第12話 映画
土曜日。
午前六時三十二分。
目覚ましが鳴る。
「……」
黒瀬湊は布団の中から手を伸ばした。
止める。
目を閉じる。
三秒。
「……雨」
窓の向こうから音がする。
かなり強い。
スマホ。
天気予報。
午前。
雨。
午後。
雨。
「よし」
もう一度布団へ潜る。
今日は土曜練習。
八時集合。
だが。
この雨なら。
「中止だろ」
目を閉じる。
スマホが震えた。
「……」
無視。
もう一度。
震える。
「うるさ……」
見る。
陸上部のグループ。
久米先生。
『本日の練習は中止。各自、自宅で補強。月曜から通常練習』
「……」
湊は画面を見つめた。
「よっしゃ」
小さく拳を握る。
スマホを置く。
目を閉じる。
今日。
何もない。
十一時まで寝る。
昼飯。
映画。
漫画。
完璧。
再び。
スマホが震えた。
西野。
『起きてる?』
無視。
『黒瀬』
無視。
『おーい』
「……」
『寝る』
送る。
すぐ返ってくる。
『映画行かね?』
「……」
湊の目が開いた。
*
『何見る』
送信。
『食いついた』
『帰る』
『まだ家だろ』
『で、何』
『なんか面白いやつ』
『雑』
『黒瀬決めて』
『何で俺』
『映画好きだから』
湊は起き上がった。
時刻。
六時三十八分。
「早すぎんだろ……」
検索。
上映中作品。
一つずつ見る。
アニメ。
恋愛。
アクション。
ホラー。
「……」
指が止まる。
新作ホラー。
上映時間。
十三時十分。
『これ』
リンクを送る。
少しして。
『却下』
『じゃあ聞くな』
『怖いやつじゃん』
『面白そう』
『俺無理』
『知ってる』
『何で送った』
『面白いから』
『性格悪』
別の通知。
一ノ瀬澪奈。
『何の話?』
「……」
湊は画面を見る。
『西野が映画行きたいって』
西野。
『黒瀬がホラー見せようとしてくる』
一ノ瀬。
『行きたい』
湊。
『ホラー?』
一ノ瀬。
『映画』
『ホラーは無理』
「……」
また一人。
橘美琴。
『映画?』
西野。
『何でみんないるの』
橘。
『グループだから』
西野。
『そうだった』
橘。
『私も行く』
一ノ瀬。
『葵誘う?』
数秒。
夏目葵。
『もう見てるよ』
湊はスマホを持ったまま黙った。
五分前まで。
一人で映画を見る予定だった。
今。
五人。
「……何で?」
*
午前十一時。
駅前。
雨。
湊は傘を差して立っていた。
集合は十一時。
映画は十三時十分。
「早い」
自分で言う。
映画を見るだけなら。
開始五分前でもいい。
チケットもスマホで買える。
なのに。
『昼食ってから行こう』
西野。
その一言で二時間前集合になった。
「黒瀬ー!」
雨の向こう。
西野。
「おはよ」
「遅い」
「十一時ちょうど!」
「俺十分前」
「真面目かよ」
「待つの嫌だから早く来ただけ」
「それ真面目って言うんだよ」
西野が傘を閉じる。
「他は?」
「知らん」
「連絡は?」
「見てない」
「見ろよ」
スマホ。
一ノ瀬。
『着いた』
「どこ?」
湊が周囲を見る。
「黒瀬ー!」
また。
「うわ」
一ノ瀬が走ってくる。
「傘差しながら走るなよ」
「信号変わりそうだったから」
「陸上部だな」
「関係ある?」
「何となく」
一ノ瀬。
私服。
白いシャツ。
薄い上着。
ジーンズ。
いつもはジャージか制服。
少しだけ違って見える。
「何?」
「いや」
「今見た?」
「見てないです」
「絶対見た」
「先輩が私服なの珍しいなって」
「私だって着るよ」
「知ってますよ」
「黒瀬も普通だね」
「どういう意味ですか」
「ジャージで来るかと思った」
「俺を何だと思ってるんですか」
「陸上部」
「まだ一か月もいないです!」
西野が横で笑う。
*
十一時十二分。
橘。
十一時十九分。
夏目。
「遅い」
一ノ瀬。
「七分」
橘。
「私は電車遅れた」
夏目。
「何食べる?」
西野。
「もう飯?」
湊。
「そのために十一時集合だろ」
「決めてないの?」
「黒瀬決めて」
「映画も俺、飯も俺?」
「詳しそう」
「飯に詳しいって何だよ」
結局。
駅ビルのフードコート。
「またここ?」
湊。
「勉強したとこ?」
西野。
「そう」
一ノ瀬が聞く。
「二人で勉強したの?」
「こいつが三点だから」
「十点満点!」
西野。
「それフォローになってないよ」
夏目が笑った。
*
昼食。
西野。
ラーメン。
一ノ瀬。
うどん。
夏目。
オムライス。
橘。
クレープ。
「待って」
湊が言った。
「何」
橘。
「それ昼飯?」
「うん」
「前もそんなこと言ってなかった?」
「言った」
「クレープ二個なら飯って」
「今日は一個」
「退化してるじゃん」
「映画でポップコーン食べるから」
「なるほど」
「納得するの?」
夏目が笑う。
湊は牛丼。
「黒瀬」
西野。
「何」
「今日ホラーじゃないよな?」
「違う」
「本当に?」
「何回聞くんだよ」
「途中で変わったりしない?」
「映画館にそんなシステムない」
「急にスクリーンから女出てこない?」
「それがホラーだよ」
「やめろ!」
「まだ何もしてないだろ」
一ノ瀬が笑っている。
「西野、怖いの本当に駄目なんだ」
「無理です」
「お化け屋敷は?」
「無理」
「肝試し」
「無理」
「夜道」
「平気」
「でも後ろから黒瀬来たら?」
「怖い」
「おい」
全員が笑った。
*
「で、何見るの?」
橘が聞いた。
「今さら?」
湊。
「タイトル忘れた」
「お前行くって言ったよな?」
「映画館が好き」
「作品じゃないの?」
「映画館で漫画読めないから映画見る」
「順序がおかしい」
湊がスマホを見せる。
青春映画。
高校生数人が夏休みに海へ行く話。
「へえ」
一ノ瀬が予告を見る。
「こういうの見るんだ」
「何だと思ってたんですか」
「暗いやつ」
「偏見」
「人が死ぬやつ」
「それも見る」
「やっぱり」
「でも何でも見ますよ」
「恋愛も?」
「見る」
「泣く?」
「作品による」
西野が口を挟む。
「黒瀬泣くの?」
「泣くよ」
「マジ?」
「映画で泣いたことないの?」
「あるけど」
「じゃあ何」
「黒瀬泣かなそう」
「どういう人間だと思われてるんだよ」
夏目が湊を見る。
「確かに泣かなそう」
「夏目先輩まで」
「無表情でエンドロール見てそう」
「エンドロールは見ます」
「やっぱり」
「そこじゃないでしょ」
*
十二時四十二分。
映画館。
「ポップコーン」
橘。
「買うの?」
湊。
「キャラメル」
「高くない?」
「映画館来たら食べる」
「俺食べない」
「何で」
「音うるさいから」
「自分の?」
「自分も他人も」
「面倒くさ」
「また言われた」
西野はドリンク。
一ノ瀬は何も買わない。
夏目は小さいポップコーン。
「黒瀬、本当に何も買わないの?」
「はい」
「二時間」
「平気です」
「飲み物も?」
「トイレ行きたくなるんで」
「映画ガチ勢じゃん」
西野。
「普通だろ」
「普通じゃない」
「開始何分前に入る?」
「今」
「二十五分前?」
「予告見るんですか」
「見るだろ」
「俺、開始時刻くらいでいい」
「え」
全員。
「何」
「予告見ないの?」
一ノ瀬。
「映画本編じゃないし」
「席暗くなる前に座りたくない?」
「別に」
「黒瀬」
西野。
「何」
「やっぱ変」
「帰るぞ」
「ごめん!」
*
十三時八分。
入場。
「ほんとにギリギリ」
一ノ瀬。
「まだ予告」
「席探すの大変じゃん」
「番号見れば分かる」
「そういう問題じゃない」
五人。
横並び。
湊。
西野。
一ノ瀬。
夏目。
橘。
「何で俺端?」
湊。
「黒瀬が取ったから」
「予約した時そこしか五連なかった」
「端好き?」
「まあ」
「一人映画の時も?」
「端」
「何で」
「隣一人減るから」
一ノ瀬が少し笑う。
「人嫌いなの?」
「嫌いじゃない」
「じゃあ何」
「知らない人が近いの嫌なだけ」
「私たちは?」
湊は一ノ瀬を見る。
「知ってる人」
「それだけ?」
「部活の先輩」
「よろしい」
「何の確認ですか」
照明が落ちる。
「始まる」
湊が前を向いた。
*
二時間後。
エンドロール。
誰も立たない。
湊はスクリーンを見ていた。
隣。
西野も。
一ノ瀬も。
最後の曲。
明るくなる。
「……」
湊は鼻をすすった。
西野が見る。
「黒瀬」
「何」
「泣いた?」
「泣いてない」
「目赤い」
「暗かったから」
「関係ないだろ」
一ノ瀬が反対側から覗く。
「ほんとだ」
「見るな」
「泣いたんだ」
「泣いてない」
「私も泣いた」
夏目。
「最後ずるい」
橘も目をこする。
「漫画なら三巻くらい使う内容だった」
「評価基準そこ?」
「大事」
西野だけ普通だった。
「お前泣いてないじゃん」
湊。
「俺?」
「うん」
「ちょっと来たけど」
「そこまで?」
「主人公が告白するところはよかった」
「そこか」
「何で」
「いや」
一ノ瀬が湊を見る。
「黒瀬はどこ?」
「何が」
「泣いたところ」
「泣いてない」
「じゃあ感動したところ」
「……」
湊は少し考える。
「最後」
「どこ?」
「海から帰って」
「うん」
「次の日、普通に学校行くところ」
一ノ瀬が瞬きをする。
「そこ?」
「そこ」
西野。
「何で?」
「知らん」
「一番地味なとこじゃん」
「だからじゃない?」
「どういうこと」
「夏休みずっといろいろあったのに」
湊は映画館の出口へ歩く。
「次の日になったら、普通に授業あるのがよかった」
「へえ」
一ノ瀬が少し笑う。
「黒瀬っぽい」
「何がですか」
「分かんない」
「適当」
*
映画館を出る。
雨。
まだ降っていた。
「このあとどうする?」
西野。
「帰る」
湊。
「早い」
「映画見たし」
「ゲーセン」
橘。
「行きたい」
一ノ瀬。
「私も」
夏目。
「……」
四人が湊を見る。
「何」
「行く?」
「何で俺待ち」
「帰るって言ったから」
「好きに行けばいいじゃん」
「黒瀬も」
「俺は」
時計。
十五時三十八分。
家に帰っても。
映画。
漫画。
たぶん。
それだけ。
「……ちょっとだけ」
「出た」
西野。
「何」
「五分だけの黒瀬」
「今日は三十分」
「伸びた」
*
ゲームセンター。
「これ!」
橘がクレーンゲームを指す。
漫画のキャラクター。
「取りたい」
「やれば」
「千円まで」
「自分で制限あるんだ」
「ないと死ぬ」
百円。
失敗。
二百円。
失敗。
三百円。
「下手じゃない?」
湊。
「うるさい」
「そこ掴んでも無理だろ」
「じゃあやって」
「嫌」
「言うだけ?」
「……」
百円。
湊が入れる。
「ここだろ」
アーム。
下。
掴む。
ずれる。
落ちる。
「……」
橘が見る。
「下手」
「まだ一回」
「人に言ったのに」
「もう一回」
二百円。
失敗。
三百円。
「黒瀬」
西野。
「何」
「顔が大会の時より真剣」
「まだ大会出てない」
「そうだった」
四百円。
少し動く。
「来た」
一ノ瀬。
「次取れるんじゃない?」
「……」
五百円。
落ちる。
景品。
出口。
「っしゃ!」
湊が拳を握る。
「取れた!」
橘が喜ぶ。
「はい」
「え」
「欲しかったんだろ」
景品を渡す。
「いいの?」
「俺いらない」
「五百円使ったのに?」
「取るのが目的になってた」
一ノ瀬が笑う。
「黒瀬、本当に勝負なら何でもいいんだ」
「クレーンゲームは勝負じゃない」
「五百円使って?」
「うるさいです」
橘が景品を見る。
「ありがとう」
「どういたしまして」
「黒瀬」
「何」
「今日からいい人認定」
「今まで何だったの?」
「面倒くさい人」
「戻していい?」
「駄目」
*
そのあと。
西野とバスケットゲーム。
「陸上勝負ばっかだからな」
西野がボールを持つ。
「バスケなら俺が勝つ」
「分からないだろ」
「経験者なめんな」
三十秒。
シュート。
湊。
入る。
入る。
入る。
「速っ!」
西野。
「遅い」
「うるさい!」
結果。
湊。
五十八点。
西野。
三十二点。
「圧勝」
「もう一回!」
「嫌」
「何で!」
「負けるの分かってるだろ」
「次は勝つ!」
「その台詞、俺みたいになってきたぞ」
「黒瀬にだけは言われたくない!」
次。
一ノ瀬。
「私もやる」
「バスケできるんですか」
「授業で」
「勝てるかな」
「舐めてる?」
「かなり」
「よし」
結果。
湊。
五十四。
一ノ瀬。
二十一。
「……」
「先輩」
「何」
「弱」
「もう一回」
「負けず嫌いじゃないですか」
「うるさい!」
湊は笑った。
*
午後五時十八分。
駅前。
「三十分って言ったよな?」
西野。
「誰が?」
湊。
「お前」
「忘れた」
「二時間いた」
「雨だから」
「関係ある?」
「ない」
みんな傘を開く。
「楽しかった」
橘が景品を抱えている。
「よかったな」
「黒瀬のおかげ」
「五百円な」
「請求するの?」
「冗談」
「ケチかと思った」
「お前、俺を何だと思ってる?」
「面倒くさい人」
「いい人認定どこいった」
「両立する」
「最悪」
夏目が笑う。
「次何見る?」
「もう次?」
一ノ瀬。
「黒瀬決めて」
西野。
「また俺?」
「映画係」
「そんな役職ない」
「部長に作ってもらおう」
「陸上部に映画係いらないだろ」
「でも」
一ノ瀬が言う。
「また行きたい」
「私は行く」
橘。
「私も」
夏目。
「俺も」
西野。
四人。
湊を見る。
「……」
「何ですか」
「黒瀬は?」
一ノ瀬。
湊は少しだけ目を逸らす。
「面白そうなのあったら」
「よし」
「何で先輩が満足するんですか」
「別に?」
「その言い方、本当に腹立つなあ」
*
帰りの電車。
一人。
窓に雨粒。
湊は座席に座っていた。
朝。
練習が中止になった。
十一時に集まった。
飯。
映画。
ゲーセン。
五時。
六時間。
「……」
本当なら。
一人で映画を見ていた。
それはそれで楽しかったと思う。
一人は楽だ。
見たいものを見る。
食べたい時に食べる。
帰りたい時に帰る。
誰にも合わせなくていい。
今日みたいに。
飯を決めるだけで十分かかったり。
映画の席で騒いだり。
ゲーセンで予定より二時間使ったり。
そういうこともない。
「……」
スマホが震える。
グループ。
橘が写真を送った。
クレーンゲームの景品。
『家着いた』
一ノ瀬。
『早』
西野。
『俺まだ』
夏目。
『私も電車』
数秒。
西野。
『黒瀬生きてる?』
湊。
『死んだ』
一ノ瀬。
『成仏して』
橘。
『五百円ありがとう』
湊。
『そこだけ現実的だな』
画面を見ながら笑う。
窓の外は雨。
今日。
一本も走っていない。
タイムもない。
順位もない。
陸上部として残るものは何もなかった。
それどころか。
陸上の話もほとんどしていない。
なのに。
今日一緒にいたのは、
全員、陸上部だった。
「……変なの」
小さく呟く。
*
月曜日。
放課後。
「はい、千二百三本」
久米先生。
「……」
湊。
「どうした」
「土曜の楽しかった時間返してください」
「何の話だ」
「映画です」
「練習中止の日に遊びに行ったのか?」
「はい」
「補強は?」
「……」
「黒瀬」
「映画館まで歩きました」
「千二百四本にするぞ」
「すみませんでした!」
周囲が笑う。
一ノ瀬も。
西野も。
橘も。
夏目も。
湊も笑った。
そして。
千二百メートル一本目。
走り出して三百メートル。
「……やっぱ嫌い!」
「喋れるなら余裕!」
一ノ瀬が前から叫ぶ。
「そういう問題じゃない!」
雨の土曜日は終わった。
また、
いつもの放課後が始まった。




