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記憶の記録  作者: とも
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11/22

第11話 来月

 金曜日。


「来月、地区大会あるから」


 朝。


 西野大地が言った。


「へえ」


 黒瀬湊は英語の教科書を鞄から出した。


「反応薄っ」


「何て言えばいいの」


「ついに来た、とか」


「何が」


「大会」


「出るの?」


「出るよ」


「頑張れ」


「黒瀬もだよ」


 手が止まった。


「……何で?」


「陸上部だから」


「入ったばっかだけど」


「関係ないだろ」


「聞いてない」


「昨日先生言ってた」


「いつ」


「練習終わり」


「俺、フードコート行くことで頭いっぱいだった」


「数学より大会覚えろよ」


「学生だぞ」


「俺ら陸上部だぞ」


「学生でもある」


「じゃあ両方」


「面倒くさ」


 西野が笑う。


「何出るんだろうな」


「俺?」


「千五百じゃね?」


「出たくない」


「何で」


「大会って朝早いだろ」


「理由そこ?」


「休日潰れる」


「土曜練習来てるじゃん」


「最近それで休日が短いことに気づいた」


「じゃあ辞める?」


「……」


「辞めない」


「うるさい」


     *


 朝のホームルーム。


「来月、中間考査だが」


 担任が黒板に日程を書く。


「五月二十一日から三日間」


「先生」


 西野が手を上げる。


「何だ」


「部活の大会と被ったら?」


「日程は学校側で調整してる。少なくとも地区大会とは被ってない」


「よかった」


「ただし、大会があるから勉強できませんでしたは認めないからな」


「……」


「西野」


「はい」


「特にお前」


「何でですか!」


「この前の小テスト」


「三点取りました」


「十点満点だろ」


「三割!」


「前向きに言うな」


 教室が笑う。


「黒瀬」


 西野が小声。


「何」


「勉強会」


「嫌」


「大会もあるんだぞ」


「大会関係ないだろ」


「忙しい」


「だから今からやれ」


「今日」


「嫌」


「明日」


「土曜練習」


「練習後」


「帰りたい」


「日曜」


「映画見たい」


「いつならいいんだよ!」


「テスト前」


「遅い!」


 担任がこちらを見る。


「そこ」


 二人とも黙った。


     *


 二時間目。


 英語。


 教科書を読む。


 教師が黒板に単語を書く。


 湊はノートを取る。


 隣。


 西野も珍しく書いていた。


「黒瀬」


「何」


「スペル」


「どれ」


「これ」


「competition」


「長くね?」


「文句言うな」


「意味は?」


「競争とか大会」


「お」


「何」


「今の俺らじゃん」


「英語の授業中まで陸上に繋げるな」


「覚えた」


「ならいいけど」


 西野はノートに書く。


 competition。


 その横。


『大会』


 さらに横。


『12.2』


「何でタイム書いた?」


「目標」


「英単語帳に?」


「毎日見るから」


「馬鹿なりに考えてるな」


「褒めてる?」


「半分」


     *


 昼休み。


「黒瀬くん」


 佐伯美咲がプリントを持ってきた。


「これ」


「何」


「数学」


「あ」


「提出今日」


「忘れてた」


「昨日一緒にやったんじゃなかったの?」


 西野が言う。


「やった」


「じゃあ出せよ」


「鞄の中」


「忘れてないじゃん」


「提出するのを忘れてた」


「もっと駄目だろ」


 湊は鞄を探る。


「あった」


「よかった」


 佐伯が自分のプリントと重ねる。


「一緒に出しとく?」


「いいの?」


「どうせ行くから」


「ありがとう」


「百円」


「取るの?」


「昨日、西野くんに五百円請求してたじゃん」


「聞いてたのかよ」


「近くにいたから」


「じゃあ十円」


「値切りすぎ」


「学生だから」


「ケチ」


 佐伯が笑う。


「そういえば二人、大会出るんでしょ?」


「何で知ってるの」


「陸上部の子が言ってた」


「誰」


「同じクラスにもう一人いるじゃん」


「え?」


 湊と西野。


 二人で教室を見る。


「……誰?」


「嘘でしょ」


 佐伯が笑う。


 教室の前。


 一人の女子が友達と弁当を食べている。


「あの子」


「陸上部なの?」


 湊。


「そうだよ」


「種目は?」


 西野。


「私に聞かないでよ」


 二人で顔を見合わせる。


「知らなかった」


「俺も」


「同じ部活なのに?」


「二十七人いるから」


「言い訳になってる?」


「たぶん」


 佐伯が呆れたように笑う。


「大会見に行こうかな」


「何で?」


 湊が聞く。


「暇だったら」


「暇だから見るものなの?」


「友達出るなら」


「誰」


「黒瀬くんとか」


「友達だったの?」


「違うの?」


「……」


 湊は少し困った。


 佐伯は笑っている。


「じゃあクラスメイト」


「それなら」


「西野くんも」


「俺は友達でいいよ!」


「軽いな」


「黒瀬も友達だろ」


「親友」


「お」


「違う!」


 湊が言う。


 二人が笑った。


     *


 放課後。


 部室前。


 久米先生が紙を持っていた。


「大会の話するぞ」


 部員が集まる。


 湊は後ろの方。


 西野が隣。


「来月、地区大会」


 久米先生が日付を告げる。


「基本的に出られる種目には出す。ただし人数制限がある種目はこっちで決める」


 少しだけ空気が変わった。


 湊にも分かった。


 さっきまで。


 誰かが靴下をなくしたとか。


 購買のパンがどうとか。


 そんな話をしていた。


 今は静か。


「三年は最後の地区になるやつもいる。二年は去年の記録を更新すること。一年はまず大会を知れ」


 久米先生が紙を見る。


「出場種目は来週までに決める」


「先生」


 西野が手を上げる。


「百出たいです」


「分かってる」


「二百も」


「それも分かってる」


「リレーも」


「欲張るな」


 笑い。


「黒瀬」


「はい」


「千五百」


「もう決定ですか」


「ほぼ」


「相談は?」


「嫌か?」


「嫌です」


「走るのが?」


「はい」


「大会が?」


「朝早そうなんで」


 数人が笑った。


「そこかよ」


 城戸。


「だって大事ですよ」


「大事だけどな」


 久米先生も少し笑う。


「まあ、千五百は走ってもらう」


「拒否権」


「ある」


「本当ですか」


「出たくないなら出なくていい」


 湊は少し意外だった。


「……いいんですか」


「学校の部活だからな。無理やり大会に出しても仕方ない」


「じゃあ」


 出ません。


 そう言おうとした。


「黒瀬」


 一ノ瀬澪奈が呼ぶ。


「何ですか」


「私も千五百」


「へえ」


「勝負する?」


「男女別ですよね」


「タイム」


「先輩のベストは?」


「四分四十七」


「……」


 湊は黙った。


 一ノ瀬が眉をひそめる。


「何その顔」


「いや」


「何」


「俺の方が速い」


「男子と女子!」


「タイム勝負って言ったの先輩ですよ」


「そうだけど!」


「四分四十七」


「黒瀬?」


「二十一秒」


「腹立つなあ!」


 周囲が笑う。


「じゃあ出る?」


 一ノ瀬が聞く。


「……」


「逃げる?」


「出ます」


「よし」


「何がよしなんですか」


 西野が横から言う。


「扱いやす」


「うるさい!」


     *


 練習。


 今日は千メートルを三本。


「大会まで少しずつ上げるよ」


 一ノ瀬。


「もう始まるんですか」


「何が?」


「大会用の練習」


「そりゃ」


「来月ですよね」


「もう来月」


「まだ来月」


「この感覚の差すごいね」


「先輩、大会好きなんですか」


「好き」


「緊張しない?」


「する」


「嫌じゃない?」


「嫌な時もある」


「じゃあ何で好きなんですか」


 一ノ瀬は少し考えた。


「結果が出るから」


 湊が見る。


「結果?」


「うん」


「タイム?」


「タイムも。順位も」


「……」


「練習ってさ」


 一ノ瀬は靴紐を結び直す。


「速くなってるのか、分からない時あるじゃん」


「俺まだ分かりますけど」


「入ったばっかりだからね」


「十二秒六から三になりました」


「はいはい」


「〇・三ですよ」


「嬉しかったね」


「嬉しかったです」


 一ノ瀬は笑う。


「大会だと、それがもっとはっきりするから」


「速いか遅いか」


「うん」


「勝ったか負けたか」


「うん」


「それが好き?」


「怖いけどね」


 少し。


 声の調子が変わった気がした。


「先輩?」


「何?」


「去年どうだったんですか」


「大会?」


「はい」


 一ノ瀬は立ち上がる。


「普通」


 また。


 その言葉。


 初めて会ったときも。


 速いか聞いたら。


『普通』


 そう答えた。


「普通って」


「普通は普通」


「何位?」


「覚えてない」


「陸上好きなのに?」


「忘れた」


「絶対嘘」


「後輩」


「はい」


「アップ行くよ」


「逃げた」


「行くよ」


「はいはい」


 一ノ瀬は走り出した。


 湊は少しだけその背中を見た。


     *


 一本目。


 設定通り。


 二本目。


 少し速い。


 三本目。


「最後自由!」


 藤原の声。


 湊が出る。


 一ノ瀬も。


 藤原も。


「……っ!」


 今日は藤原の背中だけを見た。


 近づく。


 残り三百。


 差。


 四メートル。


 二百。


 三メートル。


 百。


「……!」


 藤原が上げる。


 湊も上げる。


 二メートル。


 一メートル。


 ゴール。


「っ……!」


 藤原。


 その直後。


 湊。


「はあ……っ」


 膝に手。


「……負けた」


「危な」


 藤原が笑う。


「黒瀬、もう来たか」


「何秒差?」


「分からん」


「先生!」


 久米先生が時計を見る。


「藤原、二分五十三」


「黒瀬、二分五十四」


「……一秒」


 湊は地面を見る。


 一秒。


 土曜日。


 五メートル。


 月曜日。


 三メートル。


 今日。


 一秒。


「藤原先輩」


「嫌だ」


「まだ何も言ってない」


「もう一本はやらない」


「何で分かったんですか」


「顔」


「俺そんな分かりやすい?」


「かなり」


 一ノ瀬が遅れてゴールする。


「はあ……」


 時計を見る。


 息を整える。


「……」


 少しだけ。


 顔が曇った。


 湊はそれに気づいた。


「先輩」


「ん?」


「何秒?」


「三分二十二」


「速いんですか」


「普通」


「またそれ」


 一ノ瀬は笑った。


「今日はちょっと遅かった」


「調子悪い?」


「たぶん」


「じゃあ次」


「うん」


 それだけだった。


     *


 練習後。


「大会、何着てくの?」


 西野が聞いた。


「服」


「そういう意味じゃない」


「制服?」


「ジャージじゃね?」


「現地集合?」


「知らん」


「電車?」


「たぶん」


「何時?」


「知らん」


「黒瀬、何も知らないじゃん」


「今日聞いたばっかだぞ」


「楽しみじゃない?」


「そこまで」


「俺楽しみ」


「知ってる」


「初大会」


「俺も」


「緊張するかな」


「するんじゃない」


「黒瀬は?」


「知らん」


「緊張しなさそう」


「試合はしてたから」


「バスケ?」


「うん」


「大会前とかどうだった?」


「……」


 湊は少し考える。


 前日。


 体育館。


 ボール。


 ユニフォーム。


 スタメン。


 ベンチ。


 勝ち。


 負け。


「普通」


「一ノ瀬先輩みたい」


「何が」


「普通って言うとこ」


「一緒にすんな」


「本人に言う?」


「やめろ」


     *


「黒瀬ー」


 一ノ瀬が部室から出てくる。


「呼びました?」


「これ」


 一枚の紙。


 地区大会の予定表。


「先生が一年に配っとけって」


「ありがとうございます」


 受け取る。


 日付。


 会場。


 集合予定。


 種目。


 注意事項。


「朝七時集合……」


 湊の顔が歪む。


「早い」


「でしょうね」


「私は好きだけど」


「大会の日の早起きが?」


「大会の朝」


「違うんですか」


「違う」


「どう違うの」


「何か」


 一ノ瀬は少し考える。


「今日までやったことが、全部決まる感じするじゃん」


「全部?」


「大げさに言えばね」


「一回走るだけで?」


「うん」


 湊は紙を見る。


「怖くないですか、それ」


「怖いよ」


 一ノ瀬は笑った。


「だから好きなのかも」


「やっぱ分かんないです」


「黒瀬はそのうち分かるよ」


「決めつけないでください」


「じゃあ分からないかも」


「急に適当」


「どっちがいいの」


「どっちでも」


 二人で校門へ向かう。


     *


「先輩」


「ん?」


「去年」


「何」


「地区大会」


 一ノ瀬の歩幅が少しだけ変わった。


「何位だったんですか」


「まだ聞く?」


「気になるんで」


「……」


 少し歩く。


「予選落ち」


「千五百?」


「うん」


「タイムは?」


「四分五十二」


「ベストより遅い」


「そう」


「何で?」


「大会だからって毎回ベスト出るわけじゃないよ」


「それはそうですけど」


「緊張したし」


「はい」


「最初についていきすぎた」


「はい」


「最後、動かなかった」


「……」


 一ノ瀬は前を見る。


「それだけ」


 いつもの声。


 でも。


 さっきまでより少し静かだった。


「悔しかった?」


 湊が聞く。


「そりゃ」


「泣いた?」


「泣いてない」


「本当に?」


「泣いてない」


「怪しい」


「黒瀬」


「はい」


「先輩を何だと思ってる?」


「走るの好きな変な人」


「最低」


「褒めてます」


「どこが?」


 いつもの一ノ瀬に戻った。


     *


 駅前。


「じゃあね」


 一ノ瀬が別方向へ。


「お疲れさまです」


「黒瀬」


「はい」


「大会」


「何ですか」


「負けないから」


「タイム?」


「うん」


 湊は笑った。


「二十一秒差ですよ」


「言ったな?」


「事実です」


「覚えとけ」


「先輩こそ」


 一ノ瀬が少し笑った。


「じゃ」


「はい」


 離れる。


     *


「黒瀬!」


「うわ」


 後ろから西野。


「いたの?」


「ずっといた!」


「ごめん」


「存在消すなよ!」


「何」


「コンビニ」


「今日金曜か」


「金曜関係ある?」


「何となく」


「行こうぜ」


「五分」


「十分」


「七分」


「八分」


「細か!」


     *


 コンビニ。


「新しいアイスある」


 西野。


「どれ」


「これ」


「高い」


「二百二十円」


「アイスに二百円は高い」


「黒瀬いつも安いやつだもんな」


「うまいからいいんだよ」


「大会で勝ったら買えば?」


「何で」


「ご褒美」


「……」


 湊は高いアイスを見る。


「一位だったら」


「買う?」


「考える」


「千五百?」


「うん」


「一位取れんの?」


「知らん」


「四分二十六なら?」


「知らんって」


「調べる?」


「……」


 スマホを出しかける。


 止める。


「やめとく」


「何で」


「今知っても変わらないだろ」


「珍しくかっこいいこと言う」


「珍しくは余計」


「じゃあ大会楽しみ?」


「別に」


「またそれ」


「でも」


「ん?」


 湊はアイスの冷凍ケースを見る。


「一位は取りたい」


「出た」


「何が」


「負けず嫌い」


「出るなら勝ちたいだろ」


「陸上嫌いなのに?」


「だから関係ないって」


 西野が笑った。


「俺も百、一位取りたい」


「十二秒四で?」


「うるせえ」


「無理じゃない?」


「黒瀬」


「何」


「明日十二秒二」


「まだ言ってんの?」


「出すまで言う」


「じゃあ俺十二秒一」


「長距離」


「関係ない」


 二人で笑った。


     *


 夜。


 机。


 地区大会の予定表。


 数学の教科書。


 英単語帳。


 読みかけの漫画。


 スマホ。


 全部が同じ机の上にあった。


「……」


 湊は予定表を見る。


 来月。


 大会。


 その一週間ほど後。


 中間考査。


 スマホには、見たい映画の公開日。


 その横には友達から送られてきた動画。


 陸上だけではない。


 学校だけでもない。


 高校生活には、いろいろある。


 大会も。


 その一つ。


 今の湊にとっては、それくらいだった。


 予定表を机の端へ置く。


 数学の教科書を開く。


 三分後。


 スマホを見る。


「……」


 検索欄。


『高校 1500m 地区大会 タイム』


 打つ。


 止まる。


「何してんだ」


 消す。


 数学へ戻る。


 五分。


 またスマホ。


「……いや」


 置く。


 十分。


「……」


 結局。


 もう一度手に取った。


「見るだけ」


 誰に言うでもなく呟く。


 検索。


 いくつかの記録を見る。


 四分台。


 三分台。


 順位。


 予選。


 決勝。


「……」


 思っていたより。


 速い。


「へえ」


 スマホを置く。


 胸が高鳴るほどではない。


 怖くもない。


 ただ。


 少しだけ。


 来月が気になった。


 その直後。


 西野からメッセージ。


『明日雨らしい』


「……」


 天気予報を見る。


 雨。


「またUNOじゃん」


 大会への意識は、


 それだけで一度どこかへ消えた。

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