断章④「エルナの記録」
私は、制度を信じている。
信じている、というより、
信じたいと思っている。
その方が、楽だから。
でも、楽だと思える瞬間は、
あまり多くない。
◇
父は国軍の術式審査官だ。
子どもの頃から、
その仕事を近くで見ていた。
審査、という仕事は、
人を評価することだ。
この人間には価値がある。
この人間には価値がない。
制度の基準に照らして、
そう判断する。
父はそれを、淡々とやっていた。
感情を乗せずに、
基準通りにやっていた。
それが正しいことだと、
子どもの頃は思っていた。
◇
父の仕事場に、
一度だけ連れて行ってもらったことがある。
小学生くらいの頃だった。
審査を待っている人間が、
廊下に並んでいた。
いろんな顔があった。
緊張している顔。
諦めている顔。
怒っている顔。
その中に、一人だけ、
妙に静かなやつがいた。
緊張も、諦めも、怒りも、
どれでもなかった。
ただ、静かに座っていた。
呼ばれるまで、
一度も姿勢を崩さなかった。
目だけが、妙に澄んでいた。
なんか気になった。
審査の結果は、却下だった。
評価根拠が不十分、
という理由だった。
却下を聞いても、
そいつの表情はほとんど動かなかった。
怒るわけでも、
崩れるわけでもなかった。
ただ、頷いて、
立ち上がって、
帰った。
父に聞いた。
「なんで却下したの」
父は答えた。
「制度上の数値を満たしていないから」
「でも、あの人なんか強そうだった」
「強そう、は評価基準にならない」
それだけだった。
父は正しかった。
制度の基準に照らせば、
正しかった。
でも、なんか引っかかった。
その引っかかりが、
ずっと残った。
◇
学院に入って、
生徒会に入った。
制度の側に立ちたかった。
制度の内側から、
制度を変えられると思っていた。
甘かった、と今は思う。
変えられない、とは言わない。
でも、内側にいるだけでは
変わらないことが分かった。
動かそうとするたびに、
同じ言葉が返ってくる。
「数値で出ないものは評価できない」
その通りだ。
その通りなんだが、
じゃあ数値に出ないものは
全部無価値なのか、
という話になる。
そこで止まる。
毎回、そこで止まる。
◇
アーセルのことを知ったのは、
対抗演習の後だった。
ソレイユの動きが変わった。
ロンドの防壁が変わった。
二人が同時に変わった。
共通する人間を探したら、
補助科の二年生の名前が出てきた。
調べた。
会いに行った。
図書室で話した。
何をしているのか、と聞いた。
「見えたことを、
動ける人間に渡しています」
そう返ってきた。
それだけ、
みたいな顔で言った。
それだけ、なんだろうとは思う。
でも、その「それだけ」の結果が、
ソレイユの四位であり、
ロンドのグランドからの一点だ。
数値に出ない力が、
数値に出る結果を作っていた。
◇
廊下で見かけることが増えた。
特に話しかけるわけでもなく、
ただ観察していた。
あいつは、
いつも少し遅れて動く。
見えてから、考えて、
それから言葉にする。
そのサイクルが、
他の人間より長い。
だから一瞬、
何も考えていないように見える。
でも、違う。
ずっと考えている。
ただ、処理に時間がかかる。
父の審査室で見た、
あの静かなやつを思い出した。
呼ばれるまで姿勢を崩さず、
却下を聞いても
表情を動かさなかったやつ。
似ている、とは言わない。
でも、何かが重なった。
数値に出ない何かを
持っていた、という点で。
◇
推薦審査を動かしたのは、
そういう理由だ。
感情的な理由じゃない、
と言いたいが、
完全にそうとも言えない。
あの廊下で却下された人間のことが、
頭の隅にあった。
ただ、今回は根拠がある。
ソレイユのランキング。
ロンドの一点。
グランド戦の一点。
全部、事実だ。
数値に出ている結果だ。
記録として残すことは、
生徒会内でも摩擦があった。
補助科の生徒を
推薦審査の俎上に乗せることへの反発は、
想定していた。
前例がない、という声もあった。
それでも動かした。
摩擦を承知で、
記録に残しにいった。
制度を動かすなら、
制度の言葉で動かすしかない。
使えるものは、
全部使う。
◇
審査の場で、アーセルに聞いた。
あなたは何をしている人間ですか、と。
「見えたことを、
動ける人間に渡しています」
また同じ答えが返ってきた。
でも今度は少し違った。
少し間があってから、
こう続けた。
「動ける人間が、
届いたことのない場所に届く。
そのための情報を作っています」
言いながら、
自分でも少し驚いた顔をしていた。
初めて言葉にした、
という顔だった。
それを聞いて、
少し思った。
父の審査室で却下されたやつが、
もしあいつだったら。
数値を満たしていないから、
で終わっていたかもしれない。
◇
審査の結果はまだ出ていない。
通るかどうかも分からない。
でも、記録は残る。
一度通らなくても、
前例は残る。
前例が残れば、
次の判断材料になる。
却下される側を、
見落としたままにはしたくない。
それだけのことだ。
父はあのとき、
制度通りに正しかった。
私は今、
制度を動かそうとしている。
どちらが正しいかは、
結果が出るまで分からない。
結果が出ても、
分からないかもしれない。
でも、記録が残る限り、
判断の材料は増える。
それが今回できることの、
全部だ。
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それでは、また次話でお会いしましょう。




