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鉄と傷跡  作者: ベリオ
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3/3

悪い夢と、街の噂

「ガイル! なんで……なんでこんなことをするんだ!?」


叫び声が響いた。


聞き覚えのある声だった。


けれど、誰の声なのか分からない。


目の前には、何かがあった。


見たくないものが。


それでも、目を逸らすことはできなかった。


「本当に……これしかなかったのか」


自分の声が聞こえた。


ひどく掠れていた。


誰に問いかけているのか、自分でも分からなかった。


目の前の光景にか。


それとも、これから起こることにか。


「なんで……どうして、こうなったんだ」


答える者はいない。


ただ、誰かが泣いていた。


怒声が飛ぶ。


罵声が行き交う。


聞き取れないほどの声が、幾重にも重なっていく。


その中で、一人の女が顔を上げた。


見慣れた顔だった。


忘れる事など出来ない顔だった。


「ガイル……」


女の頬を、赤く濁った雫が静かに伝っていた。


それでも、その顔には、かすかな笑みが浮かんでいた。


「……ありがとう」


――目が覚めた。


ガイルは天井を見つめていた。


窓の隙間から、薄い朝の光が差し込んでいる。


額に浮かんだ汗を手の甲で拭う。


呼吸は、すでに落ち着いていた。


しばらくの間、何もせずに天井を眺めていたが、やがて小さく息を吐いた。


「……悪い夢だ」


それだけ呟くと、ベッドから起き上がった。


顔を洗い、着替え、火を起こす。


いつもと変わらない朝だった。


少なくとも、鍛冶場に立つ頃には、そう見えた。


鉄を熱し、槌を振るう。


甲高い音が、静かな通りに響き始める。


何度も、何度も。


余計なことを考えずに済むように。


あるいは、余計なことを考えないために。


ガイルは黙々と鉄を打ち続けた。


     *


昼を少し過ぎた頃、ガイルは街へ出た。


鍛冶に使う鉄材と、切らしていた消耗品を仕入れるためだ。


リンドブルムの中央通りは、いつもより人通りが少なかった。


店先に立つ商人たちの声も、どこか小さい。


その代わり、道のあちこちで人々が顔を寄せ合っていた。


「……北の牧場の話、聞いたか?」


「羊が死んでたってやつか?」


「ああ。傷ひとつなかったらしいぞ」


「なら、病気か何かだろ」


「だったら、どうして心臓だけがなくなってるんだよ」


話していた男たちが黙り込んだ。


ガイルは足を止めなかった。


鉄材を扱う店へ向かいながら、耳に入ってくる声を聞き流す。


「それだけじゃない。街道の近くでも死人が出たそうだ」


「盗賊か?」


「盗賊なら、金目のものくらい持っていくだろ。そいつは荷物も財布もそのままだったらしい」


「じゃあ、何があったんだよ」


「分からん。見つけた連中の話じゃ、まるで何かに押し潰されたみたいだったってさ」


「何かって……岩でも降ってきたってのか?」


「だから分からんと言ってるだろ」


男は苛立ったように声を荒らげた。


「周りには何もなかったんだ。壁にも地面にも、なにも跡がなかったんだ」


「……冗談だろ」


「俺だって、そう思いたいさ」


しばらく、誰も口を開かなかった。


やがて別の男が、周囲を気にするように声を潜めた。


「……魔物の仕業じゃないのか?」


「魔物なら、まだ説明がつく」


「だったら何だって言うんだ」


「俺が知るかよ」


男は吐き捨てるように言った。


「ただ……あんな死に方、人間にも魔物にもできるとは思えねえ」


ガイルは店の前で足を止めた。


「いらっしゃい。おや、ガイルさんか」


店主が顔を上げる。


「頼んでいた鉄材は?」


「奥にまとめてあるよ。今、持ってこよう」


店主が店の奥へ消える。


ガイルは店先に並ぶ商品を眺めた。


通りの向こうでは、さっきの男たちがまだ何か話していた。


不安そうな顔。


落ち着かない視線。


誰もが、目に見えない何かを探しているようだった。


「……最近は物騒でいけねえな」


鉄材を運んできた店主が、荷車に積みながら言った。


「この辺りじゃ、こういうことは珍しいのか」


「珍しいなんてもんじゃないさ。盗賊も魔物もいるが、こんな話は聞いたことがない」


店主は声を潜めた。


「しばらくは、街道を一人で歩かない方がいい。あんたは腕が立つんだろうが、相手が何だか分からないんじゃ用心するに越したことはない」


「そうか」


ガイルは代金を置いた。


それ以上、何も尋ねなかった。


店主が不思議そうにこちらを覗く。


「……怖くないのかい?」


「何がだ」


「いや、だから、この騒ぎだよ」


ガイルは荷車の持ち手を握り直した。


「死にたくなければ、用心すればいい」


「そりゃ、そうだが……」


「それじゃ」


ガイルは店を離れた。


店主はその背中をしばらく見送っていたが、やがて小さく首を振り、店の中へ戻っていった。


     *


帰り道、ガイルは中央通りを外れた細い路地を通った。


中央より人通りは少ない。


建物の隙間を抜ける風が、乾いた音を立てて吹き抜けていく。


路地の先に、一匹の野良犬がいた。


痩せた犬だった。


道の端で立ち止まり、何かを見つめている。


ガイルが近づいても、逃げようとしなかった。


ただ、耳を伏せ、低く唸っていた。


犬の視線の先には、石壁があった。


何の変哲もない、古びた石壁だ。


ガイルは一瞥しただけで、再び歩き出した。


数歩進んだところで、背後から犬の鳴き声が聞こえた。


短く、甲高い声だった。


振り返ると、犬はもういなかった。


路地には風の音だけが残っていた。


ガイルはしばらくそこを眺めたが、やがて何事もなかったように歩き出した。


     *


鍛冶屋へ戻る頃には、日が傾き始めていた。


ガイルは鉄材を倉庫へ運び、道具を整え、いつも通り仕事に取りかかった。


槌を振るう。


鉄が鳴る。


火花が散る。


変わらない音だった。


その音の向こうで、街の人々は今日も噂をしているのだろう。


心臓を失った羊。


何かに押し潰されたような死体。


そして、誰にも説明できない奇妙な出来事。


ガイルは槌を振り下ろした。


一度。


二度。


三度。


手が止まることはなかった。


やがて夜が訪れ、通りから人の気配が消えていく。


ガイルは炉の火を落とし、店の戸締まりを確かめた。


そのときだった。


表の扉が、かすかに鳴った。


風で揺れたのかもしれない。


あるいは、誰かが触れたのか。


ガイルは扉を見た。


しばらく待ったが、音は続かなかった。


「……」


何も言わず、彼は明かりを消した。


暗闇の中、鍛冶場はいつもより静まり返っていた。


ただ、街のどこかでは、誰かが今も何かを探している。


そして、その何かはまだ、誰にも見つかっていなかった。


誰かが見付けられるとも思えない、その何かが。



第3話 悪い夢と、街の噂 ――了――

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