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記憶の記録  作者: とも
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9/20

第9話 放課後の外側

 水曜日。


 朝から晴れていた。


 昨日までの雨が嘘みたいだった。


 校庭の端には、まだ少し水たまりが残っている。


 でも空は青い。


「今日走れるな」


 西野大地が言った。


「残念そうに言うなよ」


 黒瀬湊は机に突っ伏したまま答える。


「黒瀬の方が残念そう」


「昨日楽だったから」


「UNOしてただけだろ」


「補強もした」


「そのあと一時間半UNO」


「陸上部らしい一日だった」


「どこがだよ」


 西野が笑う。


「今日百な」


「やらない」


「十二秒五」


「……」


「俺の勝ち」


「やる」


「扱いやす」


「黙れ」


 朝からいつも通りだった。


     *


 二時間目。


 体育。


 バスケットボール。


「……」


 湊はボールを見る。


 教師が説明している。


「今日はパス回しから。経験者は初心者に合わせろよ」


 クラスの男子が何人か嬉しそうにしている。


「黒瀬、バスケ部だったよな」


 隣の男子が言う。


「中学だけ」


「じゃあ上手いじゃん」


「別に」


「絶対上手いって」


 ボールが渡される。


 手に馴染む。


 少しだけ。


 本当に少しだけ。


 感覚を思い出す。


 ドリブル。


 一回。


 二回。


 低く。


 速く。


「うわ」


 隣の男子が声を出した。


「普通にうめえ」


「普通」


「それで普通は嫌味」


「いや、本当に」


 湊はボールを返す。


「黒瀬、あっち入って」


 教師。


「経験者側」


「はい」


 五人。


 パス回し。


 湊は受ける。


 前を見る。


 一瞬。


 空いている。


「そこ」


 パス。


 通る。


「おお」


 次。


 カットイン。


 止まる。


 また空く。


 パス。


 決まる。


「黒瀬、めっちゃ見えてるじゃん」


「まあ」


「バスケ部入ればいいのに」


 その言葉で。


 湊の動きが少しだけ止まる。


「入らない」


「もったいな」


「別に」


 またそれだ。


 もったいない。


 陸上でも聞いた。


 バスケでも聞く。


 好きとか。


 やりたいとか。


 そういう話じゃない。


 できるかどうかで。


 周りは言う。


 湊は少しだけ面倒になった。


     *


 ミニゲーム。


 湊のチームは負けていた。


 残り一分。


「黒瀬!」


 パスが来る。


 前に一人。


 抜ける。


 湊は分かっていた。


 右。


 一歩。


 相手の重心が動く。


 左へ切り返す。


「うわ!」


 抜いた。


 ゴール下。


 シュート。


 入る。


「うめえ!」


 声。


 次。


 相手ボール。


 エースっぽい男子が来る。


 湊が前に立つ。


「黒瀬、抜ける?」


「さあ」


「じゃあ行く」


 来る。


 速い。


 でも。


 止められる。


 身体を入れる。


 コースを切る。


 相手が止まる。


「まじか」


 パス。


 カット。


 そのまま前。


 走る。


 レイアップ。


 決まる。


 点差。


 一点。


「黒瀬!」


 クラスの男子たちが少し騒ぐ。


 残り。


 十秒。


 相手のシュートが外れる。


 リバウンド。


 湊。


 前を見る。


 一人走っている。


 長いパス。


 通る。


 シュート。


 決まる。


 逆転。


「うおおお!」


 笛。


 終了。


 周りが笑っている。


「黒瀬やば」


「最後のパスえぐ」


「バスケ部入れよ」


「マジで」


 湊は息を整える。


「……」


 嫌ではなかった。


 むしろ。


 楽しかった。


 久しぶりだった。


 ボール。


 音。


 靴の擦れる音。


 パス。


 視線。


 抜く感覚。


 止める感覚。


 全部。


 知っている。


「黒瀬」


 西野が遠くから来た。


「お前、普通にうまいじゃん」


「見てたの?」


「隣のコート」


「授業しろよ」


「してた」


「嘘つけ」


「最後だけ」


 西野が笑う。


「バスケ好きなんだな」


 湊は少し黙った。


「まあ」


「陸上より?」


「比べるまでもない」


「即答」


「悪い?」


「いや」


 西野はそれ以上聞かなかった。


     *


 昼休み。


「黒瀬ー」


「何」


「腕」


「は?」


「筋肉痛」


「知らん」


「昨日の補強」


「若いのに」


「同い年だろ!」


 教室。


 いつもの席。


 西野。


 湊。


「今日部活どうする?」


「行く」


「お」


「何」


「初めて普通に行くって言った」


「……」


「今までずっと『知らん』『気分』『たまたま』だったのに」


「うるさい」


「成長」


「何の」


「陸上部員として」


「退部しようかな」


「すぐ言う」


 西野が弁当を開ける。


「今日何やるかな」


「百」


「俺はな」


「じゃあ俺も」


「長距離だろ」


「一本くらいいいだろ」


「一ノ瀬先輩に怒られるぞ」


「何であの人が俺の管理してんだよ」


「担当?」


「勝手に決めるな」


「教育係」


「もっと嫌だ」


「保護者」


「それ本人の前で言えよ」


「怖い」


「お前でも怖いんだ」


「怒ると普通に怖そう」


「分かる」


 二人で笑った。


     *


 放課後。


 グラウンド。


 昨日の雨の影響で、少し柔らかい。


「今日はメニュー変更」


 久米先生が言った。


「長距離は外周」


「外周?」


 湊が聞く。


「学校の周り」


「道路?」


「そう」


「何キロですか」


「一周二・三くらい」


「何周」


「三」


「……」


 計算。


 約七キロ。


「帰っていいですか」


「ダメ」


「何で毎回聞くんだろうね」


 一ノ瀬が笑う。


「聞けば通る可能性あるじゃないですか」


「一回も通ってないよ」


「いつか」


「諦めなよ」


「嫌です」


「そこだけ強いなあ」


     *


 校門を出る。


 長距離組。


 一列ではない。


 緩く。


 会話できる速度。


「外走るんですね」


「たまに」


 一ノ瀬。


「信号あるじゃないですか」


「止まるよ」


「記録狂いません?」


「記録取らないから」


「じゃあ何のために」


「走るため」


「またそれ」


「便利でしょ」


「便利すぎる」


 藤原が前を走っている。


「黒瀬」


「はい」


「今日は本当にゆっくりな」


「分かってます」


「信号ダッシュ禁止」


「しませんよ」


「西野みたいに競争相手いないからな」


「いなくても走れます」


「成長したな」


「馬鹿にしてます?」


「少し」


     *


 学校の外。


 普段。


 登下校でしか通らない道。


 それを部活で走る。


 不思議だった。


 コンビニ。


 歯医者。


 公園。


 信号。


 住宅。


「ここ」


 一ノ瀬が指差す。


「前にみんなで飯食べた公園」


「分かってます」


「また行きたい」


「部活よりそっち好きなんですか」


「両方」


「欲張りですね」


「黒瀬は?」


「飯」


「陸上は?」


「……」


「間が長い」


「走るの嫌いなんで」


「知ってる」


 信号。


 赤。


 全員止まる。


「はあ」


 湊が呼吸を整える。


「信号最高」


「休憩じゃないよ」


「止まってるじゃないですか」


「青になったら走る」


「永遠に赤でいい」


「後ろの車怒るよ」


 信号。


 青。


「行くよ」


「はあ……」


 走る。


     *


 二周目。


 学校の裏側。


 知らない道。


「こんなとこあったんだ」


 湊が言う。


「来たことない?」


 一ノ瀬。


「ないです」


「この先坂」


「聞きたくなかった」


「結構長い」


「もっと聞きたくない」


「楽しいよ」


「価値観合わないですね」


 坂。


 上る。


「……っ」


 少しきつい。


 一ノ瀬は前。


 藤原。


 二年。


 湊。


 少し差。


「黒瀬ー」


 一ノ瀬が振り返る。


「遅れてるよー」


「煽ってます?」


「応援」


「それ煽りですよ!」


 少し上げる。


「ほら速くなった」


「先輩!」


「何ー?」


「覚えといてください!」


「何をー?」


「あとで!」


「怖いなあ!」


 坂の上。


 湊が追いつく。


「はあ……」


 一ノ瀬が笑っている。


「負けず嫌い」


「違う」


「じゃあ何」


「先輩がうるさいだけ」


「同じじゃん」


     *


 三周目。


 疲れてきた。


 七キロ。


 長い。


「もう無理」


「まだ一キロ」


 一ノ瀬。


「一キロも」


「一キロだけ」


「言い方で変わらないです」


「じゃあ千メートル」


「増えた感じする」


「同じだよ」


「分かってます」


 信号。


 赤。


「よし」


「喜びすぎ」


「文明に感謝してます」


「黒瀬」


 藤原が隣に来る。


「どう」


「何がですか」


「長距離」


「嫌いです」


「即答」


「でも」


 湊は少し考える。


「外はちょっとマシかも」


「何で」


「景色変わるから」


「トラック飽きる?」


「同じとこ回ってるだけじゃないですか」


「それがいいんだよ」


「先輩も一ノ瀬先輩側ですね」


「何側だよ」


「陸上好き側」


 藤原が笑う。


「黒瀬は?」


「嫌い側」


「なのに毎日いる」


「それとこれは別です」


「便利だな」


「何が」


「その言葉」


 青。


 また走る。


     *


 学校へ戻る。


「終わった……」


 湊はグラウンド脇に座った。


「七キロくらいで?」


 一ノ瀬。


「くらいって言うな」


「そのうち慣れる」


「慣れたくない」


「また言ってる」


「俺、短距離に転向しようかな」


「西野に勝てないのに?」


「……」


「黒瀬?」


「長距離続けます」


「扱いやす!」


「うるさい!」


 一ノ瀬が笑う。


 その向こう。


 短距離。


 西野がまだ走っている。


「十二秒四!」


 声。


「うおおおお!」


 西野の叫び。


 湊が立つ。


「……は?」


 一ノ瀬が笑った。


「あ」


「何ですか」


「行くね」


「行きません」


 湊は歩き出す。


「黒瀬」


「何ですか」


「そっち短距離」


「知ってます」


「行かないんじゃなかった?」


「見に行くだけ」


「へえ」


「何ですか」


「別に?」


「その顔やめてください」


     *


「十二秒四?」


 湊。


「出た」


 西野。


「本当に?」


「先生に聞け」


「黒瀬」


 久米先生。


「十二秒四」


「……」


 西野が笑っている。


「勝った」


「まだ俺走ってない」


「今日長距離だろ」


「一本」


「先生」


「ダメ」


「何で」


「七キロ走ったあとに百全力はやめろ」


「でも」


「明日」


「……」


 西野がにやにやしている。


「明日な」


「うるさい」


「十二秒四」


「うるさい」


「十二秒四」


「マジで覚えとけよ」


「楽しみ」


     *


 練習後。


「今日どうする?」


 西野。


「何が」


「コンビニ」


「行かない」


「珍しい」


「疲れた」


「七キロ?」


「七キロ」


「俺、百何本も走った」


「距離で勝負する?」


「それは無理」


「じゃあ黙れ」


「でも」


「何」


「駅まで一緒に帰ろうぜ」


「それは普通に帰るだろ」


「よし」


「何がよしなんだよ」


 二人。


 校門を出る。


 途中。


 体育館の前を通る。


 中から。


 バスケットボールの音。


 キュッ。


 ダン。


 キュッ。


 湊の足が少しだけ止まる。


「黒瀬?」


「ん」


「どうした」


「別に」


 体育館を見る。


 扉が少し開いている。


 中。


 男子バスケ部。


 練習。


 速いパス。


 声。


 シュート。


 リバウンド。


「見てく?」


 西野が聞く。


「……」


 少し考える。


「いや」


「いいの?」


「うん」


 歩き出す。


「好きなんだろ」


「好きだよ」


「じゃあ何で見ないの」


「見たら入りたくなると思ってる?」


「ちょっと」


「ならない」


「そうなんだ」


「好きだからって」


 湊は前を見る。


「ずっとやるとは限らないだろ」


 西野は少し黙る。


「そっか」


「何」


「いや」


「変?」


「別に」


 少し歩く。


「俺は陸上好きだから、ずっとやりたいけど」


「へえ」


「高校でも」


「うん」


「大学でもできたら」


「そこまで?」


「できれば」


「本当に好きなんだな」


「うん」


 即答。


 一ノ瀬と同じ。


 湊は少し笑った。


「何」


「いや」


「何だよ」


「陸上好きな人多いなって」


「陸上部だからな」


「それはそう」


 二人で笑った。


     *


 駅。


「じゃあな」


「おう」


 西野が改札へ向かう。


「あ、黒瀬」


「何」


「明日」


「十二秒四だろ」


「覚えてんじゃん」


「嫌でも覚える」


「楽しみにしてる」


「後悔させる」


「怖」


 西野が笑って消える。


 湊は反対方向へ歩く。


 スマホ。


 時刻。


 六時十九分。


 朝。


 体育でバスケをした。


 昼。


 西野とくだらない話をした。


 放課後。


 七キロ走った。


 西野が十二秒四を出した。


 帰り。


 バスケ部を見た。


 今日一日だけでも。


 いろいろあった。


 でも。


 どれも大きな出来事ではない。


 湊は歩く。


「……腹減った」


 コンビニ。


 入る。


 アイスを見る。


「またこれでいいか」


 いつものソーダ味。


 レジ。


 店を出る。


 一口。


 冷たい。


 明日は。


 十二秒四。


 そのことを考えている自分に気づく。


「……」


 湊は少しだけ嫌そうな顔をした。


「何で俺、陸上のこと考えてんだよ」


 でも。


 足は止まらなかった。

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