第十三話「灰色の腕章の正体」
翌朝、学院の空気が変わっていた。
昨日とは違う種類の変わり方だった。
廊下を歩いていると、声が止まる。
会話が止まって、こちらを見る。
それから、また声が続く。
ユウトが通り過ぎた後で、声が続く。
その声の中に、何度も同じ言葉が混ざっていた。
補助科。
アーセル。
グランドの一点。
ユウトはそれを聞きながら、いつも通り歩いた。
気にしないようにしていた。
でも今日は、気にしないことが少し難しかった。
◇
ホームルーム前、ミハイルが教室に入ってくるなり言った。
「今朝、七人に声をかけられた」
「何を聞かれましたか」
「全員同じだ。ソレイユの試合に、お前が関わってるのかって」
「何と答えましたか」
「正直に答えた。お前が戦術を組んだって」
ミハイルが席に座った。
いつもより少し背筋が真っすぐだった。
「もう隠れられる段階じゃないからな」
それから、少し間を置いた。
「一個だけ言っておく。みんな怒ってるわけじゃない。理解しようとしてる感じがした。補助科が何をしたのか分からないから、聞いてくる。そういう顔だった」
「そうですか」
「お前が何をしてるか、俺は昨日やっと分かった気がした。だから他の人間も、時間をかければ分かると思う」
ユウトは返す言葉が見つからなかった。
ミハイルが「まあ」と言って、教科書を開いた。
「隠すよりは、分かってもらった方がいい。それだけだ」
授業が始まった。
◇
昼休み、リアが踊り場に来た。
ユウトが先にいた。
リアは窓枠に背を預けて、グラウンドを見た。
昨日より、少しだけ動きが重かった。
体に残っているのだろう。
しばらく黙っていた。
ユウトも黙って待った。
「負けたな」
リアが言った。
静かな声だった。
「はい」
「悔しいかと思ったけど、そうでもない」
「そうですか」
「一点届いたから」
また少し黙った。
グラウンドの練習の音が、遠くから聞こえた。
「追い込まれながら待つのは、思ったより難しかった。体が勝手に動こうとする。それでもなんとか待てた」
リアが窓から視線を戻した。
青紫色の瞳が、ユウトを見た。
昨日の試合の疲れが、まだ目の端に残っていた。
でも、その奥にあるものは変わっていなかった。
「後悔はしてない」
それだけ言った。
それ以上は言わなかった。
でも、その目には昨日の試合が全部入っていた。
しばらくして、リアが踊り場を出た。
足音が遠ざかっていった。
光の中で、金髪が揺れるのが見えた。
ユウトはそれを見ていた。
リアの背中が見えなくなっても、しばらくそこに立っていた。
◇
その日の放課後、レオがユウトの前に現れた。
廊下で待っていた。
補助科の棟に向かう途中だった。
「話せるか」
「はい」
人の少ない中庭へ移動した。
レオが腕を組んで、ユウトを見た。
据わった目だった。
でも、怒気はなかった。
「昨日の試合、お前が組んだのか」
「はい」
「ソレイユに、俺の欠陥を教えたのか」
「はい」
ユウトは正直に答えた。
否定する理由がなかった。
「なぜ言わなかった」
レオが言った。
「俺に直接、教えなかった理由を聞いている」
ユウトは少し考えた。
「迷いました。レオさんが自分で向き合っている欠陥を、別の人間に渡すことが正しいのかどうか。答えが出ないまま、試合になりました」
レオが少し黙った。
中庭の向こうで、放課後の練習が始まっていた。
剣の音が遠くから聞こえた。
風が少しあった。
「迷いながら渡したことは、正しかったと思う」
静かに言った。
「俺の欠陥は、俺が向き合う問題だ。使われたから問題になるのではなく、そこに欠陥があることが問題だ。あの試合で俺は、欠陥を抑え込む方法を試合の中で作った。それはソレイユが一点を取ったからだ」
ユウトは何も言わなかった。
レオが続けた。
「お前の力は、俺には必要ない。俺は自分で向き合う」
一拍置いた。
「ただ、必要とする場所はある」
それだけ言って、レオが歩き出した。
足音が中庭に遠ざかっていった。
ユウトはその背中を見ていた。
しばらく動けなかった。
「必要とする場所はある」という言葉が、頭の中に残った。
レオが何を指しているのか、まだよく分からなかった。
でも、その言葉は軽くなかった。
レオが軽い言葉を使う人間ではないことを、ユウトは知っていた。
◇
夕方、図書室の前でエルナ・ヴァッセルが待っていた。
廊下の端に移動した。
エルナが口を開いた。
「補助科のアーセルが戦術を組んだ、という話が今日一日で確定情報になりました。否定する声がほとんどない」
「知っています」
「私は今日、生徒会の中で記録として残す動きを始めました。ミハイルさんの一点、ソレイユさんのランキング上昇、昨日の試合の一点。これを正式な記録として残します」
「それが何のためになりますか」
「今は、何のためにもなりません」
即答だった。
でも今日は、いつもより少しだけ間があった。
「ただ、特例審査の話が出るかもしれません。補助科から、です。前例はほとんどない。反対する声も出るでしょう。ただ、今回の対抗演習で状況が変わりました」
ユウトは窓の外を見た。
夕暮れが、グラウンドを染めていた。
練習している生徒たちの声が、遠くから聞こえた。
「私はまだ、自分が何のために評価されるべきかが分かっていません」
「それは審査の場で考えればいいことです」
エルナが一度だけ窓の外を見た。
それから、ユウトを見た。
「一つだけ言っておきます。事実が積み重なれば、動かない制度でも動く瞬間が来ます。今がその瞬間に近づいているかもしれない。私はそう思っています」
それだけ言って、エルナが歩き出した。
足音が廊下に遠ざかっていった。
◇
ユウトはしばらく、その場に立っていた。
今日一日で、いろんな言葉が積み重なっていた。
ミハイルの言葉。
リアの背中。
レオの「必要とする場所はある」。
エルナの「動く瞬間が来るかもしれない」。
どれに対しても、うまく返せなかった。
でも、どれも頭の中に残っていた。
(俺は何をしているのか)
その問いに、まだ答えが出ていなかった。
ただ、今日一日で、その問いが少しだけ形を変えた気がした。
「何をしているのか」から、「何をするべきか」へ。
廊下の向こうで、誰かが走っていく音がした。
対抗演習は続いていた。
ユウトはノートを開いた。
書くべきことが、まだあった。
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それでは、また次話でお会いしましょう。




