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第20話 悪役令嬢は、夜の帳(とばり)に少しだけ震えますわ

職務体験制度の正式実施告知が、掲示板に貼り出された。

生徒たちが集まり、対する思いが吐露される。


歓迎。不安。拒絶。噂。


その中心で、エミリアが小さく呟いた。

「始まるんですね」

「ええ」


リリアーナは答える。

「ようやく、入口ですわ」

「入口……」


「ここから先は、崩れることを覚悟しなければなりません」

エミリアは驚いて顔を上げた。


「崩れるんですか?」

「ええ」

リリアーナは平然と言う。

「外へ出るのですもの」


エミリアは少しだけ笑った。

「でも、直すんですよね」

「当然ですわ」



王都職務体験制度が本格始動し、

生徒会室は希望者の書類で溢れかえっていた。


誰もが華やかな大商会や騎士団

魔導具管理局を望む中

部屋の隅で俯いている下級生の少年がいた。


彼の名はルカ。

魔力測定の数値も低く、座学の成績も中位、これといった特技もない、

自他共に認める「落ちこぼれ」だった。


「クラウディア様……。俺みたいな何もできない奴は、

 やっぱりこの制度の邪魔になりますよね。辞退、します」


諦めたように笑うルカの前に、リリアーナは一枚の書類を滑らせた。

そこには、王都の北外れにある「王立薬草園・記録保存庫」の文字があった。


「これは……」


「この施設は、地味で、埃っぽく、華やかな魔導具など一つもありませんわ。

 あるのは、数万冊に及ぶ古い薬草の乾燥標本と、

 その劣化記録をつけるだけの果てしない雑務。

 誰も手をあげない場所ですが」


「俺が……手を上げてもいいのですか?」


「ええ、競争相手はいませんので、そのまま採用されると思いますわ」


「行きます。有り難うございます!リリアーナ様!」


深く頭を下げて走り去るルカの背中を見送り、リリアーナはぽつりと呟いた。

「なぜあんなに嬉しそうなのかしら」

その横で、エミリアは優しく微笑んだ。


「最初から、あの方のために用意されたのでしょう?」

「あら、何がですの」


「あの方の成績などのデータを詳しく調べましたわ

 成績は平凡でしたが、過去二年の小テストはすべて提出

 そして、文字の誤字脱字が一度もありませんでした」


リリアーナは、眉をピクリと上げた。


「ご存じなのでしょう」

エミリアはいたずらっぽく笑った。


「それは、すべての候補者の情報は、すべて把握していなければなりませんもの」

「そうですよね。そして、受入側の機関の欲している能力も把握しておられる

 望まれる場所に、望まれる人物を繋ぐ役目を担っておられるのでしょう」


リリアーナは、エミリアを見て、ふっと笑った


「それでは、手分けして、残りの方々の場所を案内していきましょう」



王都の北外れにある「王立薬草園・記録保存庫」。

そこは、学園の華やかな喧騒とは異なる静かで埃っぽい場所だった。


「ひぃ、ふぅ、みぃ……

 よし、これで今月分の『乾燥魔生姜まショウガ』の劣化度記録は終わり、と」


ルカは机の上に、きれいに整えられた台帳を置いた。

ペンを握っていた指先はインクで黒く汚れ、

肩は凝り固まっていたが、その表情には充実感が満ちていた。


最初は不安しかなかった。

魔力も低く、目立つ特技もない自分が、

本当に外部体験制度の役に立つのかと。


だが、この場所にきて一週間。

ルカは、自分が驚くほど「この退屈な作業」に没頭できることに気づいた。

数万冊に及ぶ古い標本を一つずつ検分し、カビやひび割れを記録する。

他の生徒なら発狂しそうな地味な作業が、ルカにとっては心地よかった。


「おーい、ルカ。ちょっと休憩にすんぞ」


保存庫の年老いた責任者・オーウェンが

温かい飲み物の入った木杯を持ってやってきた。

ルカの書いた台帳に目を落とし、感心したように髭をなでる。


「相変わらず見事な文字だな。

 日付のズレも、標本の分類間違いも一つもない。

 ……お前さんが来てくれてから、

 古い資料の整理がこれまでの何倍の早さで片付いてるよ。

 本当に助かる」


「いえ! 俺、こういう細かい作業が好きみたいで……。

 見つけてくれたクラウディア様のおかげです」


ルカが照れくさそうに笑うと、

オーウェンは木杯を差し出しながら、ふっと目を細めた。


「クラウディア様、か。

 ……あの厳格そうなお嬢さん、

 お前さんがここに来る前日、わざわざここに連絡をくれてな」


「えっ……? クラウディア様が、ですか?」


ルカは驚いて木杯を落としそうになった。


「ああ。『今度そちらへ派遣する生徒は、派手な魔導具は扱えません。

 けれど、彼には一つの歪みもなく文字を写し、

 退屈な継続を誇りとできる、希有な才能があります』ってな。

 それから――」


オーウェンは楽しそうに笑った。


「『もし彼が自分の無力さに怯えていたら、

 まずは簡単な日誌の転記から任せなさい。

 彼は正しい居場所さえあれば、

 必ず想像を超える成果を出します

 無能な配置で彼の才能を殺すような真似をしたら、

 この保存庫の予算構造を見直しますわ』……だとさ。

 おっかねえ脅し文句だったが、お前さんへの信頼が詰まってた」


ルカは、胸の奥から熱いものが一気に込み上げてくるのを感じた。

視界がじわじわと滲んでいく。


彼女は誰よりも自分のことを見ていてくれた。

自分すら気づかなかった才能を見つけ、

傷つかないように、誇りを持って働けるように、

立つ場所を用意してくれていたのだ。


その日の夕方、ルカが、勢い込んで生徒会室に入ってきた


「リリアーナ様、俺、自分の場所がわかりました! 本当に有り難うございました!」


「それは、おめでとう。ですが、私がお礼を言われる理由はありませんわ

 悪役令嬢として、私はあなたを利用しようとしているのですもの」


だが、ルカはその言葉を聞いてはいなかった

ルカは袖で乱暴に涙を拭うと、

「……俺、もっと頑張ります。

 クラウディア様の作った仕組みが、正しいって

 俺が証明してみせます!」


「そ、そう、頑張ってちょうだい」


エミリアはそんな二人を、温かい目で見守っていた。



数日後、ルカをはじめとする生徒たちの見事な実績報告が集まり

リリアーナの「監査記録班」によって、

不正の余地のない『完璧な台帳』が完成した。


教師たちも事務方も、その構造を認め、

学園内は制度の完全な成功に沸き立っていた。


しかし、その日もリリアーナとエミリアは生徒会室で机に向かっていた。

「学園内監査記録班」の書類を、

教師や事務方に代わって自らすべてチェックしているのだ。


「削り、分け、軽くしたとはいえ……

 やはり、実務の重みは物理的な量として現れますわね」

「そうですね、応援が欲しいところですね」


微かに疲労で目をこすった、その時。

静かにドアが開き、革靴の音が響いた。


「まだ残っていると思ったよ」

アレクシスだった。

その手には、温かい湯気を立てる木箱が握られている。

「殿下? なぜこのような時間に」


「会議で『覚悟』を問うたのは俺だからな。

 君たちだけに戦わせるほど、俺は薄情な男じゃない」

「私も忘れないでくださいね」

レナードが、アレクシスの肩越しに顔をだす

「俺も――」

ヴォイドが続こうとするが、レナードにあっさり切られた

「お前は戦力外だ」

アレクシスは当然のようにリリアーナの隣に座ると

木箱を開けた。中には、彼女の好む甘さを抑えた焼き菓子が入っていた。


「……殿下、これはわたくしが背負うと決めた構造です」


「なら、その構造の一部を俺たちにも預けろ。

 君が倒れたら、その時点でこの制度は瓦解する。

 それは『不合理』だろう?」


アレクシスはリリアーナの口癖を真似て、悪戯っぽく笑った。

リリアーナは一瞬だけ呆気に取られ

それからふっと視線を落とした。


「……口が上手くなられましたわね、殿下」


「君を見ていたからな。……ほら、手を休めて。

 残りの書類は――」


アレクシスはリリアーナの手から書類を取り上げようとした。

だが、書類はエミリアが先に取り上げていた


「これらは、私とレナード様でやっておきます

 リリアーナ様は、少しお休みください

 殿下、リリアーナ様をお願いいたします」


そう言うと、エミリアは、書類をレナードに渡し、

ヴォイドを引きずりながら別室へと去った


リリアーナとアレクシスは顔を見合わせて苦笑いした


「エミリア嬢は、だんだん君に似てくるな」

「いえ、彼女は悪役令嬢ではありませんもの

 悪役令嬢の私にもやさしい令嬢ですわ」


「悪役令嬢ねえ……」

その先は言わずに、アレクシスはリリアーナに焼き菓子を渡す

その際、彼の指先が、リリアーナの細い指に触れる。


いつもなら冷徹に撥ね退けるはずのリリアーナの手が、

一瞬だけ、本当に一瞬だけ、拒むように、けれど縋るように震えた。

ミナを抱きしめたときに感じた、

あの「答えの出ない震え」が、

アレクシスの温もりに触れて再び胸の奥で暴れだす。


「……殿下。悪役令嬢は、このような施しに感謝などいたしませんわ」


「ああ、知っているよ。だからこれは施しじゃない。

 未来の王として、優秀な臣下を労っているだけだ」


静かに、けれど絶対に揺るがない声で続けた。


「俺は……君が何を背負っていても、横に立つくらいはできる。

 もし君が、何者であることに疲れたときは

 横に俺がいることを思い出してくれ」


リリアーナは、焼き菓子を口に運んだ。

その甘さが、疲れ切った身体に染み渡っていく。

彼女はアレクシスを見なかった。

アレクシスも、彼女の横顔を覗き込もうとはしなかった。


リリアーナは、自分の心臓が、

いつもより少しだけ早く脈打っていることが

不思議でならなかった。



同じ夜、王都の地下。

エルドレイン侯爵のもとに、

完璧に整理された「学園内監査記録班」のフォーマットの写しが届けられていた。


「見事だ。どこに誰が配置され、

 どの物資がどう動いたか、すべてが『一本の美しい線』で繋がっている。

 リリアーナ嬢、君は本当に、最高の仕事をしてくれた」


侯爵は、その美しい線の一箇所――

王都の物流のハブとなるギルドの項目に、爪で深く傷をつけた。


「実に見通しがよい。

 これなら、どこを支えれば全体が動くかも、よく分かる……」


侯爵の低い笑い声が、暗闇に溶けていく。

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