第7話 席替え
月曜日。
朝のホームルーム。
「今日は席替えするぞー」
担任が言った瞬間、教室が少しざわついた。
「まじ?」
「やった」
「今の席嫌だったんだよな」
「前だけは無理」
「窓際がいい」
黒瀬湊は頬杖をついたまま、黒板を見ていた。
どうでもいい。
前でも後ろでも。
窓際でも廊下側でも。
授業が変わるわけではない。
「くじ引きな」
担任が箱を出す。
「男女関係なく番号順」
「先生、仲いい人同士とか」
「知らん。運」
教室のあちこちから不満が上がる。
湊はため息をついた。
「黒瀬」
後ろから声。
「何」
「近くになるといいな」
西野大地だった。
「嫌だよ」
「ひどくね?」
「授業中うるさいから」
「最近静かだろ」
「英語で廊下行きかけたやつが?」
「あれは先生が厳しい」
「お前がうるさい」
「黒瀬も笑ってたじゃん」
「巻き込むな」
西野は笑った。
「俺、窓際がいい」
「何で」
「外見れるから」
「授業受けろ」
「黒瀬は?」
「後ろ」
「寝るため?」
「先生から遠い」
「同じじゃん」
*
くじを引く。
湊。
二十三番。
「どこだ」
黒板に貼られた座席表を見る。
後ろから二列目。
廊下側。
「まあ、悪くない」
「黒瀬!」
西野が走ってくる。
「うるさい」
「見て!」
番号。
二十四。
湊の真横。
「……」
「隣!」
「最悪」
「運命」
「気持ち悪い」
「親友だからな」
「お前、その言葉安売りしすぎ」
「じゃあ戦友」
「何と戦ってんだよ」
「十一秒台」
「一人で戦え」
西野が机を運び始める。
湊も自分の机を持った。
教室の中で、机と椅子が擦れる音が響く。
みんなが動く。
前の席だった人間が後ろへ。
窓際だった人間が中央へ。
昨日まで見慣れていた教室が、数分で少し違う場所になる。
「黒瀬、そこ」
「分かってる」
「俺ここ」
「分かってる」
「近いな」
「見れば分かる」
湊は机を置いた。
右。
西野。
左。
女子。
前。
知らない男子。
後ろ。
壁。
「いい席じゃん」
西野が言う。
「何が」
「先生から遠い」
「それはそう」
「寝れる」
「俺は寝ない」
「ほんと?」
「たぶん」
「たぶんじゃん」
担任が手を叩く。
「はい、終わったら座れー」
全員が席につく。
「これで一学期の中間までな」
「長っ」
誰かが言った。
「文句言うな」
湊は教室を見渡した。
少しだけ景色が変わった。
それだけだった。
*
一時間目。
現代文。
「黒瀬」
「ん」
西野が小声で呼ぶ。
「ここ何ページ?」
「三十二」
「ありがとう」
三分後。
「黒瀬」
「何」
「シャーペンの芯ある?」
「ある」
「一本」
「ケースごと貸す」
「神」
五分後。
「黒瀬」
「何」
「消しゴム」
「お前何持ってきてんの?」
「教科書」
「筆箱は?」
「忘れた」
「何で教科書だけ持ってこれるんだよ」
「重かったから覚えてた」
「意味分からん」
「黒瀬、西野」
教師の声。
二人とも止まる。
「楽しそうだな」
「すみません」
湊が答える。
西野も頭を下げる。
「仲良くするのは休み時間にしろ」
周囲が少し笑う。
湊は教科書を見る。
横を見る。
西野も見ている。
目が合った。
二人とも笑った。
「お前のせい」
小声。
「黒瀬が話しかけた」
「お前だよ」
*
二時間目。
数学。
「今日、当てるからな」
教師の一言で、教室の空気が変わった。
「うわ」
西野が小さく言う。
「終わった」
「昨日勉強した?」
「してない」
「何してた」
「ゲーム」
「知らん」
「黒瀬」
「嫌」
「まだ何も」
「教えない」
「冷たい」
「昨日も言った」
「親友」
「黙れ」
問題。
二次方程式。
西野が本気で分からない顔をしていた。
「黒瀬」
「何」
「これ」
「式移項して」
「移項?」
「そこから?」
「中学、陸上しかしてなかった」
「短距離だけで義務教育終わらせるな」
教師が黒板を書く。
「じゃあ次、西野」
「……」
西野が固まった。
「ほら、前」
「先生」
「何だ」
「今日体調悪いです」
「どこが」
「数学が」
教室に笑い。
「前来い」
「はい」
西野が立つ。
湊は笑いを堪える。
「黒瀬」
「何」
「助けて」
「知らん」
「裏切り者」
「戦ってこい」
「何と」
「数学」
「陸上より強敵」
「いいから行け」
*
昼休み。
湊は購買へ向かっていた。
後ろから足音。
「黒瀬!」
「走るな」
「焼きそばパン!」
「何」
「一個しかない」
「だから?」
「競争」
「は?」
「先着一名」
西野が加速した。
「あ、おい!」
湊も走る。
廊下。
「走るな!」
先生の声。
二人とも一瞬だけ減速。
先生を通過。
また加速。
「西野!」
「勝負!」
「廊下で走んなって言われただろ!」
「黒瀬も走ってる!」
「お前が!」
購買。
並ぶ。
焼きそばパン。
残り一個。
西野の手。
湊の手。
同時。
「俺」
「俺だろ」
「先に触った」
「俺も」
「じゃんけん」
「いいよ」
「最初は――」
「じゃんけんぽん!」
「後出し!」
「勝ちは勝ち」
「ずる!」
湊が焼きそばパンを取った。
「最低だな」
「陸上はルールあるけど購買は戦場だから」
「そんなこと言うやつだった?」
「今決めた」
「返せよ」
「嫌」
「半分」
「嫌」
「一口」
「橘みたいなこと言うな」
「じゃあ百メートル」
「何で」
「勝った方」
「パンかけるなよ」
「怖い?」
「……」
「黒瀬」
「何」
「怖い?」
「放課後な」
「やった」
「でもパンは俺が食う」
「意味ないじゃん!」
*
昼。
教室。
湊は焼きそばパンを食べる。
西野は弁当。
「うまい?」
「うまい」
「むかつく」
「見せつけてる」
「性格悪」
「一口いる?」
「いいの?」
「百円」
「高っ!」
二人で笑う。
「黒瀬」
「ん?」
「土曜楽しかった?」
「急だな」
「公園」
「まあ」
「まあって何」
「普通」
「また行こうぜ」
「毎週?」
「練習終わり」
「金なくなる」
「コンビニなら」
「また?」
「いいじゃん」
西野は弁当を食べる。
少し間。
「黒瀬ってさ」
「何」
「中学何部だったっけ」
「バスケ」
「結構やってた?」
「まあ」
「上手かった?」
「普通」
「絶対普通じゃないだろ」
「何で」
「運動できるじゃん」
「別に」
「試合出てた?」
湊の手が少し止まる。
「出てた」
「強かった?」
「……」
焼きそばパンを噛む。
「俺の代は、別に」
「へえ」
「二個上は強かった」
「どれくらい?」
「都大会行った」
「すげえ」
「一個下も」
「じゃあ黒瀬の代だけ?」
「まあ」
西野が何か言おうとした。
でも言わなかった。
「そっか」
それだけ。
湊は少し意外だった。
「何」
「いや」
「何だよ」
「もっと聞いてくると思った」
「嫌そうだったから」
「……」
「俺だって空気くらい読める」
「初めて知った」
「ひどくね?」
「でもまあ」
湊は残りのパンを見る。
「好きだったよ」
「バスケ?」
「うん」
「じゃあ高校はやらないの?」
「やらない」
「何で」
「そこは聞くんだ」
「あ」
「いいけど」
湊は少し考える。
「もういいかなって」
「飽きた?」
「分かんない」
「嫌いになった?」
「それも違う」
「じゃあ何」
「分かんないって」
西野が少し笑った。
「黒瀬、分かんないこと多いな」
「お前に言われたくない」
*
放課後。
「よし!」
西野がスタート地点に立つ。
「焼きそばパンの恨み!」
「まだ言ってんの?」
「十二秒五出す」
「じゃあ俺十二秒四」
「出したことないだろ」
「今出す」
「走るの嫌いなんじゃなかった?」
「お前に負けるよりはマシ」
「やっぱ負けず嫌い」
「うるさい」
スタート。
二人。
久米先生が時計を持つ。
「位置について」
湊は前を見る。
百メートル。
短い。
この距離なら、苦しい時間も短い。
「よーい」
音。
出る。
西野が少し前。
「……!」
湊が追う。
差が縮まらない。
五十。
六十。
西野が速い。
「くそ」
最後。
湊も上げる。
ゴール。
「西野、十二秒五!」
「黒瀬、十二秒六!」
「よっしゃああああ!」
西野が飛び跳ねる。
「勝った!」
「〇・一だろ」
「勝ちは勝ち!」
「もう一本」
「さっきパンの時と言ってること違くない?」
「うるさい」
「黒瀬」
久米先生。
「今日は百終わり」
「でも」
「お前は長距離」
「……」
「一ノ瀬が待ってる」
見る。
遠く。
一ノ瀬が手を振っている。
「黒瀬ー!」
「千二百いくよー!」
湊は顔をしかめた。
「最悪」
西野が横で笑う。
「行ってらっしゃい」
「明日覚えとけよ」
「楽しみ」
*
「今日は千二百を三本」
「三本?」
湊は一ノ瀬を見る。
「一本じゃなくて?」
「三本」
「帰っていいですか」
「ダメ」
「部活に人権ないんですか」
「あるよ」
「どこに」
「給水」
「それ権利なんですか」
一ノ瀬が笑う。
藤原もいる。
「黒瀬」
「はい」
「今日は飛ばすなよ」
「分かってます」
「本当?」
「本当です」
「西野に負けたからって、こっちで発散するなよ」
「何で知ってるんですか」
「見てた」
「みんな暇なんですか」
「部活中だからな」
一本目。
抑える。
二本目。
少しきつい。
三本目。
かなりきつい。
最後の二百。
「自由!」
一ノ瀬の声。
湊が出る。
藤原。
前。
先週の土曜。
最後に離された。
今日。
追う。
「……っ」
藤原も上げる。
また離れる。
でも。
今回は少し。
先週より近い。
ゴール。
藤原。
湊。
差。
三メートルくらい。
「……くそ」
「またそれ言ってる」
一ノ瀬が後ろから来る。
「二メートルは縮まったんじゃない?」
「覚えてるんですか」
「見てたから」
藤原が笑う。
「黒瀬」
「はい」
「速くなってる」
「一週間で?」
「走り方慣れただけかも」
「じゃあまだ速くなる?」
「たぶんな」
湊は息を整える。
「……」
少し。
本当に少しだけ。
嬉しかった。
「黒瀬」
一ノ瀬。
「今嬉しい?」
「別に」
「絶対嬉しい」
「疲れてるだけです」
「口元」
「何」
「笑ってる」
湊は口元を手で隠した。
「笑ってません」
「はいはい」
*
練習後。
部室。
男子たちが着替えている。
「黒瀬」
西野がシャツを脱ぎながら言う。
「今日十二秒六だったな」
「お前十二秒五だろ」
「勝った」
「明日抜く」
「楽しみ」
「絶対」
「それまでパン俺な」
「何でそうなる」
少し離れたところから声。
「お前ら、毎日競争してんな」
知らない先輩。
湊は名前をまだ覚えていない。
「違います」
「違わない」
西野が言う。
「どっちだよ」
先輩が笑う。
「黒瀬、長距離なんだろ?」
「たぶん」
「たぶん?」
「先生が勝手に」
「四分二十六ならそうだろ」
「またそれ」
「まだ嫌なの?」
「名前で呼んでほしいです」
「黒瀬」
「はい」
「四分二十六」
「結局つけるんじゃないですか」
部室に笑い声。
「腹減った」
西野。
「またかよ」
「今日コンビニ行く?」
「昨日行った」
「毎日行けばいいじゃん」
「金」
「じゃあ見るだけ」
「コンビニを?」
「新商品」
「何が楽しいんだよ」
「行こうぜ」
「……」
湊は少し考える。
「五分だけ」
「やった」
*
コンビニ。
二人。
「これ新しい」
「何」
「辛い焼きそば」
「昼も焼きそばの話してたな」
「食う?」
「今?」
「うん」
「夕飯ある」
「じゃあ半分」
「金は」
「黒瀬」
「帰る」
「嘘嘘!」
西野が笑う。
結局、飲み物だけ買った。
店の前。
二人で立って飲む。
「黒瀬」
「何」
「部活入ってよかった?」
湊はペットボトルを口から離す。
「何急に」
「何となく」
「まだ一週間くらいだろ」
「だから今」
「知らん」
「またそれ」
「分かんない」
「じゃあ悪くない?」
「何で」
「嫌だったら辞めてそう」
「……」
湊は少し黙る。
「まあ」
「うん」
「今のところは」
「何」
「別に」
「またそれ」
「うるさい」
西野が笑う。
*
帰宅。
夕飯。
風呂。
部屋。
湊はベッドに寝転がった。
スマホを見る。
映画を一本見ようと思っていた。
でも。
「眠い」
時計。
午後十時二十六分。
「早」
中学のころを思い出した。
バスケ部。
帰ってくる。
疲れる。
風呂。
飯。
寝る。
似ている。
でも。
同じではなかった。
スマホが震える。
西野。
『明日十二秒四』
湊は返す。
『無理』
すぐ来る。
『出す』
『俺が十二秒三』
『長距離だろお前』
『関係ない』
『走るの嫌いなんだろ』
湊は少し笑った。
返す。
『嫌い』
送信。
スマホを置く。
電気を消す。
目を閉じる。
明日は火曜日。
数学。
英語。
体育。
放課後。
部活。
百メートル。
長距離。
それから。
たぶんまた。
何でもない話をする。
高校生活は、少しずつ形を持ち始めていた。




