第15話 悪役令嬢は、夢を壊すことを許しますわ
『私は、夢をそのまま守ることはしなかった。
守られたままの夢は、現実に触れた瞬間に壊れる。
だから私は、先に壊す。
それでも残るものだけが、続いていく。』
「悪役令嬢となるための秘伝書」より
「認めよう」
学園長の重々しい声が、そう伝えた瞬間、
生徒会の面々は一様に、沸き立つ表情を浮かべた。
リリアーナを除いては。
「意外ですね。」
「なにがじゃ?」
「いえ、もう少し粘られるかなと思いまして」
「ふむ、それなりの成果を示したのじゃ。こちらも、
きちんと対応せねばの」
「ただし――」
学園長の声が厳しさを帯びた
「あれで、満足してはおるまいな」
「わかっています。まだまだ、参加している者は少ない」
学園長がうなずく
「最初に一歩がうまくいったにすぎん。今後どう転ぶかはわからん」
「ええ」
リリアーナが短く相づちをうった
「ふむ、その様子だと、このあとのこともすべて準備済みか」
「はい、きちんとした形にならなければ、続きませんもの」
「だが、その形なら、最初から生徒会が提案して指導すればよかったのではないかの
そのほうが、いらぬいざこざなどが起こらずにすんだのではないか」
「いいえ、それでは、今回表面に出てきたいざこざを
すべてはらんだままのものになりますもの」
学園長は、リリアーナをじっと見た
「深いな、あの方より……」
その言葉は、学園長の口の中でのつぶやきで終わった
学園長室を出たアレクシスは、大きく体を伸ばした
「さて、これで、やっと始めることができるな」
「ええ、これからが本番ですわ」
リリアーナは、気負うことなく言った
「少し寄り道してしまいましたね」
エミリアの問いに、リリアーナは首を振った
「いいえ、よい予行演習になりました」
「予行演習ねえ。私たちは結構大変でしたけどね」
レイナードは、少し恨みがましく言う
「でも、楽しかったです。いろいろな方と知り合えて、いろいろな話ができて」
エミリアは、みんなの顔を見ながら言った。
以前のうつむきがちだった姿はどこにもない。
「これからは、今とは比べものにならない経験と苦労がありますわよ
学園の外とつながると言うことは、そういうことです。」
「はい!」
アレクシスが話題を変えた
「まあ、みんなこれまで、ご苦労だった。今日は羽を休めて――」
いいかけたアレクシスに、レイナードが残念そうにさえぎる。
「殿下、忘れていませんか?この後のこと。」
アレクシスの表情が一気に曇る
「そうだった! 用事ができて欠席とは……いかないか」
がっくりと肩を落とし、八つ当たり気味にヴォイドに声をかける
「ヴォイド、寝てもいいがいびきはかくなよ」
春というのに、講堂の空気は、冷えていた。
舞台の上では、ひとりの男子生徒が声を張り上げている。
「この理想のために、私はすべてを捧げる!」
声はよく通る。
台詞も飛ばない。
立ち姿にも鍛錬の跡が見える。
だが、その熱は舞台の上だけで空回りし、客席まで届いていなかった。
誰も息を呑まない。
誰も前のめりにならない。
ただ、終わるのを待っている。
アレクシスも苦行を行っている気分だった
ヴォイドはすでに眠っている。だが、言いつけ通りいびきはかいていない
やがて後方の席から、一人が立つ。
また一人。
足音が静かに、けれど容赦なく出口へ向かっていく。
「……厳しいですわね」
エミリアが小さくつぶやく。
「ええ」
リリアーナは舞台から視線を外さず答えた。
「ですが、壊れるなら早い方がよろしい」
終演後。
舞台裏は奇妙な静けさに包まれていた。
衣装を外す者。
小道具を片づける者。
誰も主演へ声をかけない。
その中心で、脚本と主演を兼ねた男子生徒――ユリウスが、台本を握ったまま立ち尽くしていた。
「なんでだよ」
低い声だった。
「ちゃんとやれてたろ」
誰にともなく言う。
「台詞も、動きも、流れも。なのに、なんで、誰も残らないんだよ」
誰も返せなかった。
「あなたのための劇だからですわ」
空気が止まる。
ユリウスが振り向く。
その目にあるのは怒りというより、耐えきれぬ悔しさだった。
「……ふざけるな」
「ふざけておりません」
リリアーナは静かに言う。
「あなたは観客へ届けようとしているのではなく、あなたが見せたいものを置いているだけです」
「俺は観客のために――」
「いいえ。あなた自身の熱を見せたいだけですわ」
「そんなこと……!」
「あるでしょう?」
ユリウスの拳が震える。
「壊しなさい」
「……は?」
「その劇を、壊しなさい」
「何を言ってる」
「聞こえた通りで結構ですわ」
空気が凍る。
「ふざけるな! これは俺が作ったんだぞ!」
「ええ」
「ここまで書いて、ここまで稽古して、ようやく形にしたんだ!」
「ええ」
「それを壊せって言うのか!」
「だから、壊すのです」
ユリウスは言葉を失った。
やがて、絞り出すように言う。
「……できるわけないだろ」
「どうして」
「これは俺の夢なんだ」
その夜。
講堂の灯りは消えていなかった。
舞台の上にユリウスがひとり立っている。
足元には書き込みだらけの台本。
座席の闇を前に、彼は独り言のように言った。
「ここを削れば、俺の書きたかった“俺”がいなくなる」
この独白、この場面転換、この長い演説。
全部、自分が好きで書いたものだ。
捨てられないのではない。
捨てれば、自分の夢そのものが削れるようで怖いのだ。
翌日、リリアーナたちは、学園長室の呼ばれた。
「やりすぎですな」
学園長が言った。
「何がでしょう」
「若い夢を、わざわざ壊す必要がありますかな」
「ありますわ」
「学園は育てる場です。折る場ではない」
「守られたまま外へ出れば、もっとひどく折れます」
いま壊れて立てぬなら、後でも立てませんもの」
学園長は机上の羽根ペンを指で転がした。
「冷たいですな
「夢は、人によっては唯一の支えですぞ」
「ええ」
「それを壊せと言う」
「残るなら本物ですわ」
「残らなければ?」
「そこで終わる夢だったのでしょう」
「そのものが、そこで終わってしまったとしても?
「……ええ」
アレクシスはすぐ横のリリアーナの肩がわずかに揺れるのを感じた。
思わずリリアーナを見るが、学園長を見つめる表情に変わりはない。
エミリアが不安そうにリリアーナを見た。
だがリリアーナは一歩も引かない。
学園長が静かに問う。
「壊した先に何を残したいのですかな」
「届く形ですわ」
「ほう」
「自分だけが熱いものではなく、他人へ渡る形に」
「……」
学園長は長く黙った。そして、頷いた
台本は、ほとんど変わっていなかった。
そして――
また、同じだった。
客は来る。
そして、帰る。
昨日よりも、少しだけ早く。
「壊せない」
男は力なく言う
リリアーナは、それを否定しなかった。
「そうでしょうね」
簡単ではありませんもの」
「だったら……」
「やめますか」
男は、顔を上げる。
「やめるかよ」
即答だった。
「やめたら、何も残らないだろ」
その顔を見て、リリアーナは小さく頷く。
三日後。
講堂に、また灯りがついていた。
舞台の上で男は、台本を開いたまま、しばらく動かなかった。
やがて、一枚破った。
「いらない」
また一枚。手が止まる。
「……でも、好きなんだよな」
少しだけ、笑う。それでも破る。
紙の音が、静かに響く。
一週間後。
新しい劇は――完成していなかった。
短い場面がいくつかあるだけ。
前より不格好で、前より隙が多い。
だが、前より客席が静かだった。
途中で帰る者はまだいる。
それでも最後まで残る者が、確かに増えた。
終演後、見ていた学園長がユリウスに言う。
「途中退席は減った」
「はい」
ユリウスは疲れた顔のまま答える。
「好きな場面を書き出させたら、俺の長い独白は誰も挙げなかった」
「でしょうね」
リリアーナが言う。
「ですが、最後の短いやり取りは残っていましたわ」
「……あそこは、削るか最後まで迷いました」
「でも残った」
「ええ」
「どうでした」
リリアーナが問う。
男は、少しだけ考える。
「……分からない。前よりいいのか、分からない」
そして、少しだけ笑う。
「でも、前より、ちゃんと悩んでる」
「そう。ようやく『表現者』の入り口に立ちましたわね。
……けれど、ここから先は、
立ち止まることも、逃げることも許されませんわよ」
リリアーナの目は、どこまでも鋭く、冷たい。
だが、アレクシスは、そこに別のものを見た。
深い、祈りにも似た憂い。
学園長は、二人のやりとりを黙って聞いていた。
「自分の夢を壊せる者だけが、他人に届く形を作れる」
そして、ほんのわずかに視線を落とす。
「……あの方も、そこまでは辿り着けなかった」
誰に言ったのか分からぬほど小さな声だった。
夜。
学園長室で、古い研究ノートの余白に新しく一行が書き足される。
『この子は、壊すことを恐れぬ。ゆえに、まだ先へ進む』




