↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
記憶の記録  作者: とも
PR
10/21

第10話 十二秒三

 木曜日。


 朝。


「黒瀬」


「何」


「十二秒四」


「朝一番に言うことがそれ?」


 黒瀬湊は鞄を机に置いた。


 西野大地は隣の席で笑っている。


「昨日の記録」


「知ってる」


「十二秒四」


「二回言うな」


「黒瀬は十二秒六」


「……」


「〇・二秒差」


「今日抜く」


「お」


「何」


「やる気満々」


「お前がうるさいからだよ」


「楽しみだな」


「今のうちに笑っとけ」


「黒瀬、顔怖い」


「元から」


「それ一ノ瀬先輩も言ってた」


「あとで殴る」


「俺を?」


「先輩は殴れないだろ」


「俺ならいいの!?」


 朝のホームルームが始まるまで。


 二人はそんな話をしていた。


     *


「来月、中間考査だからな」


 担任が言った。


 教室の空気が少しだけ重くなる。


「早くね?」


 誰か。


「早くない。一か月なんてすぐだ」


「範囲広いですか?」


「今から心配するなら勉強しろ」


「先生、部活が」


「言い訳にするな」


 湊は黒板を見る。


 中間考査。


 そういえば。


 高校に入ってから、まだ一度も定期テストを受けていない。


「黒瀬」


 小声。


「何」


 西野。


「やばい」


「何が」


「数学」


「まだ一か月ある」


「英語も」


「勉強しろ」


「国語も」


「全部じゃねえか」


「助けて」


「嫌」


「親友」


「その言葉使えば何でも通ると思うな」


「黒瀬八点だったじゃん」


「十点満点な」


「俺三点」


「自慢すんな」


「二人合わせれば十一点」


「満点超えたな」


「天才」


「馬鹿二人だろ」


 前の席の男子が振り返った。


「お前ら朝から何話してんの?」


「テスト対策」


 西野。


「どこがだよ」


 湊。


     *


 三時間目。


 体育。


 今日もバスケットボールだった。


「黒瀬!」


 ボールが来る。


 受ける。


 目の前に一人。


 昨日と同じ男子。


「今日は抜かせねえ」


「頑張れ」


「余裕だな!」


 来る。


 湊は右へ。


 相手がついてくる。


 止まる。


 後ろ。


 味方が空いている。


 パス。


「ナイス!」


 シュート。


 入る。


「またパスかよ!」


「空いてたから」


「勝負しろよ」


「何でわざわざ難しい方選ぶんだよ」


「つまんねえ!」


「知らん」


 湊は笑った。


 楽しい。


 それは否定する必要もなかった。


 ボールに触る。


 周りを見る。


 味方が動く。


 相手が動く。


 空いた場所を探す。


 身体が勝手に反応する。


 中学で何度もやった。


 何百回。


 何千回。


 もっとかもしれない。


 好きだった。


 今も好きだ。


 たぶん。


 そこは何も変わっていない。


「黒瀬!」


「はい!」


 またボール。


 今度は自分で行く。


 一人抜く。


 ゴール下。


 シュート。


 入る。


「うまっ!」


 声。


 湊は少し笑った。


     *


 体育終了。


 着替え。


「黒瀬」


 西野がシャツを着ながら言う。


「やっぱバスケの方が楽しそう」


「そう?」


「陸上の時より」


「そりゃ好きだから」


「じゃあ陸上辞めてバスケ部入れば?」


 湊は制服のボタンを留める。


「入らない」


「何で?」


「……」


 少し考えた。


「今さらいいかな」


「まだ四月だぞ」


「そういう意味じゃない」


「じゃあどういう意味」


「分かんない」


「また?」


「うるせえな」


 湊はロッカーを閉める。


「好きだからやる、だけじゃないだろ」


「そう?」


「知らん」


「黒瀬が言ったんじゃん」


「俺も分かってない」


「面倒くさ」


「最近みんな俺にそれ言うな」


「みんな正しいんじゃない?」


「お前にだけは言われたくない」


     *


 昼休み。


 西野が購買へ行っている間。


 湊は一人でスマホを見ていた。


「黒瀬くん」


「ん?」


 顔を上げる。


 左隣の女子だった。


 席替えで隣になった。


 名前は。


「……何?」


「今、名前忘れたでしょ」


「忘れてない」


「じゃあ言ってみて」


「……」


「ほら」


「いや」


「何」


「顔は分かる」


「一番失礼なやつ」


 女子が笑った。


「佐伯」


「あ」


「美咲」


「佐伯」


「今覚えたでしょ」


「前から知ってた」


「嘘」


「ごめん」


「素直」


 佐伯美咲。


 同じクラス。


 席替えまでほとんど話したことがなかった。


「で、何?」


「これ」


 数学のプリント。


「昨日休んでたところ、先生何か言ってた?」


「提出金曜」


「明日?」


「うん」


「最悪」


「何もやってない?」


「何も」


「西野と同じだな」


「それは嫌」


「ひどくない?」


 いつの間にか西野が戻ってきていた。


「聞いてたの?」


「今来た」


「焼きそばパンは?」


「なかった」


「残念」


「今日はカレーパン」


「どうでもいい」


「聞いたの黒瀬だろ!」


 佐伯が笑う。


「二人、仲いいね」


「よくない」


 湊。


「親友」


 西野。


「違う」


「息ぴったりじゃん」


「こいつが勝手に」


「照れてる?」


「佐伯、プリント見せないぞ」


「ごめんなさい」


 笑いながら手を合わせる。


「ていうか黒瀬くん、陸上部なんだって?」


「そうだけど」


「意外」


「何で」


「体育でバスケ上手いから、バスケ部かと思ってた」


「中学は」


「高校はやらないの?」


「それ今日二回目」


「誰かに聞かれた?」


「こいつ」


 西野を指差す。


「俺も同じこと聞いた」


「だって普通思うだろ」


「そんなに?」


「思う」


 二人同時。


「……」


 湊は牛乳を飲む。


「もったいない」


 佐伯が言った。


 また。


 その言葉。


「そうかな」


「うん」


「でも陸上も速いぞ、こいつ」


 西野。


「そうなの?」


「千五百四分二十六」


「何それ」


「速い」


「へえ」


 佐伯は湊を見る。


「じゃあ陸上でいいじゃん」


「……」


 湊は少しだけ目を細めた。


「何?」


「いや」


 簡単だなと思った。


 バスケが上手い。


 ならバスケ部。


 走るのが速い。


 なら陸上部。


 結果だけ見れば。


 たぶん、その方が分かりやすい。


「黒瀬?」


「何でもない」


 西野がカレーパンを食べる。


「今日十二秒三出す人だから」


「勝手にハードル上げんな」


「出すんだろ?」


「出す」


「やる気あるじゃん」


「お前に勝つため」


 佐伯が二人を見る。


「陸上楽しそうじゃん」


「違う」


「今の会話で?」


「西野に勝つのが楽しいだけ」


「それ楽しいって言うんじゃないの?」


「……」


 西野が笑った。


「俺も言った、それ」


「うるさい」


     *


 放課後。


 百メートル。


 西野。


 湊。


 二人が並ぶ。


「黒瀬」


 久米先生がストップウォッチを持つ。


「お前、本当に一本だけだからな」


「分かってます」


「このあと長距離のメニューあるぞ」


「分かってます」


「昨日七キロ走ってるから、変なところ痛かったらやめろ」


「大丈夫です」


「ならいい」


 西野が隣で軽く跳ねる。


「十二秒三」


「俺がな」


「俺だよ」


「お前昨日十二秒四だろ」


「今日縮める」


「俺も」


「じゃあ勝負」


「最初からそのつもり」


 二人が前を見る。


 百メートル。


 湊は一度息を吐いた。


 短い。


 千五百メートルに比べれば、一瞬。


 でも。


 今は。


 この一瞬で西野に勝ちたかった。


「位置について」


 身体を前へ。


「よーい」


 静かになる。


 音。


 出る。


 西野が前。


「……っ!」


 また。


 スタートで負けた。


 十メートル。


 二十。


 差。


 一メートルほど。


 湊が追う。


 三十。


 四十。


 少し縮まる。


 五十。


 並びかける。


「っ……!」


 西野も上げる。


 六十。


 七十。


 ほぼ並ぶ。


 視界の端。


 西野。


 前を見る。


 腕。


 脚。


 何も考えない。


 ただ。


 前へ。


 八十。


 九十。


 最後。


 身体を出す。


 ゴール。


「……っ」


 二人とも減速する。


 振り返る。


「どっち!?」


 西野が叫ぶ。


「先生!」


 湊も見る。


 久米先生が時計を確認している。


「西野」


「はい!」


「十二秒四」


「くそ!」


「黒瀬」


「はい」


 一瞬。


「十二秒三」


「……」


 湊は止まった。


「え」


「十二秒三」


 もう一度。


「……っしゃ!」


 拳を握った。


「十二秒三!」


 西野が時計を覗き込む。


「マジ!?」


「俺の勝ち」


「〇・一!」


「勝ちは勝ち」


「昨日俺に言われたやつ!」


「十二秒三」


「くそおお!」


 西野が頭を抱える。


 湊は笑った。


「十二秒三」


「何回言うんだよ!」


「お前昨日やっただろ」


「根に持ってたの!?」


「当たり前」


「性格悪!」


「勝ったから何でもいい」


 嬉しかった。


 思った以上に。


 たった〇・一秒。


 しかも。


 専門ですらない。


 大会でもない。


 正式な記録でもない。


 部活中に測っただけ。


 それでも。


 昨日まで十二秒六だった数字が。


 十二秒三になった。


 西野より速かった。


 それだけで。


 身体の疲れまで軽くなったような気がした。


「黒瀬」


 一ノ瀬の声。


「はい」


「めっちゃ嬉しそう」


「勝ったんで」


「陸上嫌いなのに?」


「それ関係あります?」


 一ノ瀬が少しだけ黙った。


 それから。


「ないかもね」


「でしょ」


 湊は笑った。


     *


「じゃあ長距離、千六百二本」


 久米先生。


「……」


 湊の笑顔が消えた。


「先生」


「何だ」


「今日、百で自己ベスト出しました」


「おめでとう」


「なので」


「千六百二本」


「ご褒美は?」


「ない」


「十二秒三ですよ?」


「非公式な」


「さっきまで褒めてくれたのに!」


「早く行け」


「鬼!」


「黒瀬ー」


 一ノ瀬が笑いながら呼ぶ。


「こっちこっち」


「行きたくない……」


「十二秒三の人ー」


「その呼び方やめてください!」


「四分二十六より新しいよ」


「どっちも嫌だ!」


     *


 一本目。


 きつい。


 二本目。


 もっときつい。


「はあ……はあ……」


 終わった。


 湊は地面に座り込んだ。


「死ぬ」


「生きてるよ」


 一ノ瀬。


「脚が」


「明日には治る」


「明日も走るんですよね」


「もちろん」


「やっぱ陸上嫌いだわ」


「今日何回目?」


「何回でも言います」


 一ノ瀬が隣に座る。


「でも十二秒三は嬉しかった?」


「嬉しかったですよ」


「千五百のタイム縮んでも?」


「たぶん」


「大会で勝っても?」


「そりゃ」


「じゃあ」


 一ノ瀬は少し笑った。


「そのうち好きになるかもね」


 湊はすぐに答えなかった。


「……それは別じゃないですか」


「そう?」


「勝つのが好きなのと」


 息を整える。


「走るのが好きなのは、違うでしょ」


 一ノ瀬は黙った。


 少しだけ。


「……そっか」


「先輩は違うんですか」


「私は」


 一ノ瀬はトラックを見る。


「走るのも好きだし、勝てたらもっと好き」


「欲張り」


「悪い?」


「別に」


 湊もトラックを見る。


「俺は勝つ方だけでいいです」


「言ったね?」


「何が」


「覚えとく」


「何で」


「何となく」


「怖いなあ」


     *


 練習後。


「黒瀬」


 西野。


「何」


「コンビニ」


「今日はいい」


「何で」


「十二秒三だから」


「意味分からん」


「勝者は早く帰る」


「じゃあ俺も帰る」


「お前敗者」


「腹立つ!」


 部室の前で騒いでいると。


「黒瀬くん」


 声。


 振り返る。


「……佐伯?」


 制服姿の佐伯美咲がいた。


「何してんの?」


「それこっちの台詞」


「友達待ってる」


 佐伯が体育館を指差す。


「バレー部」


「ああ」


「部活終わった?」


「今」


「へえ」


 佐伯はグラウンドを見る。


「本当に陸上部なんだ」


「嘘つく意味ないだろ」


「何してたの?」


「走ってた」


「陸上部っぽい」


「陸上部だからな」


「何秒?」


「十二秒三」


 即答してから。


 湊は止まった。


 佐伯が笑う。


「嬉しそう」


「……」


「昼は陸上そんな好きじゃないみたいな顔してたのに」


「好きとは言ってない」


「でも聞かれてすぐタイム言った」


「……」


 西野が後ろで笑っている。


「何笑ってんだよ」


「いやー」


「何」


「別に?」


「その言い方やめろ」


 佐伯も笑った。


「じゃあ、お疲れ」


「おう」


「明日プリント忘れないでね」


「あ」


「忘れてた?」


「……」


「やっぱり」


 佐伯は体育館の方へ歩いていった。


「黒瀬」


 西野。


「何」


「プリント」


「帰る」


「俺まだ終わってない」


「俺も」


「一緒にやろうぜ」


「どこで」


「図書室」


「もう閉まるだろ」


「じゃあファミレス」


「金かかる」


「フードコート」


「駅の?」


「うん」


「……」


 湊は時計を見る。


 午後五時四十八分。


「一時間だけな」


「よし!」


「数学だけ」


「英語も」


「一時間って言っただろ」


「国語」


「帰るぞ」


「数学だけ!」


     *


 午後六時二十分。


 駅前。


 フードコート。


「分からん」


 西野が言った。


「さっき教えた」


「分からん」


「何が」


「全部」


「帰っていい?」


「待って!」


 湊は数学のプリントを見る。


「ここに代入」


「代入?」


「昨日も聞いたぞ、それ」


「移項じゃなくて?」


「少し成長したな」


「やった」


「褒めてない」


 隣のテーブル。


 中学生。


 向こう。


 会社員。


 食事をしている家族。


 フードコートのざわめき。


「黒瀬」


「何」


「十二秒三」


「急にどうした」


「悔しい」


「今?」


「練習中は疲れてたから」


「遅れて来たな」


「明日抜く」


「十二秒二?」


「うん」


「無理」


「出す」


「じゃあ俺十二秒一」


「長距離だろ」


「関係ない」


 二人で笑う。


「勉強しろ」


「黒瀬が陸上の話始めたんじゃん」


「お前だよ!」


     *


 午後七時十二分。


 駅。


「結局一時間超えた」


「プリント終わった」


「俺のおかげ」


「ありがとう先生」


「五百円」


「金取るの?」


「家庭教師だから」


「じゃあ明日十二秒一出したら払う」


「何でお前の記録で俺の給料決まるんだよ」


 改札。


「じゃあな」


「おう」


「明日」


「分かってる」


「十二秒二」


「俺十二秒一」


「絶対」


「絶対」


 別れる。


     *


 家。


 夕飯。


 風呂。


 部屋。


 湊はベッドに座った。


 スマホ。


 検索。


『高校生 100m 12秒3』


「……」


 見る。


 少し読む。


「普通か」


 特別速いわけではない。


 陸上部なら、もっと速いやつはいくらでもいる。


 当然だった。


 湊は短距離選手ですらない。


 画面を閉じる。


 今度は。


『高校生 1500m 4分26』


 前にも見た。


 スクロール。


「……」


 四分二十六。


 十二秒三。


 数字。


 バスケには。


 こういう分かりやすい数字がなかった。


 自分がどれだけ上手くなっても。


 何人抜いても。


 何本シュートを決めても。


 チームが負ければ。


 負けだった。


 陸上は。


 十二秒六。


 十二秒三。


 三日で〇・三秒。


 速くなれば。


 数字が変わる。


「……分かりやす」


 小さく呟く。


 だから好きか。


 そう聞かれたら。


 違う。


 走るのは苦しい。


 長距離は退屈だ。


 朝も早い。


 脚も痛い。


 できれば走りたくない。


 でも。


 十二秒三と告げられた瞬間。


 嬉しかった。


 それも嘘ではない。


 湊はスマホを置く。


「まあ」


 電気を消す。


「勝てるなら、悪くないか」


 暗くなった部屋。


 数秒後。


 スマホが光る。


 西野。


『十二秒二』


「しつこ」


 湊は笑う。


『寝ろ』


 送信。


 すぐ返信。


『逃げた』


「……」


 湊は起き上がった。


『十二秒一』


 送信。


 満足して、もう一度横になる。


 走るのは嫌いだった。


 けれど。


 速くなるのは、


 思っていたより気持ちがよかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。