56 怒りの行先
板垣が中学校の裏山に着くと、数人の人影が待ち構えていた。
暗闇の中から突き破るような声が刺さる。
「あろまん!」
その声は怒鳴り声にも泣き声にも聞こえた。
「るみ!」
板垣は叫びながら声の方向に走った。
視界が白みかけ、呼吸をする度に崩れそうになる。
やがて人影の中でへたり込んでいる早坂の姿を捉え、板垣は手を伸ばす。
だがその瞬間、板垣の腹に誰かの肘が入り、前に進めなくなる。
「来てくれてありがとう、板垣さん」
土山の声が板垣の頭を冷ました。
板垣は歯を食いしばりながら土山を睨みつける。
「るみを放して」
「こいつまだショート動画のこと謝ってないから無理」
早坂は俯いたまま黙っていた。
「悪役が二人とも揃ったから、始めるか」
土山の周りに三人ほど男子高生が集まってきた。
土山は大きく息を吸う。
「まずは、お前らのショート動画でぬまっちを悪く言ったことを謝ってよ」
土山の声は冷たくもなく、怒っているようでもなく、ただ平坦に語りかけていた。
板垣が声を震わせる。
「ごめんね」
「なんで板垣さんが謝るんだよ!? 動画は早坂がやったんだろ!?」
板垣が目を見開いて土山を見る。
土山は泣きそうな顔をしながらも、怯えたような目で板垣を見ていた。
板垣は拳を握り、震えた息を吐いた。
「私が、」
「ごめん!!!!!」
板垣の声に被さるように早坂が叫んだ。
「っ……沼野、のこと、悪く言ったせいで、土山とか……あいつのお母さんとか、みんなに迷惑かけた。ごめんなさい」
早坂が言い切った後も、土山は不満な表情のまま早坂を睨んでいた。
「るみを放して」
板垣は小声で土山に訴えるが、土山は早坂を睨んだまま黙っている。
そして、土山の目から涙が零れ落ちた。
「俺が怒ってるのは、迷惑をかけられたからじゃない。大事な友達を悪く言われて、でもあいつはもう死んでるから言い返す場所すら与えてもらえなくて、一方的にぬまっちが悪いヤツだから死んだって噂だけが広がって」
土山の声はだんだん掠れ、周りの男子たちも次第に啜り泣く声が入り交ざる。
「おかしいだろ。あいつは友達思いの、いいやつだったのに。天国のぬまっちにも謝れよ。…………謝れよ!!」
土山は最後に怒鳴りつけた。
「みんなを傷つけて、ごめん。沼野も、ごめん」
早坂の小さい声が、暗闇で響いた。
板垣は肩を震わせて土山を睨みつけた。
胸の中がちらちらと焼かれるような感覚だった。
土山が言う『友達思いのいい奴』は、あの日、早坂を傷つけようとしていた沼野と、板垣の中ではどうしても重ならなかった。
そして、今、また目の前で。
――るみが、傷つけられる。
視界が土山の泣き顔を捉え、その端が歪んだ。
板垣は歯を食いしばりながら眉を寄せた。
全身に汗が滲む。
荒くなった息が鼻から押し出され、視界全体が歪んでくる。
板垣は土山を鬼のような形相で睨みつけ、肩を上下させながら息を乱していた。
「板垣、さん?」
土山が恐れるように板垣を見つめていた。
「あろまん!」
早坂は焦るように叫ぶ。
板垣の頭の中が焼けるように熱くなる。
どこからか声が聞こえてきた気がしたが、次第に耳から周りの音が遠のいていく。
板垣の脳内に、傷だらけの早坂の姿がフラッシュバックしていた。
擦り傷だらけの顔。乱れた制服。黒く汚れた内履き。
震えた手でカワウソのストラップを包み込む姿。
――るみを傷つけるなら、私が――
その時、
『板垣さんも、よっぽど『誰かを守りたい、救いたい』って気持ちが暴走してるんだよ。だから、ちゃんと板垣さん自身に目を向けてみたらどうかな』
六条の声が脳裏に蘇る。
板垣ははっとして一瞬息を止めた。
全身の力を緩めて、ゆっくりと息を吐く。
そして、西尾の声を思い出した。
『板垣さんがどうなりたいかを考えてよ』
――私は。
この感情で、誰かを壊したくない。
るみを守る、じゃなくて。
隣にいたい。側にいて欲しい。
ボロボロに傷ついた時も、不安で仕方なくなった時も。
また世間を敵に回してしまっても。
板垣は目を伏せて深呼吸を繰り返す。冷たい空気が喉を通り、頭の中が少しずつ冴えてきた。
「……もう、大丈夫だよ」
板垣は落ち着いた声で言う。
目を開くと、視界がはっきりとしていた。
板垣の目の前で、早坂と土山が揃ってへたり込んでいた。
土山は怯えた眼差しで板垣を見ていた。
「いや、大丈夫じゃなさそうだろ。なんだよさっきの。早坂が急に焦った感じで俺を突き飛ばしてきたし」
「だって土山があぶな――」
早坂は慌てて口を閉ざすと、土山が眉を寄せた。
「え、板垣さんって怒るとやばいの?」
空気が固まる。
早坂は唇を噛んでいた。
板垣も、肩をぷるぷると震わせて黙っていた。




