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第二章 序章「掲示板の端に」

ここから2章です

第二章 序章

掲示板の端に


 三月の末は、学院の掲示板がいちばん忙しい時期だ。


 進級手続き、科目選択の締め切り、訓練日程の更新。そういうものが重なって、廊下の端の掲示板は毎朝ほんの少しずつ面が変わる。気にする者は気にするし、気にしない者は最後まで気にしない。


 俺はどちらかといえば、気にするほうだった。



 訓練棟の角にある掲示板に、小さな紙が加わっているのに気づいたのは、朝の自習が始まる前だった。


 三年次訓練日程の一部変更について。


 日付は昨日付け。理由の欄には「外部協力者の日程調整に伴い」とあった。


 外部協力者。


 珍しい言葉ではない。外から人を招くこと自体はある。審査補助、講評、実地評価。特に三年進級前後はそういう機会が増える。だから、それだけなら流してもよかった。


 気になったのは、変更の範囲だった。


 実技評価日程だけじゃない。戦術系と補助系の合同訓練枠が、丸ごとスライドしていた。合同枠を動かすには、複数の科、複数の教官の時間が絡む。これを動かせるなら、ただの都合じゃない。誰かが強く押したか、押せる立場の人間がいるか、そのどっちかだと思った。


 俺はしばらくそこに立ったまま、紙の文言を二度、三度読み直した。


 「見てる?」


 後ろから声がかかった。


 振り返ると、リアが廊下の端で立っていた。先月の評価以来、すれ違うときの角度が少し変わった。気のせいかもしれないが、俺はたいていそういうのを気のせいにしない。


 「日程が変わってた」と俺は言った。


 「ああ、それ。わたしも朝見た。なんか、外から人が来るんだって」


 「そうみたいだな」


 「教官補佐の人だって聞いたよ」リアは特に気にした様子もなく続けた。「名前、確かシオンって言ってたけど。知ってる?」


 知らない、と俺は答えた。


 リアも知らないらしく、「まあ実技評価の審査補助でしょ」と言って教室のほうへ歩いていった。


 俺は掲示板に視線を戻した。


 シオン。


 名前だけではわからない。ただ、合同訓練の枠ごと動かせるなら、普通の審査補助では済まない気がした。



 午後、図書室の隅で資料を読んでいると、ロンドが隣に来て腰を下ろした。


 「お前の件、まだ何も出てないよな」


 開口一番それを言うのがロンドらしかった。俺は本から目を上げずに答えた。


 「うん」


 「遅くない? 三年の頭に入る特例枠って、こんなに引っ張るもんなのか」


 「普通は、もう少し早いのかもな」


 ロンドはしばらく黙った。俺が読んでいるものを横目で見て、また口を開いた。


 「気にしてないの」


 「気にしてる」


 「そうは見えない」


 本を閉じた。別に隠すことでもない。


 「たぶん、落ちたとかじゃないと思う」と俺は言った。「外部連携の候補に入れるかどうかを見る審査なんだろ。だったら、補助科の生徒がそこに上がってくること自体、前に例がないんじゃないか。だから止まってる、という感じがする」


 「止まってる?」


 「通すか落とすかの話じゃなくて、どの枠で扱うのか決めきれてない感じ。能力の話というより、扱い方の話で詰まってるような」


 ロンドは少し考えるような顔をした。それからため息をついた。


 「なんかそっちのほうが腹立つな」


 「まあ」


 俺自身は腹立たしいというより、うまく置き場がない感覚に近かった。怒るほどのことかどうかも、まだはっきりしない。


 学院の中の評価なら、まだわかる。順位も、点も、勝敗もある。けれど今回は、その先につながる線の上に自分の名前が置かれかけている。その置き方自体に、学院のほうが迷っているように見えた。


 「でも」と俺は言った。「制度が待ってる間に、外は動いてる気がする」


 ロンドが少し眉を上げた。


 「掲示板の日程、見たか?」


 「見てない」


 「今朝変わってた。外から人が来る。合同訓練の枠が丸ごと動いてた」


 「ふうん」


 ロンドはそれ以上掘り下げなかった。自分の目の前に来るまでは信じない人間だ。それはそれで合理的だとは思う。



 夕方、訓練棟の戻り道で、教官二人が廊下の端で話しているのを、俺は追い越す形で通り過ぎた。


 聞こうとしたわけではなかった。ただ、声の断片が耳に残った。


 「——境界の観測記録を出してほしいって話らしくて」


 「学院に?」


 「そう。この時期に」


 声が遠くなった。


 俺は歩きながら、その断片を少し転がした。


 境界の観測記録。何の話かは、詳しくはわからない。ただ、外の何かが、学院の持っているものを必要としている。そういうことになる。


 閉じた場所ではない、とはよく言われる。ただ実際には、ここで起きることの多くは内側で完結していた。評価も、訓練も、順位も。学院の中の論理で、学院の中を動いていた。


 最近はそれが、少し違う。


 違う、というより。外の気配が、じわじわと内側に入り込んでくる感じがある。



 夜、寮の自室に戻って、窓の外を眺めた。


 学院の敷地はゆるやかな丘の上にあって、夜になると遠くの街の光がうっすら見える。戦争が起きているわけではない。国家間の関係が最近は張り詰めているとは聞くが、日常の中でそれを実感することはほとんどない。


 ただ。


 朝の掲示板。日程のずれ。外から来る人間の名前。廊下で切れた会話。特例審査の結果が出ないまま日が経っていること。


 そういうものを並べると、何か一つの方向を向いている気がした。


 制度はまだ止まっている。


 前例がないから動けないのか、動かす理由を探しているのか、俺には判断できない。ただ止まっていることだけは、なんとなくわかる。


 けれど、外の世界はそれを待っている感じがしなかった。


 シオンという名前が、もう一度頭に浮かんだ。知らない人間だ。まだ姿も見ていない。なのにどこか、今朝から少し引っかかっている。


 全部つながっているのかどうかも、まだわからない。


 ただ、学院の中にいるのに、学院の論理だけでは回っていない気がする、という感覚だけが、静かに、はっきりと、そこにあった。


 窓の外の光は、変わらずそこにあった。

ここまで読んでいただき、ありがとうございます。


もし続きが気になった方は、ブックマーク・いいねをいただけると励みになります。

更新のモチベーションに直結しますので、ぜひよろしくお願いします。

それでは、また次話でお会いしましょう。

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