第19話「見られる側」
朝の訓練は、八時に始まる。
鐘の音も、廊下を流れる足音も、いつも通りだった。
「外から来る人、今日見に来るらしいぞ」
「教官補佐だっけ」
「日程動かしたやつ?」
前を歩く生徒たちの声が、そのまま訓練棟の方へ流れていく。
階段の角に朝の光が溜まっていて、床の石だけが少し白く見えた。
学院はいつも通りに動いている。
見た目だけなら、たぶんそう。
二日前、掲示板の端に紙が一枚増えた。
外部協力者の受け入れに関する通達。読んでも大したことは分からなかった。
だからこそ、廊下を流れる噂の方が先に広がった。
制度が動く前に、外が先に動いている。
その感じだけが、まだ少し残っていた。
*
今日の訓練は術式の精度確認だった。
的に向けて術式を放つ。
精度を測る。
教官が評価する。
単純だが、繰り返すとそれなりに消耗する。
砂の混じった地面を何度も踏むせいで、靴の裏が少し重くなる。
ユウトは自分の番が来るたびに補助術式を展開し、結果を見て、また列に戻った。
火力はない。
そこは最初から変わらない。
途中から気になり始めたのは、別のこと。
訓練場の端、教官から少し離れた位置に、人が立っていた。
教官補佐のシオン。
見た目は穏やかだった。
腕を組むでもなく、メモを取るでもなく、ただ立っている。
風が吹くたび、外套の裾だけが少し動く。
訓練場全体を見ているようで、どこか一点だけを見ているようでもなかった。
ユウトは列に並びながら、何度かそちらを見た。
視線の向きが、うまく読めない。
*
リアが三回目の術式を外した。
外した、というほどではない。
軌道が少しぶれて、的の端を掠めた。判定は「不十分」。
リアは表情を変えず、列の後ろに戻ってきた。
「右に流れてる」
ユウトは小さく言った。
リアが横目でこちらを見る。
「軌道じゃなくて起点。絞るとき、右の指に力が偏ってる」
「……それだけ?」
「それだけ」
リアは何も言わずに前を向いた。
四回目の番が来る。
術式は的の中心に届いた。
リアは振り返らなかった。
ただ、列の並びが少しだけ詰まった気がした。
礼、なのかもしれない。
たぶん。
そのとき、ふと思った。
さっきまで感じていた視線が、止まっている。
ユウトは訓練場の端を見た。
シオンはまだ同じ場所に立っていた。
でも、少し違う。
こちらを見ていた。
正確には、ユウトとリアのやり取りがあった場所を見ていた。
目が合ったわけではない。
ただ、視線の止まり方が、その一瞬だけ変わった。
ユウトは前を向いた。
自分の番が来るまで、もうそちらは見なかった。
*
訓練が終わって、各自が後片付けをしている頃、シオンが近づいてきた。
静かな歩き方だった。
足音はある。なのに、気づくと近い。
「お疲れ様」
挨拶だった。
ユウトは「はい」と返して、少し待った。
術式の評価とか、記録の確認とか。
そういう話が来るのだと思っていた。
「さっきのリアさんへの声かけ、何を見て判断しました?」
来たのは、そこだった。
「……術式の起点を見てました。毎回同じタイミングで軌道が乱れてたので」
「その前に気づいていましたか」
「三回目の前には」
シオンは少し間を置いた。
「声をかけるタイミング、どうして三回目の後にしたんですか」
ユウトは少し考えた。
訓練場の隅で、誰かが木箱を引く音がした。
「一回目で言っても、本人が確認する前に情報が増えるだけなので。同じ場所でもう一回ぶれた後の方が、届きやすいと思って」
「なるほど」
シオンは頷いた。
感心している感じではなかった。
確認しているような、そういう間だった。
「術式の精度より、先に人を見るんですね」
断定ではなかった。
でも、問い詰める調子でもない。
「……そっちの方が、見てて引っかかるので」
「何が?」
ユウトは少し止まった。
「うまく言えないですけど」
シオンはそれ以上聞かなかった。
近い、と思った。
敵意も圧もない。ただ、初対面の距離ではない気がする。
「分かりました。ありがとうございます」
それだけ言って、シオンは訓練場の方へ戻っていった。
術式の話は、ほとんど出なかった。
そこは途中で分かった。
何を見られていたのかも、たぶん外していない。
でも、そっちか。
シオンは結果を見ていない。
その前を見ている。
ユウトは出口のあたりで一度だけ立ち止まり、それから訓練棟を出た。
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それでは、また次話でお会いしましょう。




