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第十六話「正解の癖」

まだ暗い時間に、目が覚めた。

時刻は確認しなかった。


机の前に座って、ノートを開いた。

ペンを持った。

白いページを見た。


何も書かなかった。


(なんとなくの方が、正解かどうか関係ない)


リアの言葉が、また浮かんだ。


何が引っかかっているのか、分からなかった。

分からないまま、窓の外が少しずつ白んでいった。



記憶が浮かんできたのは、ページの白さを見ていたからかもしれなかった。


初等科の頃の話だ。


同じ通学路に住む女の子がいた。

毎日一緒に帰っていた。


約束したわけではなかった。

なんとなく、そうなっていた。


いつも、帰りながらどうでもない話をした。

その子がしゃべって、ユウトが答えた。

大体そうだった。


その子が話したいことを話して、ユウトが正しいと思うことを言った。

それで成立していた。


少なくとも、ユウトはそう思っていた。


その日、いつもより話が少なかった。

歩く速さも、いつもより遅かった。


いつもは少し前を歩くのに、その日は半歩だけ後ろにいた。

ユウトの歩く速さに、合わせるように。


「明日、引っ越すんだよね」


その子が言った。


話題としては昨日も一昨日も出ていた。

でも今日の言い方は、昨日と少し違った。


確認ではなかった。


「そうだな」


ユウトは答えた。


しばらく、どちらも話さなかった。


夕方の空が、二人の影を長く伸ばしていた。


その子が、何か言いかけた。

でも言わなかった。


もう一度、言いかけた。

また止まった。


ユウトにだけ、言いかけてやめることが、たまにあった。

いつもそうだった。


今日は、その回数がいつもより多かった。


「向こうでも、ちゃんとやれるかな」


少し間があってから、そう言った。


ユウトの方を見ていた。

目が合って、少し長かった。


いつもより長かった。


ユウトは少し考えた。

答えが見えた。


「環境が変わっても、お前はお前だから大丈夫だと思う。連絡も取れるし、距離は関係ない」


その子が、少し黙った。


「……そうだね」


そうだね、の言い方が、さっきの目と違った。

でも当時のユウトには、その違いの意味が分からなかった。


もう少し歩いたところで、その子が立ち止まった。

ユウトも止まった。


「こっちのこと、忘れないかな」


ユウトは答えようとした。


忘れるわけがない、という話は簡単にできた。

記憶は環境に依存しない、という話もできた。


でも、その子の目が、ユウトを見ていた。


何かを待っているような目だった。

何を待っているのか、分からなかった。


「忘れないと思う。連絡すれば——」


「そういうのじゃない」


静かな声だった。


遮った、というより、止まった、という感じだった。


「……そういうの?」


「最後くらい、普通に話せないの」


ユウトには、普通に話しているつもりだった。

何が普通ではないのか、分からなかった。


「なんで答え出すの」


今度は少し違う声だった。


怒っているのではなかった。

ずっと言えなかった何かが、出てきた声だった。


「聞いてほしかっただけなのに」


ユウトは何も言えなかった。


しばらく、どちらも動かなかった。


夕方の風が、二人の間を通り過ぎた。


その子の目から、涙が出た。


拭わなかった。

声も出なかった。


ただ、出た。


「……やっぱり分かんないよね」


諦めるような言い方だった。


ユウトに向けた言葉ではなく、

自分に向けた言葉のように聞こえた。


ユウトは何を言えばいいか分からなかった。


正しいことを言ったはずだった。

なのに、涙が出ていた。


何かが壊れた感触だけがあった。

何が壊れたのか、分からなかった。


家の前に着いた。


その子が門の前で立ち止まった。


「元気で」


それだけだった。


たぶん、もっと言いたいことがあった。

でも言わなかった。


言えなかったのか、諦めたのか、

当時のユウトには分からなかった。


振り返らなかった。


門を開けて、中に入った。


ドアが閉まる音がした。


ユウトはしばらくそこに立っていた。


ドアは閉まったままだった。

もう一度開くことはなかった。


その夜、ユウトは考えた。


正しいことを言った。


距離は関係ない、は本当のことだった。

忘れない、も本当のことだった。


でも、何も届かなかった。


何を返せば正しかったのか、分からなかった。

どうすればよかったのか、分からなかった。


他のやり方が、分からなかった。


分からないものは、扱えない。

扱えないものに踏み込むと、壊れる。


だから、判断した。


感情の話が来たとき、正しい答えを返す。

正しいことだけを言う。


分からないものには、踏み込まない。


それが、壊れない確率を上げる方法だった。

そう、思った。



ペンを置いた。


白いページが、まだそのままだった。


昨日、リアに言った。


似合う、と。


なんとなく、そう思っただけだった。

正しい話ではなかった。

根拠もなかった。


分からないものだった。


壊れなかった。


あのとき判断したことと、違うことをした。

壊れなかった。


なぜ壊れなかったのか、分からなかった。


でも、壊れなかった、という事実だけがあった。


その事実が、何を意味するのか。

まだ分からなかった。


ペンを持った。

書こうとした。


止まった。


白いページが、開いたままだった。


窓の外に、朝が来ていた。

ここまで読んでいただき、ありがとうございます。


もし続きが気になった方は、ブックマーク・いいねをいただけると励みになります。

更新のモチベーションに直結しますので、ぜひよろしくお願いします。

それでは、また次話でお会いしましょう。

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