51 見るべき場所
板垣はガラス張りの研究棟の入口に足を踏み入れる。
自動ドアが開き、西尾の姿が見えた途端、西尾はまっすぐに走り寄ってきた。
板垣は思わずぎょっとして西尾を見つめる。
「西尾さん、どうしたんですか」
「板垣さん、スマートウォッチ故障したりしてない?」
西尾の声には心配と焦りが半々で混じっていた。西尾は板垣の左手に視線を落とすと、目を見開いて固まった。
板垣が自分の左手を見ると、まっさらになった手首を見てはっとする。
「あ……。あれ、昨日から外しちゃってて……」
「え、なんで?」
西尾が気の抜けた声を出すと、板垣は俯いたまま言葉を詰まらせた。
西尾はしばらく手を額に当てて考え込み、声を押し出す。
「情動破壊の予兆を知るために、大事なデータを取ってるんだよ。どんな事情があったかはここでは聞かないでおくけど……。板垣さんを保護するためのツールなんだってこと、改めて伝えておくね」
板垣は唇を固く結び、頷きもせずに黙っていた。
西尾はしばらく困ったように板垣を見つめ、板垣の肩を軽く叩いた。
「ま、研究室行こっか」
板垣は小さく頷いた。
西尾が乱暴にドアをノックし、六条の居室に入る。
西尾に続いて板垣も恐る恐る居室に入ると、にこりと笑う六条と目が合った。
「……こんにちは。今日も、よろしくお願いします」
板垣が片言で挨拶すると、六条は板垣の手元に一瞬目を向けた。
「……なるほどね。板垣さん、今日もよろしくね。今日は制御の練習やったら、一度今後のことについて話したいんだ」
板垣はびくりと背筋を伸ばす。
心臓がどくんと大きく鳴り、息を呑む。
「今後、ですか……?」
板垣の声は小さく震えていた。
「今すぐ決めるような話じゃないから、そんなに身構えなくて大丈夫だよ」
六条が優しく声を掛けると、板垣は小さく息を吐いて頷いた。
「とりあえず、実験室行って準備進めます」
西尾は板垣をちらりと見て言った。
板垣はセンサーを付けられて実験室のイスに座っていた。両足を踏ん張りながら、微動だにしない膝を見つめる。
「板垣さん」
目の前の六条から声を掛けられ、板垣はふと顔を上げた。
「板垣さんは、自分のことを怖いと思ったことがあるかな?」
六条が問いかけると、板垣は目を見開き、鼻から息を大きく吸った。
「……そりゃ、いつも思ってますよ。私の感情一つで、人が、死ぬんですから」
板垣が低い声で答えると、六条は板垣の前で屈んで穏やかに話し始めた。
「でもそれは、板垣さんだけじゃなくて、人間誰しもそうなんだよ。感情を制御できなくなった人間は、人の命を奪うくらいのエネルギーを他人に向けることができる。板垣さんが他の人と違うところは、感情のピークに達してから破壊するという手段に移行するまでのハードルが無いだけだ」
板垣はぽかんとして固まった。
六条は小さく笑って続ける。
「もし板垣さんが『自分で自分を守りたい』のなら、どんなに心がぐらつくことがあっても、板垣さん自身を見失ってはいけない」
板垣は唾を飲んだ。その後、一度ゆっくりと瞬きをして、困ったように口を尖らせる。
「板垣さんも、よっぽど『誰かを守りたい、救いたい』って気持ちが暴走してるんだよ。だから、ちゃんと板垣さん自身に目を向けてみたらどうかな、って話」
「自分のことを考えろ、ってことですか」
板垣がぽつりと呟き、六条はにこりと笑いながら頷いた。
板垣は目を何度か瞬いて六条に尋ねた。
「先生、どうして急にこんな話……」
「板垣さんと出会ってから、私は少々自我を見失っていたなと思って。自戒も込めて、だね」
「ほえ!?」
板垣が小さく反り返って六条を見ると、六条は真顔で板垣をじっと見つめていた。
板垣は頭が熱くなり、歯をかちかちと震わせながら、強気で六条を見つめ返した。
「うん、いい目をしてるね。もうセンサーの取付けにビビりまくってた頃の板垣さんとは全然違う」
六条が板垣に微笑むと、板垣は胸が詰まったような感覚がして黙り込んだ。
板垣は六条から手渡されたヘッドセットを装着し、前を見据えた。
しばらく目を閉じて深呼吸を繰り返す。
やがて板垣のヘッドホンから声が聞こえる。
『板垣さん、もう始めていいかな?』
板垣は最後にもう一度深呼吸をする。
息を吐き切った後、ゆっくりと目を開いた。
板垣の口が動く。
「私は、大丈夫です」




