断章①「リアの速さ」
八歳のときに見た演武を、私はまだ覚えている。
格上の家の術者だった。
速くて、正確で、無駄がなかった。
周りの大人たちは、みんな同じような顔をしていた。
すごい、とか。
さすが、とか。
美しい、とか。
私も手を叩いた。
ちゃんと、すごいとは思った。
でも、終わったあと、何も残らなかった。
拍手の音だけが残って、
肝心なものは、きれいに消えていた。
隣で母が「美しかったわね」と言った。
私は「うん」と答えた。
たしかに、美しかった。
でも、それだけだった。
それが、妙に引っかかった。
◇
翌年、私は剣を始めた。
べつに大した理由はない。
術式の稽古がつまらなかった。
座って覚えるより、動く方が性に合っていた。
それだけだ。
やってみたら続いた。
踏み込めば音が鳴る。
打てば手応えがある。
そっちの方が、ずっと分かりやすかった。
最初は速さだけでよかった。
速く踏み込む。
速く打つ。
先に入る。
それで大体は勝てた。
でも、師範に一度だけ言われたことがある。
「速いのと、届くのは別だ」
意味が分からなかった。
打てたなら届いてるでしょ、と思った。
当たってるなら、それで十分なはずだった。
師範はそれ以上説明しなかった。
自分で考えろってことなんだろうな、と思った。
だから考えるのをやめた。
とにかく打った。
それでも、
勝ったのに妙に腹が立つ試合があった。
負けたのに、変に静かなまま終わる試合もあった。
あれが何だったのか、今でもうまくは言えない。
ただ、打った瞬間に、
違う、と思うことだけはあった。
◇
上に行くほど、速さだけじゃ崩れない相手が増えた。
力で押しても抜けない防御があった。
先に動いても通らない相手がいた。
角度を変えた。
間合いを変えた。
踏み込みを変えた。
それでも駄目なときは、駄目だった。
何かが足りない。
それだけは分かっていた。
でも、その何かが分からない。
先生に聞いたら、
「練習量が足りない」と言われた。
増やした。
増やしても、
どこか噛み合わない感じだけが残った。
◇
ユウトに声をかけたのは、その頃だった。
廊下ですれ違ったとき、
あいつは何か言いかけて、やめた顔をしていた。
気になった。
だから聞いた。
それだけだ。
「何か言いたそうな顔してる」
そう言ったら、ユウトは首を振って行こうとした。
だから止めた。
「補助科が、私の結果に何か言えることあるの」
今思えば、だいぶ刺々しい。
でも、あのときはああいう言い方しか出なかった。
ユウトは逃げなかった。
逃げかけて、ちゃんと止まった。
それから、右肩の話をした。
踏み込むとき、右肩が先に入ってる。
言ったのは、それだけだった。
そんなことで、と思った。
でも試した。
変わった。
打ち込んだときの音が、前より重かった。
ちゃんと入った、と思った。
相手に、というより、
自分の中で、ようやく何かが噛み合った感じだった。
たったそれだけで、
ずっと足りなかったものの形が、少しだけ見えた。
◇
対抗演習が終わった夜、私は踊り場に一人でいた。
模擬剣は持っていたけど、振ってはいなかった。
窓の外は暗くて、
グラウンドの輪郭もほとんど見えなかった。
レオに負けた。
一点取って、負けた。
それだけのことだ。
なのに、踊り場からしばらく動けなかった。
悔しいのとも違う。
嬉しいのとも違う。
ただ、あの瞬間のことが頭から離れなかった。
レオの動きが止まった。
踏み込んだ。
通った。
重かった。
届いた、と思った。
それだけのことが、
なんでこんなに残るんだろうと思った。
負けたのに。
でも、届いた。
八歳のあの演武では、
何も残らなかった。
速くて、正確で、美しかった。
でも、終わったら消えた。
私が欲しかったのは、たぶんずっと、
残るやつだったんだと思う。
届いたと分かる、あの重さだ。
◇
その夜、ユウトのことを思い出した。
べつに理由はない。
ふと、思い出した。
雑貨屋で「似合う」って言われたときのことだ。
根拠は?って聞いたら、
「なんとなくです」って返ってきた。
なんとなく。
真顔で。
それだけ言って、もうそっちの話は終わり、みたいな顔だった。
私は棚の方を向いた。
向かないと、変な顔してるのがバレる気がした。
耳が熱かった。
「似合う」の一言で、なんでこんなになってるんだと思った。
しかも、なんとなく、だぞ。
根拠もなくて、なんとなくで。
なのにこっちだけ後を引いてる。
ずるいだろ、それは。
しかも本人、たぶん気づいてない。
あの顔は、気づいてない顔だ。
何でもない顔で届かせてきて、
自分はもう次のことを考えてる。
厄介すぎる。
でも、最初に廊下で声をかけたときから、
気になってたのは本当だ。
何か言いかけてやめた、あの顔。
なんで言わないんだろう、と思った。
気になったから声をかけた。
そのつもりだった。
次も呼ぶ、と言った。
他じゃ意味がない、とも言った。
言ったあとで、
そこまで思ってたのか、と自分で驚いた。
自分のことなのに、知らなかった。
気づいてほしいような、
気づかれたら困るような。
分からないまま、
たぶんまた呼ぶんだろうな、と思った。
◇
模擬剣を構えた。
踏み込む。
振る。
音が鳴った。
重かった。
もう一回。
また重い音が返る。
届くかどうかは、打つまで分からない。
でも、打てば分かる。
それだけでいい。
私はもう一度、踏み込んだ。
重い音が、踊り場に響いた。
それだけで、今夜は十分だった。
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それでは、また次話でお会いしましょう。




