんな風に泥みたいに倒れちまう」
「同じように……」
リリアーナは眉をひそめ、冷徹に思考を巡らせる。
「それも、魔法が使える奴ばかりだ。
一度倒れちまったら、二度と起き上がれなくなるんだ。
おかげで荷馬車も動かねえし、井戸の魔導ポンプが壊れても、直せる職人がいねえ。
このままじゃ、町ごと干からびちまう……」
その瞬間、リリアーナの頭の中で、
いくつかのバラバラだったピースが噛み合い、強烈な警告音を発し始めた。
「マルティナ、急いで人の手配を! この病を調べなければなりません!」
「お、お嬢様……?」
リリアーナは宿場町の静寂を見つめ、自身の細い指を強く握りしめた。
(確かめなければなりませんわ。この病が、人を殺す病なのか
――それとも、国を停止させる病なのかを!)




