第2話 過ぎ去りし戦場の影と、かつての相棒
カァン、カァン、と鉄を打つ音が響く。
炉の中で赤く燃える鉄を、ガイルは無言で打ち続けていた。
火花が散り、熱気が頬を撫でる。
この熱には慣れている。
鉄を焼く炎も、火花の散る音も。
かつて戦場で浴びた血の臭いや、耳をつんざく剣戟に比べれば、いくらかましなものだった。
「……ふう」
ガイルは鉄を炉に戻し、額の汗を拭った。
そのとき、店の扉についた鈴が鳴った。
「悪いが、今日は店じまいだ」
「まだ昼過ぎだよ?」
聞き覚えのある女の声だった。
ガイルが振り返るより早く、背後で風が鳴った。
飛来した黒い影。
ガイルは手元の火ばさみをわずかに動かした。
キンッ、と乾いた音が響く。
火ばさみの先に、一本の短い刃が挟まっていた。
「……店主に刃物を投げる客が、どこにいる」
「生きてるか確かめただけさ」
女は悪びれもせず、肩をすくめた。
銀色の髪に、黒を基調とした旅装束。日に焼けた肌とは対照的に、その瞳は冷ややかな光を宿している。
ダークエルフの女――リザだった。
ガイルは火ばさみを作業台に置き、刃を抜き取る。
「……本当にこんな辺境にいたんだ」
「見ての通りだ」
「三年も行方をくらませて、こんなところで鍛冶屋か。あんたも随分と丸くなったね」
「お前は相変わらず口が減らんな」
「そりゃどうも。団長」
その呼び方に、ガイルの眉がわずかに動いた。
「今は鍛冶屋だ」
「はいはい。じゃあ、鍛冶屋さんにお願いがあるんだけど」
リザは懐から一本の短剣を取り出し、カウンターに置いた。
鞘から抜かれた刃には、無数の刃こぼれが刻まれていた。
ガイルはそれを手に取る。
黒ずんだ刃の表面。欠けた刃先。根元にまで及ぶ細かな傷。
彼はしばらく何も言わず、短剣を傾けて光にかざした。
「……まだ使ってたのか、これ」
「気に入ってるからね」
「気まぐれで作ったもんだぞ」
「だから何? あんたが作った武器の中じゃ、これが一番手に馴染むんだよ」
「もっとマシなもんを使え」
「そのマシなもんを作るのが、あんたの仕事でしょ?」
ガイルは小さく息を吐いた。
昔、珍しい素材が手に入ったので、面白半分に作った短剣だった。
特別な目的があったわけでもない。誰かに頼まれたわけでもない。
ただ、作ってみたかった。
それだけの品を、リザは今も手放さずにいた。
「……で、何があった」
軽口を叩いていたリザの表情が、ほんの少しだけ変わった。
「ちょっとね。硬い鎧を着込んだ連中とやり合ってさ」
「ちょっと、か」
「そう。ちょっと」
ガイルは再び短剣に目を落とした。
刃こぼれのひとつひとつが、ただの傷ではないことは分かる。
無理に叩きつけた痕跡ではない。刃を受け、弾き、何度も打ち合った末についた傷だ。
それでも、これほどまでに刃を傷める相手が、今の時代にいるとは。
「……今どき、ここまでやれる奴がいるのか」
独り言のような呟きだった。
リザはすぐには答えなかった。
代わりに、カウンターに肘をつき、昔と変わらない調子で笑った。
「あいつら、また何かしてるみたいだよ」
炉の薪が、ぱちりと音を立てた。
ガイルは短剣から目を離さなかった。
「……そうか」
それだけだった。
問い返すことも、詳しく聞こうとすることもない。
まるで、その言葉の意味を確かめる必要すらないかのように。
リザはそんなガイルを見つめ、やがて小さく肩をすくめた。
「相変わらずだね。昔から、面倒なことには首を突っ込むくせに、肝心なことは何も話さない」
「お互い様だろ」
「たしかに」
リザは笑った。
けれど、その笑みはすぐに消えた。
「……あたしは、あんたを連れ戻しに来たわけじゃない」
ガイルは黙っていた。
「戻る気がないのは分かってる。今さら説得したところで、聞く耳を持たないだろうしね」
「分かってるなら、帰れ」
「冷たいねえ」
リザはわざとらしく胸に手を当てた。
「三年前、あんたの葬式で泣いてやったのに」
「嘘をつけ。酒代を浮かせる算段でもしてたんだろ」
「……バレた」
二人の間に、短い沈黙が落ちた。
その沈黙を破ったのは、リザだった。
「たださ。あたしの武器を作った男が、くだらない連中に殺されるのは気に入らないんだよ」
「俺は三年前に死んでる」
「だったら、そのまま死んでてよ。わざわざ面倒を増やさないでさ」
「お前が面倒を持ち込んできたんだろうが」
「あはは。そりゃそうだ」
リザはカウンターから身を起こした。
「三日後にまた来る。それまでに直しといてよ」
「代金は高いぞ」
「昔のよしみで、まけてくれてもいいじゃない?」
「昔のよしみで、倍にしてやる」
「ひどい鍛冶屋だねえ」
リザは扉へ向かい、ふと思い出したように振り返った。
「……腕、鈍ってないよね?」
ガイルは短剣を布の上に置き、再び金槌を手に取った。
「武器の心配をしろ」
カン、と鉄を打つ音が響いた。
リザは満足そうに笑い、店を出ていった。
扉の鈴が、小さく鳴る。
やがて足音が遠ざかり、店には再び静寂が戻った。
ガイルは作業台に置かれた短剣を見下ろした。
刃に刻まれた傷は、いずれも深い。
腕の立つ者同士が、幾度も刃を交えた痕跡。
そして、リザがわざわざこの辺境まで足を運んだ理由。
「……面倒なことになりそうだな」
誰に聞かせるでもなく呟く。
炉の火が揺れた。
ガイルは短剣を布で包み、作業台の隅に置いた。
それから、何事もなかったかのように金槌を振るう。
カァン、カァン、と音が響く。
三年前に死んだはずの男は、今日もただの鍛冶屋として鉄を打ち続けていた。
第2話 過ぎ去りし戦場の影と、かつての相棒 ――了――




