第九話「灰色の腕章が動かした」
リアが勝った翌日、空気が変わっていた。
しかも、それはすぐ分かった。
補助科の腕章に、視線が集まっていたからだ。
ユウトは少し早めに登校した。
それ自体は、いつものことだった。
でも、廊下に入ったところで気づく。
視線が来る。
補助科の腕章に向けて、視線が集まっていた。
前にも、なかったわけじゃない。
ただ、今日のそれは少し違う。
軽蔑でもない。
無関心でもなかった。
何かを確かめようとしている目だった。
もう広がってるな、と思った。
でも、立ち止まる理由もない。
ユウトは気にしないようにして、そのまま歩いた。
◇
ホームルーム前、廊下でミハイルに会った。
「お前、今日変な目で見られてないか」
顔を合わせてすぐ、それを言われた。
「見られてます」
「やっぱり。ミハイルの防壁が変わった原因を知ってるかって、三人くらいに聞かれた」
「何と答えましたか」
「自分で考えたって言った。信じてもらえなかったけど」
ミハイルは前を向いたまま言う。
「ソレイユの動きも変わってるし、二人同時はおかしいって話になってる。広まるのはもう時間の問題だと思う」
「そうですね」
「俺は、お前が関わってることを恥ずかしいとは思ってない。だから聞かれたら、そのまま答えるけど」
ユウトは少しだけ間を置いた。
「……分かりました。正直に答えてください」
ミハイルは「そうか」とだけ言って、先に角を曲がっていった。
ユウトはその背中を見送りながら、少し考えた。
広まること自体は止められない。
問題は、その先だった。
何が来るのか。
そこは、まだ見えていなかった。
◇
昼休み、ユウトは図書室へ向かった。
窓際の奥の席に座って、ノートを開く。
リアの次戦の相手を整理しようとした、そのときだった。
向かいに人が座った。
音がしなかった。
気配もない。
ただ、いつの間にかいた。
少し怖いな、と思った。
「アーセル・ユウトさんですね」
知らない声だった。
三年生の女子生徒だった。
肩までの黒髪がきちんと整っていて、背筋がまっすぐ伸びている。
胸には生徒会の腕章。
目は静かだった。
静かすぎて、感情が読めない。
「……はい」
「エルナ・ヴァッセルといいます。生徒会副会長、魔術理論科三年です」
丁寧な口調だった。
でも、形だけの丁寧さじゃない。
必要な情報だけを、きちんと渡してくる感じがした。
「なぜ俺の名前を」
「調べました」
迷いなく返ってきた。
悪びれる様子もない。
「ロンドさんとソレイユさんの変化を見て、共通する人間を探しました。補助科のアーセルという名前が、複数の証言から出てきた。それだけです」
それだけ、という言い方だった。
調べたこと自体に、特に感情がない。
必要だったから調べた。
それで終わっている顔だった。
面倒な相手かもしれない、と思った。
でも、雑ではない。
むしろ正確すぎるくらいだった。
◇
「昨日の対抗演習を見ていました」
エルナが続けた。
「ソレイユさんの戦い方が変わっていた。ロンドさんの三層展開も、選考前には見られなかった。二人が同時に変わった。その間にあなたがいる」
「否定しません」
「なぜやったんですか」
「見えたから、やりました」
「見えた」
エルナがそのまま繰り返した。
メモを取るときみたいな口調だった。
「あなたのその力は、訓練で得たものですか」
「違います。昔からそうでした」
「そうですか」
それ以上は追ってこなかった。
情報として受け取った、という反応だった。
少し間があく。
「一つだけ言います」
エルナが言った。
「この学院の評価制度には、補助科が不当に低く評価される構造的な問題があります。私は生徒会の立場から何度か指摘しました。でも、変わりません」
「なぜ変わらないんですか」
「数値で出ないものを評価の対象にするのは難しい、という話で終わります。毎回そうです」
エルナの声が、ほんの少しだけ変わった。
感情が露わになったわけではない。
でも、「毎回そうです」という言い方には、積み重なったものがあった。
「私の父は国軍の術式審査官です。現場では、戦えない者でも価値を持つ人間がいることを知っています。でも学院の制度は、それを評価する枠を持っていない。変わらないと分かっていても、記録は残せます」
エルナがユウトを見る。
「あなたに特例の話が出たとき、私が証言できることがあれば、そうします。今日言いたいのはそれだけです」
特例審査。
補助科から特例が出ることは、ほとんどない。
ユウトには、その重さがまだよく分からなかった。
「……考えます」
「それで構いません」
エルナは立ち上がった。
でも、そこで終わらなかった。
帰り際、一度だけ言葉を足す。
「一つだけ聞いていいですか」
「はい」
「グランドさんの術式について、何か気になることはありますか」
ユウトは少し驚いた。
どこまで見ているんだ、と思った。
「……なぜそれを」
「対抗演習の二回戦で、グランドさんの展開が一瞬だけ止まりました。ほんのわずかな間でした。ほとんどの人は気づいていなかったようです。ただ、私には何か残った。あなたも見ていたと思って」
見えた、とは言わなかった。
そう言い切らずに済ませた。
そこが少し気になった。
この人は、見えていないのに残している。
ユウトは少し考えた。
「見えています」
「そうですか」
エルナはそれ以上聞かなかった。
表情も変えない。
ただ、一つ確かめた、という顔をしていた。
「失礼します」
それだけ言って、閲覧室を出ていく。
足音が少しずつ遠ざかっていった。
◇
ユウトはしばらく、その場に座っていた。
エルナ・ヴァッセル。
制度の側にいながら、制度がうまく働いていないことを知っている。
変わらないと分かっていて、それでも動いている。
それに、誰も気づかなかったはずの一瞬を、自分の中に残していた。
見えていたわけじゃない。
でも、見逃してもいない。
それはユウトの力とは違う。
ただの観察眼、とも言いづらかった。
あの人は、何かを異様な精度で拾う目を持っている。
しかも、生徒会副会長。
面倒ごとの匂いもする。
でも、無視できる感じではなかった。
◇
窓の外で、昼練の音がした。
遠くから、リアの踏み込みの音が響く。
ユウトはノートを開いた。
リアの次の対戦相手について、もう一度整理を始める。
でも、途中で少しだけペンが止まった。
今日から、見ている人間が一人増えた。
制度の外からじゃない。
制度の内側からだ。
それが何を動かすのか、まだ分からない。
分からないまま、ユウトはまたノートに書き始めた。
廊下の向こうで、誰かが走っていく音がする。
対抗演習の次の試合は、もうすぐだった。
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それでは、また次話でお会いしましょう。




