静かなる鍛冶屋
第1話 静かなる鍛冶屋
鉄を打つ音が、朝の街に響いていた。
カァン、カァン。
一定の間隔で繰り返される音は、眠たげな街を叩き起こすようだった。
大陸アステリア。
人間、エルフ、ドワーフ、獣人、精霊、そして魔族。
幾多の種族が暮らすこの世界では、剣と魔法は珍しいものではない。冒険者が魔物を狩り、傭兵が戦場を渡り、貴族たちが領地を治める。
大陸の辺境に位置する冒険都市リンドブルム。
冒険者ギルドを中心に栄えるこの街には、朝から多くの人々が行き交っていた。
その喧騒から少し離れた街外れに、一軒の鍛冶屋がある。
看板には、こう刻まれていた。
――鉄と傷跡(アイアン&スカー)。
飾り気のない看板だった。
店構えも質素で、立派な装飾もなければ、客を呼び込むための派手な看板もない。
あるのは、鉄の匂いと、絶え間なく響く槌の音だけ。
「……よし」
男は手元の剣を確かめ、短く呟いた。
黒髪には、ところどころ白いものが混じっている。後ろで無造作に束ねられた髪の隙間から覗く顔には、いくつもの傷跡があった。
ガイル。
それが、この店の主人の名だった。
年齢は三十代の半ばほどに見える。
身体は大きく、肩幅も広い。職人というよりは、戦場を渡り歩く兵士の方が似合いそうな風貌だった。
ガイルは手入れを終えた剣を鞘に収め、棚に戻した。
仕事は終わりだ。
それ以上でも、それ以下でもない。
彼は別に、武器に人生を捧げているわけではなかった。
昔から、大抵のことは人並み以上にこなせた。剣も、料理も、道具の修理も。試しにやってみたことが、気づけば出来るようになっている。
鍛冶も、その一つだった。
やってみたら、案外面白かった。
だから店を構えた。
理由など、それで十分だった。
ただし、引き受けた仕事に手を抜くつもりはない。
金を受け取った以上、まともな品を渡す。
それだけの話だ。
「おじさーん! いるー?」
店の外から、やけに元気な声が響いた。
「……いるから店を開けてるんだろ」
「おお、確かに!」
勢いよく扉を開けて入ってきたのは、若い人間の男だった。
その後ろには、長い耳を持つエルフの少女がいる。二人とも、まだ新米冒険者といった風情だった。
男の腰には、使い込まれていない剣が一本。
ガイルはちらりとそれを見た。
「剣を買いに来たのか」
「そうなんです! 俺、先週冒険者になったばっかりで! やっぱり最初はちゃんとした剣が欲しいなって!」
「予算は」
「……銀貨五枚です」
「帰れ」
「早いって!!」
店内に、エルフの少女の笑い声が響いた。
ガイルは面倒くさそうに棚を指差した。
「そこの下段。銀貨五枚なら、その辺だ」
「え、いいんですか?」
「聞こえなかったか?」
「聞こえました! ありがとうございます!」
男は嬉しそうに棚を覗き込んだ。
その横で、少女が店内を見回している。
「ねえ、店主さん」
少女は棚に並んだ剣を眺めながら、何気なく尋ねた。
「この店って、蒼穹の死神が使っていた武器を作ったことがあるって本当?」
ガイルの手が、一瞬だけ止まった。
「……誰から聞いた」
「冒険者ギルドで。結構有名な噂みたいよ?」
「そうか」
ガイルは再び手を動かした。
「それで、剣は決まったのか?」
「えっ、あ、うん……」
少女は少し物足りなさそうに頬を膨らませた。
「気にならないの? アズール・デスよ?」
「剣を買いに来たんだろ」
「……そうだけど」
「なら、剣を選べ」
それきり、ガイルは口を開かなかった。
「蒼穹の死神って、あの有名な傭兵ですよね!」
男が興奮した様子で口を挟んだ。
「たった一人で大軍を壊滅させたとか、魔法を使う敵を剣一本で倒したとか! 俺、いつかあんな傭兵になりたいんです!」
「そうか」
「……それだけ?」
「他に何か言うことがあるのか」
「いや、もっとこう……夢を応援するとか!」
「剣を買ってから夢を語れ」
「はい……」
少女がとうとう吹き出した。
男は肩を落としながらも、棚から一本の剣を選び出した。
ガイルは剣を受け取り、刃を確かめる。
「こっちにしろ」
「え?」
「お前が選んだのは、刃の重心が悪い。振り回すだけなら使えるが、長く使うならこっちだ」
差し出された剣は、見た目こそ地味だった。
だが、握りやすく、刃の重さも自然に手へ馴染む。
「……銀貨五枚ですよね?」
「そうだ」
「安すぎません?」
「売値を決めるのは俺だ」
男はしばらく剣を見つめ、それから深々と頭を下げた。
「ありがとうございます! 大切にします!」
「折るなよ。修理代がかかる」
「はい!」
二人は代金を支払い、店を出ていった。
扉が閉まる。
ガイルは再び槌を手に取った。
カァン。
鉄を打つ音が戻る。
蒼穹の死神。
ずいぶんと懐かしい名前だった。
世間では、三年前に死んだことになっている。
訂正する気はなかった。
死んだ人間のことなど、いずれ忘れられる。
その方が都合がいい。
ガイルは炉に薪をくべた。
明日も同じように鉄を打ち、飯を食い、眠る。
そういう生活が、今は気に入っていた。
*
夕暮れ時。
ガイルが店先の道具を片づけていると、街の方から怒鳴り声が聞こえた。
「だから、払えって言ってんだろうが!」
「そんな金、ありません!」
「なら、その剣を置いていけ。身の丈に合わねえもんを持つから、こうなるんだよ」
ガイルは顔を上げた。
街道の先で、数人の男たちが若い冒険者を取り囲んでいた。
昼間に来た二人だ。
男は剣を守るように身構え、エルフの少女は怯えながらも彼の前に立っていた。
取り囲んでいるのは、赤い蛇の紋章を身につけた傭兵たちだった。
赤蛇傭兵団。
この辺りでは、あまり評判のよろしくない連中だ。
「ここを通るなら通行料が必要なんだよ。知らなかったのか?」
「そんな決まり、ギルドで聞いてません!」
「ギルド? お役所の決まりが、この街のルールだと思ってんのか?」
傭兵の一人が、男の胸ぐらを掴んだ。
もう一人が、エルフの少女の腕を引く。
「お前、耳が長いな。エルフじゃねえか。高く売れそうだ」
「やめてください!」
「おいおい、そんなに怖がるなよ。ちょっと話を――」
「その子を放せ!」
若い冒険者が叫んだ。
傭兵は面白そうに笑った。
「なんだ? 金も払えねえガキが、俺たちに命令か?」
男の顔が青ざめる。
少女の腕を掴む手に、さらに力がこもった。
「……おい」
低い声が、夕暮れの道に落ちた。
傭兵たちが振り返る。
そこには、鍛冶屋の男が立っていた。
「なんだ、てめえ」
「何をしてる」
「は?」
「聞こえなかったか」
ガイルは面倒そうに目を細めた。
「その剣は、お前のものじゃない」
一瞬、辺りが静かになった。
次の瞬間、傭兵たちが笑い出した。
「なんだよ、鍛冶屋の親父か!」
「正義の味方のつもりか? 商売道具でも磨いてろよ!」
傭兵の一人が、腰の剣を指で叩いた。
「こいつはもう俺たちのもんだ。文句があるなら――」
「返せと言った」
ガイルの声は変わらなかった。
男の笑みが消える。
「……てめえ」
少女の腕を掴んでいる傭兵が、彼女を引き寄せた。
何かを耳元で囁く。
少女が怯えて首を振った。
ガイルは、それを見ていた。
数秒の沈黙。
「……辺境でも変わらないんだな」
誰に向けた言葉でもなかった。
ガイルが一歩、踏み出した。
「おい、聞いてんのか!」
傭兵の一人が、ガイルの肩を掴もうと手を伸ばす。
その手が届くより早く。
ガイルの姿が、わずかにぶれた。
次の瞬間、少女を掴んでいた男の身体が傾いた。
鈍い音。
男は何が起きたのかも分からないまま、地面に崩れ落ちた。
少女の腕が自由になる。
彼女は慌てて男の手から逃れ、少年の背後へ駆け寄った。
「え……?」
誰もが、一瞬、動きを止めた。
ガイルは倒れた男を一瞥しただけだった。
何をしたのか。
どこから動いたのか。
そもそも、いつ手を出したのか。
誰一人として、はっきりとは見ていなかった。
「て、てめえ!」
傭兵の一人が剣の柄に手をかける。
別の男も、ガイルを挟むように動こうとした。
だが。
ガイルが顔を上げた。
それだけだった。
睨みつけたわけでもない。
怒鳴ったわけでもない。
ただ、そこに立っている。
それなのに。
傭兵たちの足が止まった。
背筋を這い上がる、説明のつかない感覚。
目の前にいるのは、傷だらけの鍛冶屋だ。
特別な鎧を着ているわけでもなければ、魔力を放っているわけでもない。
それでも、これ以上近づいてはいけない。
頭で考えるより先に、身体がそう告げていた。
「……おい。行くぞ」
最初に口を開いた男の声は、かすかに震えていた。
「だが、こいつ……」
「いいから行くぞ!」
傭兵たちは倒れた仲間を引きずり起こすと、悪態をつきながら足早に去っていった。
ガイルは追わなかった。
ただ、去っていく背中を一瞥し、少年へ視線を戻す。
「剣」
「え?」
「持ってるだろ。確認しろ」
少年は慌てて腰に手をやった。
剣は無事だった。
「あ……はい!」
「なら、帰れ。暗くなるぞ」
「あ、あの! 助けてくれて、ありがとうございました!」
少年が深々と頭を下げる。
隣の少女も、慌てて頭を下げた。
「本当に、ありがとうございました!」
ガイルは二人を見た。
「別に」
「でも……!」
「そいつはお前に蒼穹の死神売った剣だ」
それだけ言い残し、ガイルは踵を返した。
少年は言葉を失ったまま、その背中を見送った。
「……変わった人ね」
少女が小さく呟く。
「ああ」
少年は、腰の剣を握り直した。
さっきまで、あれほど恐ろしかった傭兵たち。
その一人を、あの男は一瞬で倒した。
残りの連中は、何もできずに逃げていった。
魔法も使わず、剣を抜くことすらなく。
「俺も、あんなふうになれるかな……」
少女は答えなかった。
ただ、ガイルが去っていった道を見つめていた。
*
店に戻ったガイルは、汚れた手を洗い、棚から布を取り出した。
仕事道具に傷はない。
店の扉も壊れていない。
明日の仕事にも支障はなさそうだった。
「……ああいうのは好かん」
独り言をこぼし、椅子に腰を下ろす。
助けた二人が明日も無事に冒険者を続けられるかなど、知ったことではない。
礼を言われる筋合いもない。
ただ、あの光景が気に入らなかった。
それだけだ。
ガイルは窓の外を見た。
夕焼けが、街の屋根を赤く染めている。
遠くの空は、夜の色に変わり始めていた。
青い空。
その色を見て、ガイルの指がほんの一瞬だけ止まった。
何かを思い出しかけたように。
だが、すぐに目を伏せた。
「……終わったことだ」
立ち上がり、炉の火を落とす。
明日もまた、鉄を打つ。
それでいい。
この街の誰も、鍛冶屋のガイルが何者だったのかを知らない。
彼がかつて、戦場でどんな名で呼ばれていたのかも。
そして――
その名を知る者たちが、今もなお彼の死を信じていることも。
店の外で、風が吹いた。
看板が小さく揺れる。
鉄と傷跡。
その店の明かりは、夜が更けるまで消えなかった。
第1話 静かなる鍛冶屋 ――了――




