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第九話「灰色の腕章が動かした」

リアが勝った翌日、空気が変わっていた。

しかも、それはすぐ分かった。

補助科の腕章に、視線が集まっていたからだ。


ユウトは少し早めに登校した。

それ自体は、いつものことだった。


でも、廊下に入ったところで気づく。

視線が来る。

補助科の腕章に向けて、視線が集まっていた。


前にも、なかったわけじゃない。

ただ、今日のそれは少し違う。


軽蔑でもない。

無関心でもなかった。

何かを確かめようとしている目だった。


もう広がってるな、と思った。

でも、立ち止まる理由もない。


ユウトは気にしないようにして、そのまま歩いた。



ホームルーム前、廊下でミハイルに会った。


「お前、今日変な目で見られてないか」


顔を合わせてすぐ、それを言われた。


「見られてます」


「やっぱり。ミハイルの防壁が変わった原因を知ってるかって、三人くらいに聞かれた」


「何と答えましたか」


「自分で考えたって言った。信じてもらえなかったけど」


ミハイルは前を向いたまま言う。


「ソレイユの動きも変わってるし、二人同時はおかしいって話になってる。広まるのはもう時間の問題だと思う」


「そうですね」


「俺は、お前が関わってることを恥ずかしいとは思ってない。だから聞かれたら、そのまま答えるけど」


ユウトは少しだけ間を置いた。


「……分かりました。正直に答えてください」


ミハイルは「そうか」とだけ言って、先に角を曲がっていった。


ユウトはその背中を見送りながら、少し考えた。

広まること自体は止められない。

問題は、その先だった。


何が来るのか。

そこは、まだ見えていなかった。



昼休み、ユウトは図書室へ向かった。

窓際の奥の席に座って、ノートを開く。


リアの次戦の相手を整理しようとした、そのときだった。

向かいに人が座った。


音がしなかった。

気配もない。

ただ、いつの間にかいた。


少し怖いな、と思った。


「アーセル・ユウトさんですね」


知らない声だった。


三年生の女子生徒だった。

肩までの黒髪がきちんと整っていて、背筋がまっすぐ伸びている。

胸には生徒会の腕章。


目は静かだった。

静かすぎて、感情が読めない。


「……はい」


「エルナ・ヴァッセルといいます。生徒会副会長、魔術理論科三年です」


丁寧な口調だった。

でも、形だけの丁寧さじゃない。

必要な情報だけを、きちんと渡してくる感じがした。


「なぜ俺の名前を」


「調べました」


迷いなく返ってきた。

悪びれる様子もない。


「ロンドさんとソレイユさんの変化を見て、共通する人間を探しました。補助科のアーセルという名前が、複数の証言から出てきた。それだけです」


それだけ、という言い方だった。


調べたこと自体に、特に感情がない。

必要だったから調べた。

それで終わっている顔だった。


面倒な相手かもしれない、と思った。

でも、雑ではない。

むしろ正確すぎるくらいだった。



「昨日の対抗演習を見ていました」


エルナが続けた。


「ソレイユさんの戦い方が変わっていた。ロンドさんの三層展開も、選考前には見られなかった。二人が同時に変わった。その間にあなたがいる」


「否定しません」


「なぜやったんですか」


「見えたから、やりました」


「見えた」


エルナがそのまま繰り返した。

メモを取るときみたいな口調だった。


「あなたのその力は、訓練で得たものですか」


「違います。昔からそうでした」


「そうですか」


それ以上は追ってこなかった。

情報として受け取った、という反応だった。


少し間があく。


「一つだけ言います」


エルナが言った。


「この学院の評価制度には、補助科が不当に低く評価される構造的な問題があります。私は生徒会の立場から何度か指摘しました。でも、変わりません」


「なぜ変わらないんですか」


「数値で出ないものを評価の対象にするのは難しい、という話で終わります。毎回そうです」


エルナの声が、ほんの少しだけ変わった。

感情が露わになったわけではない。

でも、「毎回そうです」という言い方には、積み重なったものがあった。


「私の父は国軍の術式審査官です。現場では、戦えない者でも価値を持つ人間がいることを知っています。でも学院の制度は、それを評価する枠を持っていない。変わらないと分かっていても、記録は残せます」


エルナがユウトを見る。


「あなたに特例の話が出たとき、私が証言できることがあれば、そうします。今日言いたいのはそれだけです」


特例審査。

補助科から特例が出ることは、ほとんどない。

ユウトには、その重さがまだよく分からなかった。


「……考えます」


「それで構いません」


エルナは立ち上がった。

でも、そこで終わらなかった。


帰り際、一度だけ言葉を足す。


「一つだけ聞いていいですか」


「はい」


「グランドさんの術式について、何か気になることはありますか」


ユウトは少し驚いた。

どこまで見ているんだ、と思った。


「……なぜそれを」


「対抗演習の二回戦で、グランドさんの展開が一瞬だけ止まりました。ほんのわずかな間でした。ほとんどの人は気づいていなかったようです。ただ、私には何か残った。あなたも見ていたと思って」


見えた、とは言わなかった。

そう言い切らずに済ませた。


そこが少し気になった。

この人は、見えていないのに残している。


ユウトは少し考えた。


「見えています」


「そうですか」


エルナはそれ以上聞かなかった。

表情も変えない。

ただ、一つ確かめた、という顔をしていた。


「失礼します」


それだけ言って、閲覧室を出ていく。

足音が少しずつ遠ざかっていった。



ユウトはしばらく、その場に座っていた。


エルナ・ヴァッセル。

制度の側にいながら、制度がうまく働いていないことを知っている。

変わらないと分かっていて、それでも動いている。


それに、誰も気づかなかったはずの一瞬を、自分の中に残していた。


見えていたわけじゃない。

でも、見逃してもいない。


それはユウトの力とは違う。

ただの観察眼、とも言いづらかった。

あの人は、何かを異様な精度で拾う目を持っている。


しかも、生徒会副会長。

面倒ごとの匂いもする。

でも、無視できる感じではなかった。



窓の外で、昼練の音がした。

遠くから、リアの踏み込みの音が響く。


ユウトはノートを開いた。

リアの次の対戦相手について、もう一度整理を始める。


でも、途中で少しだけペンが止まった。


今日から、見ている人間が一人増えた。

制度の外からじゃない。

制度の内側からだ。


それが何を動かすのか、まだ分からない。


分からないまま、ユウトはまたノートに書き始めた。

廊下の向こうで、誰かが走っていく音がする。

対抗演習の次の試合は、もうすぐだった。


ここまで読んでいただき、ありがとうございます。


もし続きが気になった方は、ブックマーク・いいねをいただけると励みになります。

更新のモチベーションに直結しますので、ぜひよろしくお願いします。

それでは、また次話でお会いしましょう。

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