第19話 悪役令嬢は、正しさの首輪を拒みますわ
中庭でヴェロニカがリリアーナに声をかけた。
「クラウディア様」
「何かしら」
「この制度は、成功すると思います」
「そう」
「けれど、成功するからこそ、危ういのではありませんか」
リリアーナは静かに彼女を見る。
「危ういものを、放置する理由にはなりませんわ」
「分かっています」
ヴェロニカは唇を噛む。
「でも、外の手が入ったとき、あなたはそれを全部見抜けますか?」
リリアーナは答えない。
ヴェロニカは続ける。
「正しい制度ほど、正しくない人間にも使いやすい」
ヴェロニカはもう手を汚している。
「あなたは、何を知っていますの?」
リリアーナが問う。
ヴェロニカは目を伏せた。
「まだ、確かなことは」
嘘だった。
確かなことはある。
けれど、口にすれば、自分の父を売ることになる。
「そう」
リリアーナは、それ以上追わなかった。
「分かりましたわ」
「……責めないのですか?」
「責めるだけでは、何も整いませんもの」
その言葉に、ヴェロニカの表情がわずかに歪む。
責められた方が楽だった。
そう思った。
夜
エルドレイン侯爵邸。
侯爵は、学校関係者と向かい合っていた。
「推薦制度の話、広まっているようです」
その男が言う。
侯爵は満足そうに頷いた。
「よろしい」
「ですが、正式制度ではありません」
「正式である必要はない」
侯爵は静かに言う。
「人は、決まったことより、決まりそうなことに先に従う」
男は黙る。
「保証人制度の提案書は?」
「準備できています」
侯爵は書類を手に取る。
そこにはこう書かれていた。
『王都職務体験制度 外部監査委員会設立案』
目的。
安全管理。
事故時の補償。
生徒と受け入れ先の適性調整。
学園事務負担の軽減。
どれも、正しい言葉だった。
侯爵は微笑む。
「これでよい」
「学園は受け入れるでしょうか」
「受け入れざるを得ない」
侯爵は書類を閉じた。
「彼らは、安全と公平を掲げている。
ならば、安全と公平の名で差し出された首輪を拒めない」
リリアーナたちは了承を取り付けた三つの機関に
試行として、それぞれ生徒を送り込んだ
魔法具管理局にはアリシア
商業ギルドにはサイラス
工房組合にはレオン
魔法具管理局では、申請書類の整理
商業ギルドでは、在庫確認
工房組合では、工具管理の補助
たった一日ではあったが、3機関とも職員を上回る働きという評価を得た
職務体験制度については学園側も議論を続けていた
最初は冷笑していた教師も、受入側の報告を見て変わった。
「あれなら将来に役立つかもしれない」
「ギルドと繋がりができる」
「親に話したら、ぜひ申し込めと言われた」
空気は変わったきた。
だが、賛成一色ではない。
多くの問題点もあるからだ
「希望者が多すぎます」
事務方の職員が言った。
「調整できる人数ではありません」
「では成績上位から?」
「それでは制度の理念に反します」
「では抽選か?」
「貴族の親が黙っていません」
「公平な選定を行う制度が必要なのでは?」
選ばなければならない。
だが、選べば必ず誰かが外れる。
その当然のことが、ようやく形を持って現れた。
「受け入れ先も増やすべきでは?」
教師の一人が言う。
別の教師が首を振る。
「安全確認が追いつかない」
「安全を担保する制度が必要なのでは?」
その場にいたリリアーナは、静かに聞いていた。
王都職務体験制度の実施は、条件付きで承認された。
受け入れ先の拡大。
参加人数の増加。
外部との連絡窓口の整備。
報告書式の正式化。
学園長室で、その決定が告げられた。
「見事に形にしたな」
アルフレッド・グランヴェルは言った。
「ええ」
アレクシスが肯く。
「まだ完成ではありませんが」
「当然じゃ」
学園長は計画書を閉じる。
「だが、制度としては動く」
エミリアは嬉しそうに息を吐いた。
リリアーナだけが、黙っていた。
正式実施に向けて、学園では説明会が開かれた。
教師たちは慎重な顔をしていたが、以前のような全面反対ではない。
生徒たちは期待していた。
保護者からの問い合わせも増えている。
制度は、確かに広がっていた。
その一方で、別のものも広がっていた。
「推薦がある方が有利らしい」
「商業連盟の保証を受ければ安全だ」
「外部監査委員会ができるそうだ」
噂は、噂の形で学園内を歩いた。
誰かが命じたわけではない。
けれど、みなが少しずつ、それに従い始める。
リリアーナは、その噂を聞いた。
「外部監査委員会?」
「はい」
エミリアが不安げに答える。
「事故があったときに、補償や仲裁をしてくださるそうです」
「誰が運営を?」
「王都経済協議会……と聞きました」
リリアーナは書類を受け取った。
そこに書かれている文言は、よく整っていた。
安全。公平。負担軽減。適性調整。
どれも必要なものだ。
だからこそ、危うい。
「学園長に」
リリアーナは立ち上がる。
「確認しますわ」
学園長室。
外部監査委員会設立案は、すでに学園長の机に置かれていた。
「来ると思っておった」
学園長は言った。
「これは、通すべきではありませんわ」
リリアーナの声は静かだった。
「理由は」
「制度の入口を、外部に渡すことになります」
「その通り」
「では、なぜここに?」
「教師側の一部が賛同しておる」
エミリアが息を呑む。
「なぜ……」
学園長は淡々と答える。
「責任を分けられるからじゃ」
それは、とても現実的な理由だった。
「事務方も賛成に傾いておる。処理負担が減る」
リリアーナは書類に目を落とす。
彼らの不安も、負担も、本物だ。
だから拒むだけでは通らない。
「対案を出しますわ」
「聞こう」
「外部監査委員会は認めません。
代わりに、学園内に監査記録班を置きます。
教師、事務、生徒会、参加生徒の代表。
外部からの助言は受けるが、決定権は渡さない」
学園長は目を細める。
「負担は増えるぞ」
「ええ」
「教師側は嫌がる」
「でしょうね」
「事務方も反発する」
「承知しておりますわ」
「それでも?」
「入口は渡せません」
その言葉だけは、強かった。
学園長はしばらく黙った。
やがて、静かに頷く。
「条件付きで、その対案を職員会議にかける」
「ありがとうございます」
「ただし」
学園長は続けた。
「通るとは限らぬ」
「通しますわ」
「通すのではない」
学園長の声が少し重くなる。
「納得させよ」
リリアーナは一瞬だけ沈黙した。
「……承知いたしました」
その夜。
エルドレイン侯爵は、外部監査委員会案が差し戻された報告を受けていた。
「クラウディア嬢が動きました」
部下が言う。
侯爵は怒らなかった。
むしろ、愉快そうに笑った。
「当然だ」
「よろしいので?」
「構わん」
侯爵は窓の外を見る。
「拒むなら、彼女は自分で負担を抱えることになる」
部下は黙った。
「教師も事務も、生徒会も、いずれ疲れる」
侯爵は穏やかに言った。
「正しいことは重い。
私は、その重さを少し軽くしてやろうと言っているだけだ」
「では、次は」
「待つ」
侯爵は答える。
「制度は動き始めた。動けば、必ず問題が出る。
そのとき、人は便利な手を求める」
小さく笑う。
「首輪は、疲れた者の方から差し出してくる」
職員会議は長引いた。
教師たちは不安を口にした。
「生徒を外に出すだけでも負担です」
「監査まで学園内で持つのは無理です」
「専門家に任せる方が安全では?」
事務方も反対する。
「報告書の確認だけで手一杯です」
「事故対応まで学園が抱えるのは危険です」
リリアーナは、一つずつ答えた。
「報告書式を減らします」
「事故対応は段階別に分けます」
「監査記録班は、常設ではなく試行期間のみ」
論破ではない。
削り、分け、軽くする。
それでも、空気は重い。
アレクシスが立った。
「この制度は、我々生徒会が考えたものだ。
だが、生徒会のものではない
生徒たちのものでもない」
静かに、全員に語りかける
「これは、学園が生徒たちのために
ひいては、学園のために必要なものとして行う
学園の制度だ」
全員一人一人を見ながら問う
「その意識と覚悟をお持ちだろうか」
会議室が静まる
「自分たちの制度に責任を持って取り組んでいただきたいと
我々生徒会は望んでいる」
「だからこそ、その仕組みを外部に渡すべきではない」
声は穏やかだった。
しかし、王太子としての重みがあった。
「学園が責任を持つべきです」
その言葉で、空気が変わった。
リリアーナはアレクシスを見なかった。
ただ、書類に目を落としている。
アレクシスは横目でそれを見る。
だが、少しだけ。
ほんの少しだけ、彼女の手が止まった気がした。
結果として、リリアーナの対案は通った。
外部監査委員会は見送られた。
学園内監査記録班が設けられる。
制度は、正式に動く。
それは勝利に見えた。
少なくとも、学園の多くの者には。
ヴェロニカは、父への手紙を書いていた。
『外部監査委員会案は差し戻されました。
クラウディア様の対案が通りました』
そこでしばし筆が止まる。
『けれど、制度そのものは広がります。
入口は学園に残りましたが、受け入れ先との関係は残ります』
また止まる。
最後に、一文を加えた。
『私は、これが正しいことなのか、まだ分かりません』
手紙に封をする指が、震えていた。
彼女はそれを父に送る。
止められなかった。
止めようともしなかった。
それが、一番苦しかった。




